神様の匙
千瀬 葉子
神様の匙
雪の降る街に生まれた。だからかもしれない、エジプトやモロッコの砂漠に近(ちか)しいと思うこと。雪も砂漠も似ていると思うのだ。歩くとさくさくと音のするところ、そして華(はな)をつくること。師走の半ば、今日も雪の華がちいさく窓に張り付いている。
でもわたしは白くてつめたいものが苦手だ。ピアノの鍵盤(けんばん)や、真冬の浴槽、それからバニラ味のアイスクリーム。飼っていた文鳥も死んでしまった。パパも。
その日、希依(きい)はうす青い朝まで起きていた。青い朝はシャウエンの青い街並みを連想させる。窓辺に細い腕をかざしてみるが、意に反して青く染まらなかった。起きているのか眠りについているのか分からなくなりそうで、ベッドから体を起こす。素肌がシーツに触れてつめたい。全身鏡にコットンの下着姿の自分を映すと、じいっと見つめた。ただくっついてるだけみたいなおっぱいに、小花柄の下着。どこにも行きそびれないためのわたしを見ていたくて。今日も今日の自分であることを確かめるみたいに。
着替えを済ませてリビングに向かう。ひとりきりの生活には広すぎるマンションの8階にも、もうすっかり慣れてしまった。ママの大切なものは、本と旅と恋人だ。旅雑誌の編集をしているママに、もう随分(ずいぶん)ながいこと会っていない。部屋はすべて自由に使っていいように言われていたし、誕生日の度に届く写真や雑貨やラグなどは殆どがモロッコのもので溢れていて、二十歳のわたしには贅沢すぎる程、異国に運ばれてきた空気に馴染んでいた。旭川のことを忘れてしまう位、東京にはなんだってある。あることに慣れすぎて、毎日のありきたりな生活にうんざりしていたが、満ち足りていたし、この部屋にずっとひとりだったから、すこしも不都合などはなかった。去年マラケシュから届いた手紙と写真は、寝室の一番目立つ場所に飾ってある。手紙の内容はそっけないものだったが、ママの書く癖(くせ)のある字がすきだ。ハッピーバースデーと書かれている程、いつもすこしもハッピーだとは思ったことはないけれど。
黒くて長い髪をぎりぎりのところまで三つ編みにして、コートのように暖かい、ウールと綿で出来た黒のワンピースに身を包む。厚地のハイソックスに、室内履きのバブーシュを履くと、わたしはママが担当している雑誌の連載をまとめた写真集を読みながら、朝食を簡単に済ませる。オムレツと珈琲。
ママが好きか嫌いかといわれたら、すきではないと答えるとおもう。わたしが旅というものに魅力を感じないように、変わることを好まないから。きらいではないけれど、ママとわたしはまるで違う。一昨年のバースデーに送られてきた、砂漠の薔薇(ばら)の鉱石のようなわたしと、ちらちらと現れては消えていく雪の結晶のようなママと。当たり前の日々を好んでいるわたしは、どちらかといえば過去を愛しているし、ママは明らかに未来を愛している。
だから、いきなり恋人を部屋に寄こすなどというママはどうかしていると思う。今朝の電子メールだ。ママから届いた写真集は息が詰まりそうなほどうつくしかったけれど、わたしはすこしも面白くなかった。
ママの口癖はいつも決まって同じで、「不自由が自由をつくるのよ、すてきでしょう」などと言う。まるで見当違いだ。おまけにわたしは母の恋人を知らない。外見も、内面も、年齢も、国籍も、名前すら。ふたりはいまカサブランカにいて、週末の真昼間の便でママの恋人だけが帰国するらしい。成田まで迎えにいくようにも書かれていた。「会えばすぐにわかるわ、ママの恋人だから」とも。
わたしは全く不機嫌になり、ステレオのボリュームを大音量にして音楽をかける。OUT OF CONTROLという曲で、歌詞の最後は「わたしをばかにしないで」というスウェーデンのバンド音楽だ。全く以てその通りなのだ。毎日バレンタインデーのチョコレートまみれみたいな日々を過ごしているママには、逆立ちしたってわからないであろう曲。
初めて男の人と寝たのは、十四のときだった。五歳離れた国語の教育実習の先生と。勿論(もちろん)、ママはしらない。ママが外国で恋人に甘やかされて過ごしている間、わたしも男に抱かれていた。行為はすぐに終わったし、呆気ないものだった。それなりに持っていた知識や想像していた程のセックスではなく、わたしは行為のあいだ中、色とりどりの包み紙のキャンディーなんかや、ママのことを考えていた。ママもこうして恋人に抱かれるのだろうか、とか、パパとの間の末に存在しているわたしのことを。ママはきらいじゃないけれど、それ以来、わたしはわたしの乳房(ちぶさ)を毎日確かめている。出来るだけ女にならないように気をつけて。
意外にも週末までは長かった。大学は冬季休みだったので、課題のレポートをまとめたり、積んだままになっていた文庫本を読んだりして過ごした。こういうときのわたしは、ママを考えずに済む代わりに、細々としたことが気になる。普段当たり前にあるはずの物が所定の位置になかったり、寝る前に飲む牛乳を切らしていたり、バスタオルが生乾きだったり。それでも努めて自然にわたしの日常を過ごしていた。
ママもママだ。年頃のわたしひとりの居場所に、自分の恋人を寄こすなんて、ちょっといかれてる。やめて、と言えたら良かったのに、そう思うのに。言えないのは、ママの美を貶(けな)したくなかったから。物心ついた頃からパパのいないわたしは、愛も運命も特別じゃない。だからノーもイエスもないのだ。わたしはママにはなれない、それこそ逆立ちだってしたって、裸になってだって、もだ。モロッコの街並みの写真集を見ながら、ママが四十を超えて未だなお、うつくしいのは、旅を知らないわたしに旅を教えてくれるからだと思った。わたしは今ここにいて、旅をせずに旅しているのだから。
その日、ママからの電子メールには「希依の自由はわたしの自由よ。愛をこめて」とあった。関東では初雪が降り、手持ちの中でいちばん暖かい真冬用のコートを着なければならなかった。雪の結晶みたいなママに合わせたような冬空。いつもの冬の匂いとすこし違うように感じて、自分の街が余所(よそ)の街のように思えた。地下鉄とJR線を乗り継いで、わたしは空港へ向かった。車窓からの景色をぼんやり眺めながら、見知らぬ男がしょうもない男ではないことを願って。国際線の到着出口の前で待っているわたしはいつにも増してきっとアンニュイに見えたと思う。
「ハァイ、希依」
そういってダウンジャケットを着た背の高い男がやってくる。すぐにママの恋人だと判った。手荷物のキャリーケースの他に英字新聞を片手に。いつもママがそうしているように。声に出すときの空気、纏っている世界が、ママのテンポと一緒だったから。
「初めまして、宮本希依です。いつもママがお世話になっています」
「弘美から希依のことばかり聞かされてたよ。今日、楽しみにしていたんだ。こちらこそ初めまして。川井陽一です」
日本人だった。外見は想像していた人物とは随分違っていた。もっとてろてろに日に焼けて、言葉遣いのだらしない外国かぶれの男だと思っていたから。癖毛らしい黒髪をしていてママの恋人として納得できる顔立ちをしていた。三十代半ばぐらいだろうか。
