第18話 魂の寄るべ

あの男が話した理由は、あまりに平凡極まるものだった。


ある年に、彼らの町で疫病が猛威を振るい、多くの人が死んだ。


中でも酷かったのが大陸側から見て東側の街の人々であり、彼らは日中において日陰に覆われる事からか、この町の恩恵を十分に受けられない人々となっていた。病魔はそこにはびこり、その半分は半ば廃都となっていた。


そこで立ち上がったのが、男の妻であった。


東側の人々を城の中に非難させ、彼らの病を治そうと尽力したという。


そこかしこから著名な薬屋や、名医と呼ばれるものたちを呼び寄せ、彼らの看病に当たらせた。


しかしそのことを、その男はよくは思ってはいなかった。


日の当たるところと、当たらないところで、さまざまな格差が起こっていたこの街では、卑しいとされる日陰の民たちが、領主の城にいることは、異常でしかなかったのだ。。


だが、健闘もむなしく、墓ばかり増える中で、その妻自身の同じ疫病にかかってしまう。


領主は病の蔓延を防ぐという名目で、東の街の人々を砦の地下牢に閉じ込めてしまう。


そして、その妻が行った医術などでは効き目がないと知っていたために、男は海の果てから秘密裏に、龍の心臓を商人の不手際という名目で受け取る事になった。


龍の心臓は、万病を治す霊薬として、長らく信じられていたらしい。


彼はそれを妻に使う前に、まず地下牢の人々に使った。


彼らの疫病はその身体から消えうせたので、これを幸いとして、男は妻にも使った。


そして竜の心臓を、神殿の中でたたえることにされた。


神殿に置かれた心臓は、その治癒の伝説から、いつしか財を増やし、願いをかなえるなどの突拍子もない機能をもつ物として信仰され始めた。


心臓の呪いは、その後に起こり始めた。


人々の身体に鱗のようなものが生え、意識を失い、凶暴化するものも現れ出す。


それは、男の妻も例外ではなかった。


龍の心臓は、それ自体では、何の意味も持たない。


龍の本体がそれを無くしても滅びることがないからと言って、それに不死身じみた力が秘められているというわけではない。毛髪を引き抜いた時のように、本体から離れれば、活動は停止する。


だが、その心臓は、龍から切り離されても尚、動いていたという。


維持の呪い、それは、その心臓を奪ったとされる魔法使いが付け加えた呪いであろう。


心臓に触れるものを龍の肉体になりうるものと誤認させる事で、発動するそれは、それに望み願う人々の姿を、次第に龍の姿へと適応させてゆく呪いである。


そのときに前提にされるのは欠けていない肉体であったため、病魔は龍の細胞に成り代わる前段階で消滅する。傍から見れば奇跡のように見えるだろうが、それは滅びの予兆であった。


領主はその魔法使いを呼び寄せ、事態の解決を依頼した。


しかし、やってきた魔法使いらの集団は、別の方向に動き始めた。


命を救うという目的で、ゴーレムを作り出し、凶暴化した龍もどきたちを沈静させるためにと言って、街に魔術で結界を張った。


心臓は魔法使いどもが回収してしまった、そう澱んだ目で男は言った。


「そうして、百年。われわれは、待ち続けた。この、滅びの終わりを。」


そう言い残すと、老人は手にしたナイフで、自らの首元を掻き切ろうとする。


竜がこの街に報復に来るまでは、命を終える事はできなかったという。


私は見るに絶えず、その男に向かって火を吹く。


面白くもない、物語の結末だった。


 一度、砦の上へ戻ってみたが、ハインリヒはまだ砦の中から出てこない。地下に潜んでいた魔物に苦戦しているのだろうか。私はそのまま帰路に就こうかと思ったが、他人を協力させておいて、勝手にいなくなるのは不作法じゃないかと思われた。彼が出てくるまでのその間、私はやることもなく、この海の街の上空を周回する。海表では、異形たちがもがき、漂白された街には見かけだけつくろった化け物しかいない。いや、それら自身は自分が化け物になったという自覚さえないまま、人間として生きていると、盲目的に信じている。少なくとも、この町で暮らしてゆく限り、彼らはこの事実に気づくことはないだろう。海辺に行っても、そこに浮かぶのは、無数の人の死骸なのだろう。魔法使いのかけた結界が、真実を見ることをできなくさせている。ハインリヒが入ってきて、あの呪いの品を受け取ったという、西の町。そこにいたはずの人々は、いま、ハインリヒが対峙しているのだろう。私は、あの狭い空間では戦えない。それだけの理由で、私はハインリヒにこの業苦を押し付けた。いや彼でなくとも、あの地下に行くのは人でしかできない。あの魔物と向き合うのは、完全な魔物がしてはならないことで、それは、人の役割である。 


ふと、動く者のいないように思えたその街の中で、私は老いたネズミを見つける。


私は町に降下して、ネズミの背中に向けて、火を噴く。


この街を、また別の視点から監督していた、もう一人の人物。


それは逃げ惑うが、狭く入り組んだ町の中で、私の炎は蛇のように、街路を嘗め尽くす。


終わったころには、灰すらも残らなかった。


日が沈んで、ようやく、ハインリヒは砦の中から姿を現した。


私は少女の姿で迎える。


会ったままの姿で別れたほうが、良いような気がしたからだ。


ひどい戦闘だったのだろうか、腕や脚に巻いたカムフラージュの包帯がほとんど破けて、変装の意味がなくなっている。


外套は無く、しかし、全身は真っ赤な血に染まっている。


何かあったのか、と聞くと。


ハインリヒは何でもなさそうに、敵は殺した、と返す。


その目には、以前ほどの青い光は見られない。少し、濁ったように見えた。


海に行って、その血を洗ったらどうだい、と進めると、何も言わずそのまま門を出て街路を歩き始める。


私はそっと、ついていった。


海には、無数のヒトガタが浮かんでいる。


魔法使いたちは、あれらを、兵士のなりぞこない、と呼んだという。


そして、地下にいるという怪物を、醜悪な怪物とも、呼んだ。


私は、それを何気なくハインリヒに伝える。


すると、海に浸かっていた彼は、急に体を起こし、こちらに向かってずかずかと、歩んできた。


そうして、砂浜に突き刺した剣を引き抜き、私の目の前でそれを振り下ろす。


怒りのようにも、威嚇のようにも、私には思えた。


私は動かずに、その光景を見ており、その剣が足元にあろうとも、当たらない事を知っていたために、驚きもしなかった。


ハインリヒは、剣を砂浜に突き立てたまま、動かない。


「醜悪なものか。」


絞り出すようなその声と共に、ハインリヒは涙を流し始める。


『殺してしまった。俺は。殺してしまった。」


その言葉を、まるで呪文のように、ハインリヒは繰り返す。


自らにかける、呪いのように。


月光は冷たく水面を照らし、寄せ返す波の音は、戻らぬ時を繰り返し、語りかける。


われわれは、遅すぎたのだろうか。


レーゲはそう口にする。


分からない。もし、そのさなかであっても、俺が何かをできたとは、思えない。


俺ができるのは、今あるものを壊す事だけだ。


もうそれ以外は、残っていない。


悲鳴が聞こえる。


呪いが聞こえる。


嘆きが聞こえる。


ありとあらゆる断末魔が、俺の鼓膜に残っている。


その最後に、物言わぬ命は、枯れるように、消えていった。


ありがとう、と残響を残して。


ああ。


また、独りになった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る