第25話 少年は剣を取った

手渡された短剣の柄は紅く、ぼくの手にしっかりと収まる。その白銀の剣は日光を受けて輝き、ボンザの言ったように、あの日の面影は、もうどこにもなかった。


でも、ぼくはどこか嬉しかった。あの人に渡すはずだったその短剣を、とりあえずは手に入れたのだから。


それと、もう一つ、ぼくはこの短剣でやりたいことがある。


不意に目を輝かせたぼくにボンザは、不審そうな目を向ける。


「小僧。やはり何か良からぬことをたくらんでいるな。」


ぼくはボンザに笑いかけてみせるだけで、その真意を話さなかった。


何か話せば、これからすることを阻まれるだろうと、そんな予感があったのだ。


ぼくは塔へと駆けてゆく。


その背中を見て、すべてを悟ったらしいボンザは驚いて椅子から立ち上がる。


そのあまりの勢いに椅子が倒れる音が聞こえる。


しかし、ボンザの制止の叫びを、聞くわけにはいかなかった。


ぼくは、正しいからやるわけではない。


これは、突き詰めれば単なる好奇心だ。


あの鎖の先に待つ光景を。


塔の頂にある光景を。


ぼくも一緒に観たいと思った。


ただそれだけで、ぼくは短剣を手に塔の扉の前へ立つ。


鎖はすべてで五つ掛けられており、木の扉は鎖によって相互に編まれている。


そして、短剣をその鎖に押し当て、押し切ろうとする。


見かけに反して、鎖は硬く、亀裂を入れるだけでも一苦労だ。


そのとき、ボンザの声がひときわ大きく響く。


朝だというのもかまわないのか、その声はそれ以外の音が聞こえなくなるほど大きく、耳が壊れたかと思った。


曰く、その鎖は村長によって作られた罰なのだという。


罰、その言葉に反応して短剣にかかる力は緩む。


あの女の子が何か悪い事をしたというのだろうか。


鍛冶屋の方を振り返ると、なぜかボンザは中腰になった姿勢で、それ以上立ち上がろうとはしない。


「あの子は何をしたんですか。」


そう問うと、ボンザはしばらく口ごもった後、何もしていない、と奇妙な事を言った。


「何もしていないのに、なぜ罰せられるんですか。」


ボンザは、その問いに眉をしかめた。


ひどく困ったときに、ボンザはよくそんな顔をするが、今ぐらい苦々しい顔をぼくは今まで見たことがない。


そうして広場にはいつしか人の声が集まり始めていた。


ぼくとボンザとの言い合いで、目を覚ましてしまった者、そのほかに興味本位で集まってきた者たちもいる。


大人こそ多かったが、その中にはぼくと同じくらいの背丈の者も多い。


この村には、これだけの人たちがいるのか、とぼくは正直驚いた。


今までそれだけの人数を見たことはなかったからだ。


ボンザはゆっくりと、口を開く。


「わしには分からない。村長が、何を考えているのかも、その鎖が正しいのかさえ。わしは見ていることしかできない。その鎖を切れば、罰せられる。それを恐れているのだ。」


手に別の力が満ちるのを感じる。


ぼくは、どんなものに怒るのが正しいのか、それはまだ分かっていない。


けれど、この鎖が、ぼくにとって許せないものになったのは、疑いようのないことだった。


分からないから、目を瞑っていても良いわけじゃない。


それでは、昨日のぼくと同じように、進む事ができないままだ。


ぼくはこの短剣を手にして、少しでも進んでゆこうと決めた。


いつかあの人に会えると信じて。


立ち止まって待つだけじゃなく、少しでも、あの人の隣に向かって、歩いてゆくと決めた。


振り上げた短剣は、鈍い音と共に鎖へと振り落とされる。


亀裂の入った鎖は、両端にまで亀裂を広げると、高い音を立てて砕ける。


二つ、三つ、四つと、止めるもののいない広場の中、ぼくは短剣を振り上げ、鎖を切断してゆく。


誰も息を呑んだように声一つ上げない。


静寂の中に、ただ鎖がこすれ、弾ける音がこだまする。


きっと、誰一人として、分からないのだろう。


ぼくの行う行いが正しいのか、間違っているのか。


また、それを止めることが、果たして正しいのかどうかを。


最後の鎖が音を立てて砕け、塔の扉は開き始める。


そのとき、ボンザが何だあれは、と呆けたように言う。


振り返ると、ボンザは天を仰ぎ、目は空ろに塔の向こうを見つめていた。


ぼくはその場所に視線を動かす。


始めは黒い靄のように見えたそれは、近づいてくるにつれそのおぞましい漆黒の姿態をあらわにする。


人の体をしていた。


しかし、その表皮は黒く鱗のように波打っている。


顔はなく、そこには異様に引き裂かれた口と蛇のような目があてがわれている。


翼は見たことない造形をしている。


肩から伸びた枝のように細い骨に、帆のような薄い皮膜がついている。


それはまっすぐにぼくの頭上に迫ってくる。


ぼくは、扉を開けて、塔の中へと駆け込んだ。

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