「俺のこと何か聞いてる?きっと弘美のことだから、聞いてないんじゃないかと思って」
わたしは頷く。
「ママ、いつもそうだから」
「そんなことだろうと思った。しばらく希依には迷惑かけるけど、君のママに言われたことだから。とにかく、よろしくね」
マンションに着くまでの間、わたしは殆(ほとん)ど黙っていた。川井と名乗る男は自分についてではなく、ママについて語った。
「君のママとはシャウエンで出会ったんだ。翻訳の仕事を日本で頼まれてね、スペインに居た時プライヴェートでモロッコに行ったんだ。二週間くらいかな、有休と合わせて。シャウエン知ってる?青と水色の街。静かな街並みでさ、猫がそこらじゅうにいたり、雑貨が色とりどりで鮮やかだったりしてね。結構気に入って滞在してたんだ。だけど、気を許したのかな。現地の子供たちに、日本人かって聞かれて、手持ちの半分持ってかれてね。真っ赤な花を髪にさしてるおばあさんに笑われて気づいたんだ。そこに居合わせた女が君のママさ。弘美は現地人みたいに馴染んでいたからすぐには日本人だって分からなかったけどね。カサブランカにいい宿があるとか、食事が旨(うま)いのはマラケシュだとか、モロッコのこと色々教えてくれてね。弘美さ、美人だけど、案外ルーズな世界持ってるだろ?俺、そっちのほうが危ねえんじゃないかって気になって旅の話してたらいつの間にか放したくない女になってた。結局その日のうちに、ね。男って勝手だろ?でも希依のことはそのときはじめて聞いた。離れて暮らしてる娘いるって。大人たちはさ、そうでもしないと素直になれない訳よ。俺も日本に女いたしね。だけど、君のママの方が特別になるのに一夜で足りすぎるくらい、いい女だったからさ。こんなこと聞きたくないか、まだ二十歳だもんな。二十歳ね、遠いなあ」
「慣れてますから。ママのこと。いつも仕方ないって知ってるので。」
どうぞご自由に、とでも言いたい気分だった。腹が立ったのはママにではないし、この男にでもなかった。旅が醸(かも)し出すであろう何かだった。わたしはそれを知らない。知らなくてもいいし、知りたくもなかった。
「希依の方が大人かもな、弘美より」
そう言って可笑しそうに笑った。目を細めた先に私の知らないママがいるようで、余計に気分を害した。自分のことをしらけた女だな、と思う。けれどそれはわたしがわたしでいるための矛であり、盾だった。
「男についてまだ知らなくていいよ、希依みたいに賢い子は」
ママがどんなふうにわたしのことを話したのかは知らないが、ママの恋人が馬鹿(ばか)な男ではないのは何となくわかった。ママと同じでこの人も未来を愛する方の人間なのだと思ったから。
マンションに着いて部屋に入る。意外にも、モロッコにいたせいなのか、男が家に入ってもさほど空気は変わらなかった。
「ママがここに居るとき使う部屋を自由に使ってください。その方がいいと思うから」
「うん、そのつもりだし、弘美からも聞いてる。話には聞いてたけど、随分(ずいぶん)二十歳らしくない暮らししてんだねえ。いいとか悪いとかじゃないけど」
わたしは広すぎるリビングや、ダイニング、キッチン、トイレにバスルームをひととおり案内すると男は
「弘美が母親ね、ふうん」
と言ってリビングのテーブルに置きっ放しにしていた雑誌に手を取り、パラパラとめくる。ママは先月号からコラムも書いている。
「俺、しばらくここに住むことになるからよろしくね。彼氏とかいたらその辺誤解のないように頼むよ。希依ならいるだろ、ボーイフレンドの一人や二人。いや弘美の娘ならもっといるか。あと、灰皿あったらもらえる?弘美も吸うから喫煙オーケーだろ?」
こんな勝手なことってあるだろうか。ママがママなら、男も男だ。頭が悪くないことと、デリカシーがないことはイコールではない。勿論顔立ちも。
「あ。名前好きに呼んでいいから。さすがに陽一は勘弁してほしいけど。弘美の娘だっていう手前ね」
「分かってます、川井さん。住むことと暮らすことは違うから」
「顔は弘美そっくりなのにな。骨格とか目元とか」
ママの恋人のおきまりの台詞、一番嫌いなフレーズ。わたしはママに似ていない、似ているとするならば、DNAがそうさせたのだ。わたしはパパに似たかった。健全で静謐(せいひつ)な世界を愛するカメラマンのパパに。
旭川にいたとき、街はいつもパパの気配に包まれていた。街路樹や、道行く人や、街灯や、スーパーマーケット。パパが写すものは他愛(たわい)もないものばかりだったけれど、その場にある空気ごと鮮やかに写す。センスの好い街とは言えなかったけれど、パパとママと過ごしたあの街を一度もださいと思ったことなんてない。あの街で生きたいと思っていた。パパとママと三人でずっと。わたしが辛うじてママを許せるのは、パパの逝ってしまった季節にわたしが誕生したからであって、以来ずっとモロッコにいるママの心情を知りたいとは思わない。変わらないことなどない、なんて歌う人もいるけれど、パパが死んだことは変わらない。そしてたぶん旅を続けるママも、いつか。
いつの間にかバルコニーで煙草を吸っていた川井がリビングに戻ってきていて、鮮やかな布の端切れで作られたモロッコラグの上に腰を下ろしていた。わたしは今朝の珈琲の冷めきったのを流して、新しく珈琲を沸かすためにキッチンに立っていた。一応、客人なのだから、嫌でも苦手でももてなした方がいいと思ったから。
「飲みますか、珈琲。他に飲み物、牛乳しかなくて」
「珈琲はいいや。機内で飲んできたから。緑茶ないよな、日本茶。ずっと外にいたら、やっぱそーゆーのが恋しくなるもんだね。ないならその辺のコンビニ行くけど。よくできてるよな、現地人の嗜好(しこう)って。俺、今日の晩飯おにぎりで済ますわ」
「じゃあ、食事はそれぞれで、ってことで。冷蔵庫とキッチンは共用ですが、自由に使って下さい。時間もできれば別で」
「本当に似てねえのな、弘美と」
川井はそう言ってくつくつと笑い出す。飲んでいた珈琲がむせて、腹立つタイミングを逃(の)がしてしまった。この男の目に映るママを憎らしく思って嫌味のひとつでも言えたらよかったのに、そう思うことはパパと繋がってしまう気がして、洋室に合わせた、自然が不自然すぎる檜(ひのき)の仏壇に手を合わせることしか出来なかった。
そしてわたしは無言で部屋に戻るなり、パソコンを立ち上げると、ママからメールが一件着ていたが、「愛する希依へ」から始まるママのメールを今は開く気になれなかった。どうせ甘ったるい言葉の羅列(られつ)に決まってる。
ノックの音がして立ち上がると、川井がいた。
「適当に買ってこようと思ったんだけど、この辺まだ詳しくないから、道案内ついでに外で食べない?初めて会ってこれから過ごすのに改まった話なにもしてないだろ、俺も、君も。まあ、無理にとは言わないけど、奢(おご)るよ」
「食費と生活費は決めてるので、割り勘なら」
「弘美から聞かされてた希依チャンとずいぶん違うのな。まあ、じゃなきゃ弘美の娘なんて務まんないと思うけど。準備できたら出てきて」
