第24話 塔と鎖

広場に着いたそのとき、鐘の鳴る音が聞こえる。


昨日の女の子が、鐘を鳴らしているのだろうか。


それは彼女の仕事なのだろうか。


それとも、もっと別の理由があるのだろうか。


ぼくは知らない。


だが、知ってどうなるわけでもないのだ。


意識を切り替えて、進もうとする足を、呼び止める声があった。


塔に寄りかかるように幕屋は張られている。


その中から、威勢のいい声で坊主、と呼びかけられたのだ。


顔を向けると、恰幅のいい男が幕屋から体を乗り出して、こちらを見る。


旅商人のボードラだ。


「何か買っていくかい」


彼はそう言ったが、彼についての用事はつい昨日済ませてしまった。


ないよ、と答えると、幕屋の中へその巨体を引っ込める。


彼のいる方向に進むと、何かと面倒になりそうだ。


ぼくは、塔を反対側から廻る事にした。


塔の表面は白いレンガに覆われている。建てられてあまり年月が経ってはいないのか、レンガの中にはまだ新品のような色を残しているものもある。


形は円形の柱で、頂上には鐘があるのだろう。


あの女の子は、そこからの景色を朝から夕暮れまで眺めているのだろうか。


いや、昨日と時のように時折抜け出して仕事のときだけ戻ってきているのかもしれない。


この村で最も高いところから見下ろせば、さぞ綺麗だろうと思う。


レンガを見つめながら塔に沿って歩くと、昨日の扉に行き当たる。昨日は何の変哲もなかった扉には、幾重もの鎖が掛けられ、錠がなされて封印されている。


変だな。


これじゃ、女の子が外に出られないじゃないか。


何か、できないだろうか。


そう思ったとき、ボンザに預けた短剣が頭に浮かぶ。


あれなら、この鎖を切れるかもしれない。


そう思った、そのときだった。


「小僧。余計な事を考えるのは、止せ。」


そう後ろから声が掛けられたのは。


振り返ると、鍛冶屋の店先で椅子に座っているはずの老人が、すぐ後ろに立っていた。


ぼくはボンザが鍛冶屋から外に出ているところなんてこれまで見たことがなかったから。


目の前に音もなく現れた老人に、驚いてしまう。


体勢が崩れて、石畳に尻餅をつく。


ボンザはそんなぼくの姿を見て、小さく笑みを零した。


ボンザは、鍛冶屋の椅子に座ると、小さくため息を漏らす。


「小僧。お前は知らないのだな。この地に伝わる伝承を。」


そうして続けて口を開こうとした。


しかし、その口は声を発する前に、小さく震え、そして閉ざされる。


見ると、ボンザの目には涙が浮かび、その手は小さく震えている。


「ボンザさん。どうしたの。」


そうぼくが聞くと、我に返ったのかボンザは首を振るとなんでもない、とそう言った。


そうしてボンザはぼくの目を見て、にやりと笑ったが、その笑みにどこか寂しげなものが混じっているように感じた。


「短剣は、出来ているぞ。」


心臓が、ひときわ高く鳴る。


持ってきてもいいか、そう念入りにボンザはぼくに問うた。


「これから持ってくる剣には、かつての匂いは微塵も含まれてはいないだろう。この剣を持ち続けてゆく限り、お前の中の回想は、次第に死んでゆく。」


分かっている。


昨日の夕陽と同じだ。


遂げられなかった痛みは、時間と共に過ぎ去って、いつかなかったものになってしまうのだろう。


「小僧。それでもお前は、この短剣を取るか。」


ぼくは、ボンザの目を見る。


黒いその目は鏡のようで、ぼくの心を、そのまま映し出す。


ぼくは首を縦に振る。


失いたくはないのなら、せめて信じていよう。


あの人が生きている事を。


ボンザはぼくの目を見返すと、納得したように頷く。


分かった、という声と共にボンザは立ち上がり、店の奥へ歩いてゆく。


ぼくはその姿が店の影に飲まれるまで、微動だにせずに見ていた。


塔の上で、私は眺めている。


青空の下を、黒雲が埋め尽くしてゆくその光景を。


音はしない。


しかし、草原に増えて行くそれらは、一つの意思でもあるかのように一方向へ進み続ける。


すなわち、私の村へ、やってくる。


あれらが何なのかは、分からない。


でも、何か、おぞましいものを感じる。


目を凝らそうにもそこに見えるのは、一面の黒い鋼の群れ。


草原の中を進むもの。


中空を飛ぶもの。


それらに生きているような特徴は見えない。


すなわち、獣のような爪や毛皮、人の肌のようなものをそれらは有していない。


ただ、金属のような表皮が、生きているかのようにこちらに向かってくる。


ああ、空を飛ぶあれらは見たことのある部位を持っている。


翼だ。


鳥のようなそれではない。


そう、蝙蝠のような羽。


地を駆ける獣でもなく、天に遊ぶ鳥たちにもなれない。


暗闇に紛れて生きる、紛い物の生き物。


「同じ、ね。」


あれらはこの村に来て、何をもたらすのだろう。


あんなに低く飛ぶのなら、塔に立つ私はあの飛ぶものの背中に乗れるかもしれない。


それを考えると、少し、楽しみだ。


「連れて行ってはくれないかしら。」


その呟きはどうしようもない孤独の中で発されたものだった。


しかし、どういうことか。


さっきから、戸のほうで物音がする。


何かを押し当てているのか、戸に掛けられた鎖が音を立てる。


次の瞬間、そのうちの一つが、音を立てて、砕ける。


驚いた。


その鎖は村長の命によって作られた私への咎だ。


しかし、村長が一度自分の決めた罰を取りやめるとは考えられない。


では、誰が。何のために。


一つ、また一つと、鎖は切断されてゆく。


そのうちに、私の胸に、一つの恐れがやってくる。


昨日、連れ戻されるときに村長の従者の言っていた言葉が、鮮明によみがえったからだ。


この村では、私たち一族を快く思わないものたちも存在する。


腕の力や、剣によってわれわれをよそに追いやろうと考えているものもいる。


力のないお前は、この塔にいることでそれらの危害から守られているのだと。


そのときはなんとも思わなかった。


もしや、と思ったのだ。


もしや、そのような人が今鎖を断ち切り、塔の中へ踏み込もうとしているのではないか。


私は恐怖で動けなくなる。


相手は、鎖を断ち切るほどの剣と腕力を持っている。


素手の私にはどうする事もできない。


私は塔の頂上で、力なく座り込む。


そうして静かに、涙は頬を流れ始める。


最後の鎖が断ち切られるそのとき、


私は遠くで、人の叫び声がするのを聞いた。

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