第23話 続 ある村人のこと 

村長の家は誰にも知らされていない。


ただ面会に向かう者だけが、従者に連れられこの家だと指し示される。子供のころから折につけ、われわれ一族は村長の招きを受けたが、一つとして同じ家に向かうことはない。


理由は知らない。問うてはいけないものだからだ。


この村は森に囲まれた広大な草原に塔を中心に作られた。


四方にわれわれの家を境界として置き、中心に塔を据えたこの構造は、われわれの一族を内からも外からも封じ込める文字通りの結界となっている。


境界に住むわれわれは、塔に縛られた少女のために。


塔に縛られた少女は、境界にて阻むわれわれのために。


外界に逃げる事が許されない。


われわれはなぜ少女を阻むのか。


彼女が塔から離れることそれは、この村の結界の崩壊を意味するからだ。村長はそれを許しはしない。匿ったものは無事では済まないだろう。


だが、少女と共に逃げる事になれば、四方と中心の結界に空席ができる。


その空席を埋めるのもわれわれの一族のうちの誰かなのだ。


それは、いたずらに犠牲を増やすだけだ。


それに、村の中心に暮らす一族の者もいるために、うかつな行動が彼らに迫害として降りかからない保証はない。


それよりは、今任を負うわれわれで、結界を維持しなければならない。


今はただ、結界とそれの起源となった伝承が、村人の中で風化するのを待つほかない。


村長の従者は私の両隣に立ち、不穏な動きをしないかどうか、目を光らせている。


いつでも腰に提げた片手剣に手が届くように、手には何も持たず、その顔は張り詰めている。


ただ畑を耕すしか能のない一村人に、彼らは剣を突きつける用意までしているのか。


戦慄より先に、私の胸には冷たい諦めの感情が渦巻く。


村の広場を抜け、さらにその先へと歩を進める。


店支度をしていたボンザ爺さんが私のほうをちらと見て、すまなそうに顔を背ける。


彼は私の一族とは関係がないが、塩の目の伝承を知る男だ。


しかし、この静かな村の中では珍しく、その伝承からわれわれの受ける仕打ちに、憤りを覚えていると言った。


だが老人の身の上から、自由に動けない事を嘆いていた。


その伏せた視線は、同情でも憐憫でもなく、彼自身の無力にこそ向かっているのだろう。


彼に変えてもらおうとは、私は微塵も思ってはいない。


彼が動かずとも、時間の流れが、この伝承の息を止めるだろう。


広場に敷かれた石畳は途切れると、その向こうには草原が続いている。


日が昇って間もないせいか、まだ草原は日陰に覆われており、眠っているようにさえ見える。


風は横凪ぎに吹いている。


その中を、三つの影は進んでゆく。


ふと、従者の腰に下げた短剣が目に留まる。


柄から伸びるのは、蔓草の文様。


ハインリヒに贈られた大剣に描かれていたものである。


そう言えば、ヤヌアも同じ文様の剣を持っていた。


何処かで拾ったのだろうか。


この文様はこの村の一員である事を示す象徴も兼ねており、一家に一つこの文様の彫られた金属器が送られる慣わしがあるほどだ。


村長との謁見の際、それを見せる事でこのものは村人である、という認証を得るのだ。


ヤヌアの若さでは、まだ成人には早すぎる。だが、村人から奪ったにしては、騒動になっていないのはおかしい。


機会があるとするなら、ヤヌアがやってきたあの日。


山賊が落としたといわれる短剣が、そうであったとしか言えない。


ふと、従者たちは草原の中で歩を止める。


正面に向き直ると、そこには私のそれと変わらない木で組まれたあばら家があった。


二人の従者はそれに向かって進んでゆく。


そうか、これが村長の家か。


私は確認しつつ、ふと背後を振り返る。


鐘の音が聞こえたからだ。


この村で最も高く堅牢な塔に、少女は縛られている。


名をトリシャ、と言う。


十二に過ぎない彼女は八つの時に家族と引き離されて後、あの鐘の番に就かされている。


先日、彼女は塔から抜け出した。


ほんの数瞬、家族の顔が見たくなったのだろう。


しかし、彼女の願いは遂げられなかった。


運悪く周回していた従者に見つかってしまったからだ。


今は塔の扉には鎖が掛けられているという。


そして、今日もトリシャは鐘を鳴らす。


われわれの中でもっとも弱いものが、この村に朝を告げる。


その音に、私は涙を浮かべた。

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