ひとりでいることに馴れずぎてしまって、他人と何かを共有するのはとても尋常でなく異様な気がした。出掛けると聞いて、開こうとしたママのメールは、ぱっと見ただけで数十点の写真が添付されていた。表題には「愛してるふたりと、不自由な旅を続けるわたしと」と書かれていて、いつもと違う様子のメールに困惑した。ほとんど今会ったばかりの川井より、血液で繋がっているママの方がずっとずっと判りかねる存在だと思ったから。
出る頃には外は暗くなっていて雪はやんでいた。わたしは三つ編みをほどいて、裏地が起毛になっているあたたかなジャケットを羽織る。
「弘美も化粧しないもんな。大した母娘だよ、まったく」
川井はそう言って苦笑した。
互いの食の好みが分からなかったので、わたし達は地下鉄で神谷町まで出てファミレスに入った。東京タワーに続く坂のすぐふもと。
窓側の四名掛けテーブルに案内され、わたしはミートドリア、川井はハンバーグセット(パンかライスが付いてくる。川井はライスを選んだ)をそれぞれ頼み、二人共、ドリンクバーもつけてもらった。
「ドリンク持ってきてあげるよ、何にする?」
「自分で選ぶからいいです。川井さん、お先にどうぞ」
川井は何か言いたげだったが、先に席を立ち、コーラを取って戻ってきた。
「外で飲むコーラって旨いよな。コーラ一杯で世界平和だって叶うんじゃないかって思ってんだ、俺。真夏なら最高。希依も好きだろ、コーラ。まさか身体に悪いから飲まないとかいう人種じゃないだろ」
さっきまで緑茶がどうとか言ってたのに、呆れる。川井は青と赤の線の入ったストローで氷をカラカラと鳴らしている。
「わたしは緑茶の方がすきです。外より内がすきだから」
「なるほどね、これが弘美の宝物ってわけね。弘美言ってたぜ。神様からのギフトだって。希依も分かってるんだろ、ほんとは」
「誤解しないで下さい。わたしはママの自由のことで呆れたりしませんから。わたしと価値観が違うだけで、遺伝子の半分はママだから」
「大人だなあ、希依チャン」
ただわたしとは違う、と言いかけてやめた。パパを傷つけるような気がして。
「ドリンク取りにいってきます」
そう言って、席を立った。珈琲の飲みすぎと慣れない相手との会話のせいで胸悪くなっていたので、わたしは席までレモンスカッシュを運んだ。氷を入れて、ストローをさして。
川井がしていたのとおなじように。
席に戻るなり川井は
「希依はさ、将来なりたいものとかあるの?やりたいこととか」
「一応」
「一応、か。ママにも秘密、って訳だ」
目を細めて笑う。ママはこのひとのこの顔に恋をしたのだろうと思った。さっきより声のトーンが落ち着いてきていて、それに沈黙を挟むと、なるほど。ママの恋人だと確信できる。
「希依は旅したりしないの?」
「修学旅行ならあるけど」
「そんなの旅行のうちに入らないよ。行きたいところとかないの?それこそママのいるモロッコとか」
勿論あった。レンソイスやモンサンミッシェルやフィレンツェへだって。けれどそれを口にした瞬間、もう二度と旭川には行けない気がしてやめた。モロッコもおなじだ。旅をする前から、もうわたしは旅をしている。
「モロッコはママの街だから」
とだけ言うと、川井は
「そっか。ママの街、か」
と言って沈黙になった。ママが嫌いなわけじゃない。でもママはモロッコに旅立って以来、過去を失くすみたいにパパの話をしなくなった。わたしの知りたいパパは、ママの過去に閉じ込められている。今じゃなくて未来の蓋(ふた)に閉ざされて。
「まあね、日本の、しかも東京に居ればなんだってあるしね。だからこそどこにだって行けるけど。モロッコでの弘美は希依の話しかしなかったぜ、ほんと」
わたしは無言で飲み物を啜(すす)った。
「メールのやりとりぐらいじゃ分からないか。ママの良さも、旅も、自分も。でも俺は気に入ったよ。希依も、モロッコも、勿論弘美も」
そう言って煙草を口にくわえる。日本ではあまり見かけないママと同じ銘柄の巻き煙草。なつかしい匂いにほんのすこしだけほっとした。
食事を済ませてマンションに戻る途中、駅の方向から遠回りして、コンビニへ寄って帰った。安物のワインとビールとチータラを買って。牛乳を切らしていたことに気づいたけれど、マンションに着きかけていたのであきらめることにした。それにさっき飲んだドリンクバーでお腹は満たされすぎていたから。マンションに着いて川井は、
「希依もやる?」
と早速缶ビールを片手で持ち上げる。わたしは首を振る。
「ママにメールしてから」
と言って部屋に戻った。今までママはここへ恋人を連れてきたことは一度もなかったけれど、わたしの目には、まあ良しといったところだろうか。ママの何番目の恋人すら分からないけど。ママへは成田で無事会えたこと、外で食事したことをメールした。添付されていた写真はどれもこれも真っ青で、空や、街並みがほとんどだった。ママ専用フォルダに保存し、そのうちの一枚をプリントアウトしてリビングに戻った。丁度、川井が冷蔵庫前に居たところで、何本目かのビールを出していた。
「ママからのメール。写真は多分川井さんにじゃないかなと思って」
赤い花をさしたおばあさんが写っていた。そしてそれはモネのグラジオラスの絵を彷彿(ほうふつ)させる。誰が見てもハッピーに見えると思う、髪に赤い花をさした婦人。
缶のままビールを渡されて、プルトップに指をかける。わたしがこうしてビールを飲めることさえ、ママは知らないんだと思いながら。
「どれ、見せてみて」
写真を愛おしそうに見ながら、突然きつく抱き着かれて
「希依、俺やっぱり弘美と生きてると思うと、どきどきするんだ」
そう言って川井は何のためらいもなくわたしの頬(ほほ)にキスをした。わたしだってびっくりしてどきどきしてしまう。慌ててビールに口をつけると、ゆるく解放してくれた。
「時々思うんだ、君のパパのこと。ママのこと」
旅慣れしている人は皆シンプルだと思っていた。外国語がそうさせるのかもしれないし、地図がそうさせるのかもしれないけど。たとえばこのひとが世界中を旅したとして、やっぱり気づくのだ。変わらないものの存在に。止まったままの世界に。そうして出ていく、ママのいる不自由な自由から。
どのみち気づくのだ。わたしたち母娘のかたちが仮定の三角形をしていることに。ありあまる未来を愛しても、足りない過去を愛しても、行き止まりの中にいるパパ。
「希依はさ、神様がサイコロ振らないって信じる?」
「川井さんは?」
「俺は信じらんないな。信じたいけど」
けど、のその先を聞きたくて、黙って川井を見つめる。かなわないよ、という風に川井は肩をすくめる。
「俺が思うにはさ、神様の完璧(かんぺき)なマスと目の中で泳がされてんのかなあって。弘美のそばにいて、旅して、初めてそう思ったんだ。弘美の目はマスの先をみている。わざわざきつい生き方選ぶことねえのにな。神様の匙(さじ)加減(かげん)に振り回されて、見ていられなくなる」
川井に聞いたはずが、それはママからのメッセージの様に聞こえた。うつくしく陽気に飾っていたってママの見ている世界は息が詰まりそうになる。それはいつも分かっていた。わたし達は別々の方向に旅をしていたから。
「弘美に会いたくなったりしねえの?」
しない訳じゃないけど、会いたいと言える程強い気持ちはなかった。遠い砂漠を想像しながらわたしは無言でビールを飲む。
「会えているような気がするから。会ったらきっとわたし世界を許せなくなる」
まぼろしみたいな世界にもう随分(ずいぶん)長く居る。たぶんママも。そう思って未だにどこにも行けない旅をしている。
「パパのこと?」
川井の言葉はいつもストレートだ。わたしは静かに頷く。
「そっか。大人になるって酷だな。重ねれば重ねるだけ動けなくなるって訳か」
そう言って缶ビールを飲み干す。人と会話のあることがこんなにも悲しいことだと思わなかった。事実わたしは来週誕生日を迎える。
「もう寝ます。おやすみなさい」
涙は出なかったけれど、わたしの知らないママのことを知ることに耐え切れなくなっていた。
「無理なこと言わせてごめんな。おやすみ」
その言葉を背に、ひさしぶりにテレビがついて、騒がしい日本のポップミュージックを後にしてわたしは部屋へ引き返して眠った。
翌日、わたしはいつもの様に珈琲とオムレツで朝食を済ませた。リビングにはビールの缶が転がっている。慣れない一日を過ごして疲れ切ったおかげで安眠できたけれど、いつもと違う部屋の様子に苛立ちながら、わたしは珈琲を注ぎ足す。よく晴れた日曜日。川井はまだ寝ているらしかった。仕方なしに空き缶を拾い集めて一息つく。もう五年も一人で過ごしていたこの部屋に人の気配があるのは安堵などでは勿論なく、むしろ自分の柔(やわ)くて繊細(せんさい)な場所に侵入されるようで、この先のことを思うとうんざりした。ママからのメールには「しばらく陽一と過ごしてください。愛する希依へ」と書かれていたが、数日前から送り続けている「いつまで?」というこちらからの返答については一切書かれていなかった。
洋モノの映画のDVDを借りていた期限を思い出し、切らしていた牛乳と日用品を買いに行くついでに返却しようと用意する。部屋に戻って、模様の編み込まれた白のアランニットに茶色のプリーツスカート。厚手の白タイツを履(は)く。ノックしても川井は起きてこなかったため、リビングの目立つところにメモを残して黒いコーデュロイのオーバーを羽織った。
東京の街は昨日の初雪が嘘(うそ)のようにあたたかく、途中、何度かオーバーを脱いだ。駅近くのドラッグストアで日用品(歯磨き粉と黒タイツ)を買い、DVDを返して、スーパーマーケットへ寄る。昼はパスタにしようと、ニンニクとベーコン、それから牛乳に卵を買った。
家へ戻ると川井は出かけていた。部屋のドアが開けっ放しになっている。わたしは買ってきたニンニクとベーコンで簡単にペペロンチーノにして昼食を取り、読みかけになっていた単行本に手をつける。すると、玄関のチャイムが鳴り、宅急便が次々と届く。あて先はすべて「宮本弘美」になっていたが、それは勿論(もちろん)ママ宛てのものではなく、川井の私物であると察した。わたしはまだまだこの異様な生活を続けなければならないらしい。
リビングにメモが残されていることにようやく気付く。「午後に荷物届きます」。こうなると、うんざりを通り越して、途方に暮れてしまう。
生活はそれぞれ自由にと決めていたけれど、こういうことが続くと内心穏やかでいられない。はっきり言って迷惑だ。川井が帰ってきたら文句のひとつでも言ってしまおう、と意気込んでいたものの、夕飯時になっても帰ってこず、さて眠ろうかと思ったその矢先にへろへろに酔っぱらって帰ってきた。
「弘美だけを愛してるよ」
と言って頬(ほお)ずりをしてくる。全くとんだ勘違いだ。すかさず、
「わたし、弘美じゃありません」
と言って首に絡まった腕を冷静にほどく。キッチンへ回り、氷水の入ったグラスを渡すと、川井はうっすらと甘く目を細めて頷く。
「呆れるよな、希依。君だけのママなのに、こんなにも愛してる」
甘くそう言ってまたこちらに抱き着く。わたしは溜息(ためいき)をついた。目下の男をこんな風にさせるママに言ってやりたかった、「いつまで?」と。
けれども、ママの自由をわたしは知らない。旅をすれば分かるのだろうか。本と旅と恋人を愛するママのこと。
「荷物届いていましたよ、川井さん」
ぐっと手で押しのけて身体からはがす。渡したグラスの水をようやく飲み干すと、
「弘美の荷物なら何だって背負(しょ)ってやるのにな。重いのも軽いのも空っぽも全部」
そう言って煙草をくわえて、荷物を何箱かずつに分けて自分の部屋へと運んでいく。手伝おうかと思ったが、その様子を途中まで見届けたところで、胸がじんと痛くなりそうだったので、わたしも自分の部屋へと戻った。
旅はストイックだ。少なくともママのする旅は。言葉にしたらたちまち溶けてしまう、誰も介入できないママの旅。だから未だに旅について語るママをわたしはちょっと許せないでいる。ママは雪の結晶の様だけど、それは甘く溶ける氷砂糖のようでもあった。だから、わたしはママを責めたりは出来ない。今夜の川井などを見ていると、遭難した時のために忍ばせておくための糖分がないと、ママは生きていけないのかもしれないから。
月曜日が始まり、金曜日が終わっても、川井とわたしの生活のリズムが合わなかったので、ほとんど顔を合わせることなく過ぎていった。顔を合わせればきっとママの話になってしまう、そうお互い恐れていたのかもしれない。
何事に於いても、期待せず、冷静に、ただしく、というのがわたしにとって、最も大切なことだった。正確にはママから学んだ術でもある。ママへの反骨精神かもしれないけど、それは皮肉ではなかった。この凹凸の立ち並ぶ地で生きていく術を得たすぐ後に、ママはモロッコへ飛んだから。ママにしか分からない。そして、わたしにしか分からない。
ママからのメールには「愛する希依へ。ハッピーバースデー。すばらしい一日になるよう願って」と書かれていた。ママはそうやってどんどん先へ行ってしまう。砂漠の端と端を繋いだような遠い遠い点と点。
誕生日の今日、土曜日。毎年必ず手紙と荷物、それだけは届くので、希依は誕生日には決まってひとり家に居ることにしている。特別なバースデーにするつもりもなかったので、今日が誕生日であることを川井に言ってはいなかったけれど、その辺のこともママから聞かされていたようで、
「ひとと過ごす誕生日はひさしぶりで照れるから」
と何度もわたしは言ったけれど、
「ひとと過ごすこともまた旅だし、大人を忘れる日だからさ」
と何度もいいように濁(にご)されて、結局、わたしは川井と過ごすことになった。正午までは外に出されて、何もしなくて良いことになっていたので、いつも通りのことを好きに時間を過ごした。とはいっても、正午までなのでさほど時間もなかったため、神保町の大型書店へ行って写真集を立ち読みして、今読みかけている単行本の続編を買って帰ったら、あっという間に真昼間になっていた。
「ハッピーバースデー、希依」
家のドアを開けると、大声とクラッカーの音で出迎えられた。この一週間、川井の人間性を分りつつきたつもりだったけれど、わたしがそういう胡散臭(うさんくさ)い真似事(まねごと)が苦手なのを知っていて、わざとそういうことのする人間が川井だ。玄関は勿論、靴がごちゃまぜに散乱している。こちらの方でもある程度予想していたけれど、こうなってしまえば、嫌なのを通り越して可笑しくなってしまう。わたしが笑い出した瞬間、川井は携帯電話のカメラをきった。
あとから聞いた話では、カサブランカで頼りにしていた現地のファミリーが半年後に中目黒付近でモロッコ料理屋を開くとかで、日本に来ていたそうだ。あのひどい酔っ払い方をした日は、きっとファミリーの夫婦と、ママの話でもした後だったのだろう。
子どもが四人と大人が四人。いつもなら広いはずのリビングは、まるで七夕祭のように折り紙で飾りつけがしてあり、テーブルには収まりきらない程の料理が用意されていて、モロッコと日本の匂いが混じっていた。タジンに、パン、クスクス料理、はファミリーの父であるジャマルディーンさんが用意したようで、残りの日本料理である巻き寿司や、だし巻き卵なんかは、おそらく川井が(意外に料理のセンスのあることに驚く程の腕前)作ったようだ。モロッコのミントティーのアッツァイは、子どもたちが大人たちのために入れてくれて、そういうことにとことん縁のないわたしはそれを見ただけで胸がいっぱいになりそうだった。
ファミリーは縁も所縁(ゆかり)もないわたしに、アラビア語で口ずさみたくなるようなすばらしい歌を歌ってくれたり、歌に合わせて一緒に手を取り合って踊ったり、即席で似顔絵を描いてプレゼントしてくれたりした。その絵は、顔はピンクのクレヨンで描かれていて、全身はエメラルドグリーンの絵の具で塗られていた。長男のソフィアくんが言うには、それらの画材はママからの贈り物で、わたしを喜ばせるためにわざわざモロッコから持ってきてくれたらしい。普段とは違う部屋の温度と陽気さに、酒気がなくても、わたしは普段と真逆の顔をしていたと思う。川井は部屋の様子やわたし達のことを写真を撮っていく。
二時過ぎには川井がホールのケーキ(苺の乗っている乳製品なしのケーキ)を出してくれて、皆で分け合って食べているところに、ママからの贈り物が届いた。
ファミリーは口々に、
「弘美からのプレゼントだ」
「きっとすばらしいよ」
と言うので、皆の視線が集まり、わたしは高揚(こうよう)しながらその包みを開いた。それは手に収まる大きさの砂時計で、説明書きを読むとモロッコの自然砂で作られているらしく、真鍮(しんちゅう)に、吹きガラスで出来たそれは、ついついひっくり返したくなるようなうつくしさで、皆で息を飲むほどだった。同封されていた青いシャウエンの街並みを映したカードには、「愛する希依へ。ハッピーバースデー。ママの最大のプレゼントはあなたです。すばらしい日になることを願って」と書かれていて、わたしはすこし泣きそうになった。すると、次女のヨンアちゃんが心配そうにわたしを見つめて手を握ってくれて、ちょっとだけ泣いた。川井がその様子に気づかないふりをしてくれたことも、心なしか嬉しかった。勿論、ママからの贈り物も。
「皆、弘美が大好きだよ。弘美を愛することは希依を愛することと同じだ、ってさ」
川井が通訳してくれたけれど、必要なことは知らない言語を理解することではなかった。気が付けば、わたしはひとりずつから抱きしめられていた。勿論、川井も同じようにそうしてくれた。ファミリーと同じ温度で、大切なものをつつみこむような柔さで。
そうして六時を回った頃、わたしに惜しまれながら、ファミリーは帰って行った。
ファミリーが帰った後、賑やかさが忽然(こつぜん)と途絶えて、わたしはまたすこし泣きたくなった。砂時計を逆さまにしてみる。ママのいる時間の砂。わたしも、川井も、今日のこの日は、たぶんその時間だけはモロッコに居たのだろう。
ふたりで片づけをしながら、一気に現実に引き戻される。残りの料理をつまみながら、川井は余っていたミントでモヒートを作ってくれた。わたしは川井の器用さに驚いてしまう。
「俺からも。ハッピーバースデー」
それは薄い包み紙で何層にも重ねて包まれていた。わたしはそれを剥がすと、
「外では砂時計のことをアワーグラスって言うんだ。よく見ると結晶の中で紫色が砂時計の形みたいに見えるだろ、これもアワーグラス」
それは見たこともないアメジストだった。中心で紫色がぎゅっと細く繋がっている。わたしは親指程のそれをつまんで、角度を変えて光にかざしてみる。
「こんなの見たことない。すごくきれい」
お礼の言葉も忘れるくらい、うつくしさに、思わず声を失くしそうだった。
「だろ?外へ出ればこんなのざらにあるよ」
「旅を愛する人の言葉って不思議。さっき歌ってくれた唄みたい」
「旅すると時間と空気がさ、混じってそうなるんだろうな。時間はひとを惑(まど)わせるけど、その分うつくしかったり、だからこそ、閉じ込めておきたかったりするんだよな、旅って」
「それは、ママがそうだから?」
「そうだな、弘美がそうさせたのかもな。けど今の言葉、弘美も喜ぶよ、きっと」
「なんか、ママが死んでるみたいな言い方」
死んでいるのはパパなのに、とはさすがに言えなかった。
分かりきったことだったから。川井は煙草に火をつけて、煙を細く長く吐き出す。
「そう聞こえるなら、旅したらいい」
そう言って、ママがくれた砂時計を逆さにかえる。
自分が年をとることに、いつもどこか遠慮していた気がした。わたしが年をとれば、ママも年をひとつとる。延々とループする壊れた時間の中に、パパだけを取り残して、わたし達はいるのかもしれないと思った。川井という人間も巻き込んで。
川井がくれたアメジストは、パパの様で、でもそれはママなのかもしれないと思った。それくらい永い年月をかけてわたし達はパパについてこだわっている。たどり着いた地から微塵(みじん)も動けない生き物として。
でも、今日という記念日をわたしは生涯忘れたりしないだろう。アンハッピーと思わなかった自分に高揚(こうよう)していたし、家族や恋人のかたちを少しだけ知った日でもあったから。わたしは、一昨年ママからのプレゼントに貰(もら)った砂漠の薔薇の入った黒いベロアの小さな巾着(きんちゃく)を思い出し、それにそっとアメジストを入れた。ママが恋人に川井を選んだ理由が分かるような気がした。そして、そんな関係を羨(うらや)ましくも思った自分にちょっと驚いた。
「二十二歳の誕生日は、もっと盛大にやろうな」
モヒートを片手に、もう一年後の話をしてくる川井に、
「まだ365日もあるのに?二十一歳になったばかりなのに、気が早すぎる」
「一年あれば、世界を一回りできるのに?それくらいあっという間だよ、365日なんて」
「話が大きすぎるよ」
わたしの日常はもっとちいさく縷々(るる)で出来ているのに。そう思ったけれど、言わずにいておいた。旅を愛する人の気持ちを踏みにじりたくはなかったし、川井という人間に、
「二十二歳の誕生日までに、きっと希依はもっといい女になるよ。俺、弘美は勿論だけど、希依のこともいい女だと思ってるからさ」
そう言われることは、素直にうれしかったから。今までママの恋人とこんなふうに距離を縮めたことはなかったけれど、同級生の男子の顔ぶれを思い出すと、年上の男と、というより他人と過ごす自分を何となく好もしく思えていた。それが恋に似た感情ではないと100%言いきれないけれど、川井の匂わす言動が窮屈でなくなったのは、確かだ。
「ママと付き合う前の女の人はどんな人だったの?」
「それなり、ってところかな。話すまでもないよ。俺も女を女として扱うことに疑問感じてたからさ」
「疑問って?」
「んー、弘美とはさ、すべてが合致した気がしたんだ、男と女としてだけじゃなくて。人間と人間の当てはまる瞬間って言えばいいのかなあ、あの感覚。一度知ったら、忘れられないよ。流星群のかたまりみたいな理性と本能が、目の前でちかちかする感じ。そんなのが人間の中にあることに驚いたっていうか。そうなるとさ、もうカオスだよな」
「ふうん、よくわかんない」
「だろうな。希依が分かってたら、俺、今ここにいないよ」
そう言って、可笑(おか)しげに目尻に涙を浮かべて笑う。そう言われても一人だけ取り残された感じはなかった。それは勿論カサブランカから来たファミリーと過ごした今だから聞けたことだったし、パパのことが忘れられなくても、川井に用意されたママからのバースデー、もうママを責める気持ちは消えていた。たとえばここにママがいたらわたしもママもなんて言うんだろうとは思ったけれど。
部屋に戻り、ママからのメールには川井が撮ってくれた写真を添付して「心からの愛をこめて」と送った。写真を撮られたなんて何年ぶりだろうか。パパがいなくなってから卒業写真以外はすべて拒否してきたから。ママはわたしの時間を動かしたかったのかもしれない。そして川井は時が過ぎることは美なることだと教えてくれた。シャウエンの街並みのポストカードで溢れている青い部屋が、いつか色褪せることもまた、うつくしいのだと思えたりもした。
わたしは仏壇の奥に上げてあるアルバムを五冊を取り出した。リビングではモヒートや料理は片づけられており、川井はビールを飲んでいた。たった一週間がいつもの光景に見えることにほっとした。アルバムを抱えたわたしは、一度それをラグの上へ置き、自分もビールを取りに冷蔵庫へ立ったが、川井が、
「改めて乾杯しよう」
と言うので、用意してくれていた冷えたシャンパンを開ける。わたしは、すぽん、と抜けた栓の音に驚き、その瞬間、川井が笑うので、自分が大人なのか子供なのかよく分からなくなった。シャンパングラスの重なる音に、去年迎えた成人の日より、今日の方がそう思えたから。
「川井さん、ありがとうございます。こんな誕生日初めて」
本心だった、パパとママと過ごしたバースデーより、ずっとずっと。シャンパンに口をつける。
「ママの気持ちは分からないけれど、これ、わたしの宝物」
そう言って徐にアルバムを開いた。すこし湿った厚紙の匂いはパパの匂いだ。思い出がなだらかに押し寄せてくる。
「俺が見てもいいの?希依のなんだろ、その宝物」
わたしは慎重に頷いて、川井は仏壇のパパに合掌する。
植物や果物、飴玉や綿菓子、祭りの神輿(みこし)や金魚すくいの様子、交差点や立ち並ぶビルも人々もすべて、モノクロだった。それらはわたしが今までに撮ってきた写真だった。
「神様もぶったまげるな、こんなの見たら」
川井は四冊を見終えてそう言った。
カメラは二番目に寝た男から学んだ。フリーで活躍しているカメラマンの男。皮肉にもパパのお葬式の日に知り合った。五つ年上だった。恋人と呼べる程、心を許したことはなかったけれど、初めて交際したのはその男だった。首筋から背中にかけてのかたちが、なんとなくパパに似ていた。ママには言っていない。勿論、川井にも言わなかった。もうとっくに自然消滅的に別れていたから。名前ももう覚えていない。
「いつから撮ってるやつ?」
「パパが死んだ日からちょうど100日目。朝が夜みたいに青かったから」
この都会の青さの中で生きていくと決めた日、わたしはパパの遺品であるシャッターを切った。ママへのささやかな抵抗のつもりで始めた。写真は全てモノクロだったけれど、わたしにはいつもくすんだブルーに見えていた。ママが送ってくれる写真集にこだわるようになったのも、自分で瞬間を見つけられるようになったからだったし、それはお伽(とぎ)話(ばなし)の世界のようなシャウエンの街に自分が行こうと思えない負け惜しみでもあったかもしれない。事実、ママは何度もモロッコに来るよう誘ってくれていた。何もかも投げ出して、と。
「小さい枠のなかにも、神様っているのな。サイコロを振らないかは知らないけど、ひとひとりにちょうどいい塩梅(あんばい)の匙(さじ)ひとつくらい持ってる気がするよ、これ見たら」
五冊目の途中、空白の先の最後の頁(ぺーじ)に、ママの写真が挟まっていた。ブルーの街並みに大勢の人に囲まれたちょうど真ん中で、ママは最高の笑顔で笑っていた。日付は1990年になっていて、明らかにパパが撮った写真だと分かった。わたしはまだ生まれていない。
「すごいよな、こんなこと」
「ママ、パパの目の中にいる。青い街で」
わたし達はその写真に釘付けになり、息が止まりそうだった。パパの愛するママ、色とりどりの衣服に身を包んだ子供たち、そして大人たちがハッピーに満ち溢れていた。
「父親って偉大だな。青い朝だよ、これ」
「うん」
わたしはすこしもうまく答えられず、しばらくして泣いていた。しゃっくりをあげて子供のように。今日だけでもう何回泣いただろう。ずっとママの重荷だと思って生きてきた。ママの生きている理由がわたしで、わたしが生きている理由がママで。お互いがお互いを、慰めたり、許したり、器用でないわたし達は、ただ、パパの証明のために繋がっているだけのような気がしていた。病室でパパが息を引き取った時、ママがシャウエンにいて間に合わなかったのも、旭川のお墓参りに行けずにいるのも、親族に非難されて動けないのもきっと、ママにしか分からないんだと思った。シャンパンの泡がママのようで、ひどく悲しくなった。
「誕生日がハッピーなのもなんだか切ないよ。シャンパンの味がこんなに悲しいなんて」
川井は黙って抱き締めてくれた。父親役でも、ママの恋人としてでもなく、やっぱりあのカサブランカのファミリーと同じようなやさしさで。
「来年は弘美も呼ぼう。もちろんダワン一家も。パパにはなれなくても、俺、希依の神様になるよ。遠くても近くてもずっとずっと」
不思議だった。川井を通してパパを知っていく。そしてママを。
物事をこなせることと、内面的に大人であることは決して正比例ではない。自由な旅を続けることが楽なこととイコールではないし、誕生日の今日、大人ぶった振りを続けていた自分を恥じた。それから生身の身体でする旅を嫌悪(けんお)していたことにも。川井はママのように思えた。パパというよりはママの匂いに似ていたから。そこへ恋が起きないことは、心からの安心で健やかさそのものだった。
「ほんとう。神様みたい。言葉にしたら叶ってく」
そう言って笑った。けれど、川井は切なげな顔をした。
「不自由な旅なんだな、ほんとうに」
「もう自由になってもいいのにね。そう思うことでしかいられないんだ、わたしもママも」
川井はぎゅっと力を込めてわたしの手を握った。何も言わずにいてくれることが、ただ、やさしかった。
ママの砂時計がこちらを見ている。
その夜、わたし達はラグの上に手を繋いで眠った。大判の毛布をかけて。ただ手を繋いでいることがこんなにも静かなことだとは知らなかった。恋人でも親子でもないわたし達。瞬(またた)く星屑(ほしくず)の中に、天使のいる夢を見た。
翌日の川井は神様だった。朝からオムレツと珈琲が用意されており、わたし達は初めて一緒に朝食を取った。わたしには作れない、黄色くて濃い味のオーバル型のプレーンオムレツ。
「俺、昨日全然寝れなかった。希依は?」
「うん、ぐっすり」
「よく眠れるよな。俺、ずっとシャウエンのこと考えてたよ。希依と弘美と」
「川井さんでもそんなことあるんですね」
「昨日散々君のパパのこと話した手前、やましいことはないけど、男と女だからさ。」
「大事なお嬢さん、って思った?」
「当然すぎて笑えないよ」
と言って川井は苦笑した。わたしは二杯目の珈琲を注ぎ足す。
「けど、あのアルバムはすごかったなあ。シャウエンの写真がなかったら、俺、理性ぶち抜かれたかもな。二十一歳が背負うには重すぎる財産だよ」
「始めたからには完璧に終えたくて。でも終えたくて続けているのに何処(どこ)にも辿りつかないの。ずっと無限大のかたちをした過去の吹きガラスの中にでもいるみたい」
それからしばらく無言になった。珍しくぼんやりしていると、朝食の後片付けも川井が済ませてくれた。最近のわたしはぼんやりすることがままある。珍しいことだった。
「たまにこうやって食事とったりしよう」
「ありがとう」
それから、川井が中心の生活が始まり、なんとなくママにこだわることがなくなった。勿論、毎日のママへのメールや、カメラも十日毎の開いている日に撮り続けていたし、それを現像して川井に見せたりしていた。たまに外で食事したり、週末には酒を飲んだり、川井もママの話より、自分の話をよくするようになっていた。
川井は三十三歳で六月が誕生日だとか、鉱石を収集するのが趣味だとか(実際に天然の瑪瑙(めのう)だとかアフリカの水晶なんかを見せてくれた)、これまで旅をしてきた川井の撮りためた写真や、その写真一枚一枚の思い出なんかを。川井の重ねる言葉は、緩やかな子守唄の様に聞こえていて、その声の安心で眠ってしまうこともあったほどに。
わたしが自分のことを上手く話せないことも、聞かずにいてくれたのでほとんど聞き役だったけれど、その代わり、小さな約束や大きな約束を沢山した。
朝起きたら仏壇のパパに挨拶すること、わたしが珈琲を入れることや、オムレツは川井が作ること。出掛ける時にはハグすることや、酒を飲んだ日は二人でリビングで眠ること、いつか流星群の見えるところへ連れて行ってもらうこと、パパの眠る旭川へ行くこと。
それらが叶うことが大切なのではなくて、今ここでこうして語れることが大切なのだと思っていた。分からなかった、それらひとつひとつが甘い約束なのかは。けれど約束を並べたすべてがもう目の前で叶っているような気がした。
川井のハグは包み込むような柔さで、わたしのハグはほんの一瞬のぎこちないものだったので、川井はいつも笑った。外へ出れば、恋人同士だと言われてからかわれることも、時々酔いに任せてしてしまうキスも、許せていた。それらは全てが願望ではなかったけれど、ママの砂で出来た時計からいつかは離れていくような気がした。
「希依は弘美と似てないな」
101回目のハグをくれたとき、川井は静かにそう言った。
「大人なのに少女で、こんなに近いのに遠い」
と言って苦しそうに笑った。
川井がなぜそんなことを言うのか、すこしも分からなかった。
理解してあげられないことがひどく悲しくて、わたしは黙って薄く重なるキスをした。
「ありがとう。希依は希依だよ」
川井はそう言って身体と身体を離すと、一時停止したみたいに見つめあった。
行かないで、とは言えなかった。いってらっしゃい、とも。
そして翌日、川井は忽然(こつぜん)と姿を消していた。ママのメールは意味深で、部屋には合鍵だけが残されていた。わたしは急に不安に駆られ、携帯電話にコールする。携帯は「現在使われておりません」とアナウンスが流れるばかりで、メモも何も残されておらず、何度もママのメールを読み直す。「愛する希依へ。旅を降りようと思います。本も旅も恋人も」。
終える、ではなく、降りる、とはどういう意味なのか。たとえば、ポーカーゲームのように考えるならば、今のわたしの手持ちのカードはJのワンペアといった心持ちだろうか。けれど、ママはきっとQのスリーカードを持っている。ジョーカーが出ようと勝てない。勝負するまでもないのだ、ママには。初めから諦めている。
ママは川井と入れ違うように、二週間後の朝、颯爽(さっそう)と帰国してきた。空港まで迎えに行くまでもなく、チャイムが鳴り、開けると、
「会いたかったわ、わたしの希依」
そう言って抱擁(ほうよう)すると、頭や頬や様々なところにキスをくれた。そして荷物を家へ入れると、
「日曜日でしょう?機内でワイン飲み損ねちゃったのよ」
と言って、またぎゅうっと強くわたしを抱きしめてから、
「飲みましょう」
と、今朝の晴天の様な眩(まぶ)しさで髪をかき上げながら言った。帰り際、免税店で買ったものらしきぬるいワインのコルクを抜き、グラスに注いで乾杯する。ママはモロッコのヘナタトゥをわたしの足や手に施(ほどこ)してくれた。ヘナという植物の葉の力で一時的に肌を染めるもので、本物のタトゥの様だが、十日もすれば消えるそうだ。
「旭川にね、戻ろうと思うの」
しんじられない。
わたしは片手で顔を覆(おお)った。息が止まりそうだった。
「希依もそのつもりだったんでしょう?パパの居た場所へ帰りましょう。きっと、希依しか叶えてくれない」
「そうかもしれないけど」
けど、の後は続かなかった。
「次の連休のうちに一度旭川へ行きましょう。希依くらいの実力があれば、勿論そうでなくても、パパの居た写真館にだって直(す)ぐ内定もらえるわ」
「また戻ってどうするの?ここにいればいいじゃない。ここにいて、ここからお墓参りに行けば」
「昔のわたしみたいなこと言うのね」
ママはそう言って、煙草に火をつける。外国製のものじゃなく日本で当たり前に売られている銘柄に変わっていた。わたしは溜息をついた。
「就職先の候補はもう東京で、って決めてあるの。もう何軒か回ってるし、デザイン会社が一件決まってる。わたし、この街が好きよ」
そう言うと、もう、川井とのすべてがまるで無かったことのように感じられた。川井との沢山の約束も、ここで過ごした日々もすべてモノクロで結局ママには逆立ちしたってかないっこないと分かってしまう。いつもそう。未来の方を愛する人に神様は味方する。川井は紛(まぎ)れもない神様だったのに。
「居住地を旭川にしたいの。東京へはたったの3時間で飛べるわ」
「それは、モロッコに比べたらってことでしょ?」
わたしはいつの間にか珍しく声を荒げていた。わたしは洗面所へ達、ヘナタトゥをお湯で擦って流そうとしたけれど、うまく消えてはくれなかった。川井を思い出すことも忘れてしまうことも出来ないみたいに。
「ここに居たって陽一はいないわ。旅から降りたのよ、わたし達」
最悪だった。噛(か)んでも味のしないガムのように、あるいは、ママがくれた砂時計の砂のように、人生でもっとも最悪だった。わたしはママの顔を見ずにビールを冷蔵庫から一缶だけ出して部屋へ戻る。
翌日、ママはクラッカーを、わたしはオムレツを、それぞれ珈琲と一緒に無言で食べた。五年ぶりの生活。戻ることは進むこと。それなのに、どうしていいのかわからなかった。
週末の三連休に旭川行きのチケットを渡されても、モロッコ行きのチケットだったらいいのに、そう思う自分にも、もう驚かなくなっていた。
川井がこの部屋を出てから、毎日のようにダワン一家が唄ってくれた唄を口ずさんだ。おそらくママも知っているはずだ。
そのカリマートという曲は、「彼」からすばらしいことを次々と叶えてもらいながらも、最後には自らの持つそのすべてが「言葉だけ」だと気づいてしまう歌詞がつけられていた。アラビアの陽気な曲調と裏腹な唄に気づいてしまった今日、何もかもここにあるのに、すべてを失ってしまったような気がした。
今更、パパに何を報告できるだろう。ママの恋人に会いたいだなんて。旅を信じてしまうなんて。わたしらしくないと言って笑うのは、パパではなく川井だと思えるなんて。
なんて悲しい日なんだろう。
知ることは尊(とうと)いこと。だけど切なく、あまりにも儚(はかな)い。天使の夢は見なかった。代わりにうす青い蜃気楼(しんきろう)に立っている夢を見た。
飛行機の中で、わたし達は一言も口を訊かなかった。たぶん証明のために生きているわたしは、結局こうして不器用にママと付き合っていくしかないのだ。たとえば、今ここに川井がいたらなんと言うだろう。今にも泣きそうなママを抱きかかえて、大丈夫だと甘く囁(ささや)くのだろうか。けれどもママは、旅を降りたと言っていた。川井も同じだろうか。黙っていると川井と交わした約束の数々がばらばらに散らばってしまいそうで怖かった。何度も手をつないで眠ったあの手のくぼみや温かさを思い出しながら機内誌を読んでいたらあっという間に旭川に着いた。
空港からは予約タクシーを呼んで墓地まで向かった。春分の日をとうに過ぎた四月の連休。とはいえ、春と言うにはまだ早く、外は風が強くてまだ肌寒かった。車窓からは懐かしい景色をショートムービーを見ているようにぼんやりと眺める。タクシーの助手席で、ママはハンカチを握りしめていた。
パパのお墓へ初めて二人で来たことになる。ママはわたしの肩をそっと抱き、階段を上がると涙ぐんでいるのが背後からの気配で分かった。わたし達はお墓に水をかけて清掃すると、パパが好んでいたフリージアをまぜた小菊の花束、スコッチウイスキー、それから色とりどりの寒天菓子や季節外れの林檎(りんご)なんかをお供えして、二人揃って合掌(がっしょう)した。ママがパパに何を伝えたのかは分からない。けれど、ママの肩は小刻みに震えていて、今度はわたしがママの肩を抱いてあげなければならなかった。
「ママの不自由を背負わせてごめんなさい。ほんとうに」
と、小さな子供のような様子ですすり泣いて言った。
「ママ。パパの時間は止まったままだけど、ママの中ではきっといつも動いていたはずよ。わたし、ずっと旅を許せなかった。この広くて狭い世界を。ママを責める気持ちはなかったと言えばうそになるれど、そんなことよりも、旅が人の時間も言葉も何もかもを変えていってしまうことがいつも恐怖だった。何のための言葉で、何のための身体なのか、ずっと知らないままで居たかった」
くすん、とママは鼻をすすって頷(うなず)く。
「でもね、違った。ママの旅を通じてわたしもまるごと愛されてるんだなあってわかったの。ママが生きて愛されてるだけで、わたしが生きている証になっていたから。ママ、旅をやめないで。それでいいんだよ、ってわたしもパパも分かってるよ、もう。」
いいえ、というようにママは首を振る。
鼻を真っ赤にして、目だけは頑(がん)として、わたしを見つめていた。
「どんなに言葉を並べてもだめなのね。あの人の前で嘘(うそ)なんてつけない」
ママは黒のクラッチバッグの内ポケットから、東京行きのチケットを取り出す。破ろうと手をかけた瞬間、わたしが「やめて」と言うより早く、ママの目先が宙(ちゅう)を泳いで、ふりむく。
川井がいた。花束を持って、懐かしい顔をして。
「弘美、もうやめよう。誰も責めてないんだ。俺、もうそっち側へ行けない」
二人はひどく悲しい顔でやるせないように微笑んだ。「誰も責めてない」という言葉だけで、ママには十分すぎるくらい足りたと思う。
神様だ、と思った。不意に。
川井はわたしと手指を絡ませた。
「そうね。わたしに自由を取り上げる権利なんてないわ。世界をちらつかせてたのは、分かっていたの。ただ、希依を取られたくなかったの。ほんとうに、それだけよ」
「俺も同じだよ、心から。希依を愛してる」
「仕方ないことってあるのね、わたしがあの人から逃(のが)れられないように。男のひとの性(さが)ね」
ママはそう言って溜息(ためいき)をつくと、天を仰(あお)いで笑った。それはきっとパパへの笑顔なんじゃないかな、とわたしは思った。晴天の今日、あの1990年のシャウエンの写真とおなじだったから。笑顔の中に涙がこぼれていた。ママの中でパパは確かに生きていた。いつ、どんなときも、きっと。
帰る場所は東京だった。ママだけが暫(しばら)く旭川に残ると言ったので、わたしと川井は飛行機に乗った。川井は、わたしの二十二歳の誕生日には二人でモロッコへ行こうと言った。
「小さい頃はさ、もしも、神様の匙(さじ)があったら、きっと俺はいつもちょうどいい塩梅(あんばい)でいられるんじゃないかと思ってた。サイコロなんて持たないで、天秤(てんびん)なんてかけないで、科学的根拠なんて放り出して。神様っていう人物はちょうどいい匙加減をつくるんじゃないかって。そうだったらいいな、って、苦しそうな二人を見ていて、いつもそう思ってた。なんかそれって血のつながりや、恋愛や、親友なんかより、もっと全然深いところにある感情で、ずっと知りたかった、希依のこと」
わたしはママのあの笑顔を思い出す。それでも手はしっかりと繋がれていた、川井と。
「結局のところ、神様ってひとりで、匙もひとつなんだなって。ゆっくりでいい。叶えるための約束だから」
その夜、わたし達は夢を見た。
ちかちかと瞬く流星群の流れる夜に、わたし達は手足を絡ませ合って抱き合った。一寸(いっすん)の距離さえ、無い様に感じるほど、ぴったりと。もう、何処(どこ)へも行けなくなるくらい。
神様だった。
運命、なんて言葉が薄っぺらく思えるほど。
匙(さじ)ひとつが、奇跡だった。
神様の匙 千瀬 葉子 @menoco
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