第16話 竜の独白

最初、私は耳を疑ったものだった。


龍の心臓が何者かに奪われ、それがあろうことか人間であると、聞いたときには。


すぐにその有様を見るべく、私は山へと向かった。心臓を奪われたという龍は、山に住むものであったからだ。


雲海を越えた頂上にて、その翼の萎えた龍は怒り狂っていた。心臓を奪われ、その胸には穴が開き、そこから紫色の毒が流れ出している。


山の龍は毒をつかさどり、その息によって不用意に山へ近づくものを退けていた。


龍は心臓が穿たれたことで死ぬような事はないが、山の龍はそれとは別のことで怒り狂っていた。


龍の心臓には、重い呪いが込められており、その鼓動によって、あたりに破滅を巻き起こすといわれている。


山の龍はそれを知らずに、動いているそれを持ち去った、人間たちの浅はかさに怒りを覚えていた。


またその呪いによって、下界が汚されることを、憂えた。


龍の心臓を奪ったものたちは、狩人でもなく、屈強な戦士たちでもなかった。


われわれの真似事をするものたちであった、と山の龍は語った。


取るに足らないものばかりであったが、そのうちに一人、恐ろしく呪われた者がいたという。


有象無象はそれを、魔法使いと呼び、執拗に褒め称えていた。


それは男であり、手にした杖を振れば雷光がとどろいた。


しかし、その男は、山の龍の吐く毒に触れると、そのまま息絶えた。


すると、しばらくして、数も減ってきてから、有象無象の中のうちの一人が、新たに魔法使いを名乗った。


山の龍は毒を撒いたが、今度はその男だけは効かなかった。


男は手にした剣で山の竜の胸元を裂くと、そこから心臓を取り去っていったのだという。


私がその心臓のありかを見つけるように言い渡されたのは、山の龍に会ったときからしばらく経っての事であった。最初は、あの龍の住む山の麓の町で、それらしきものが売られているらしく、見に行った。しかし、それは、金属と布を縫い合わせたガラクタであった。次に王都と呼ばれる中央の都市にて、それにまつわるものが見世物になっているという噂を聴き、そこに向かった。だがそこにあったのも、宝石とガラスによって作られた紛い物だった。その後も街という街を噂の立つごとに廻り続けて、どれも偽者ばかりであった。そしてしばらく経つとその噂さえ聞こえなくなり、さらに時が過ぎた。海の街でのうわさを久しぶりに耳にしても、急にいけなかったのは、そのようなまがい物の話につき合わされるのには飽きてきたからだろう。最初は相手にしなかった。しかし、実際異変が起き始めたときになって、その存在を海の街に認めざるを得なくなり、私はそこへ向かった。降り立ったころには、街は異形どもであふれ、人間の姿をしているのは、そのフリをしている私と土人形くらいになっていた。村長に手紙を出し、応援を呼んだのもそのころだった。一人で進むには相手の戦力が読めなかった。それに、この街に流れている呪いについて、はっきりと調べておく必要もあった。


ハインリヒが、人間に近く、それでいてその性質からはぐれているという特質は、その調査の披検体として理想的であった。だから、協力という名目で、利用させてもらった事になる。彼には悪いと思うが、それでも結果はとてもよかった。心臓の持つ性質が判明したからだ。それは、絶えず動き続けるという特質からも考えられることだが、「維持」という法則で動いていた。生命を維持するために動き続け、肉体を維持するために触れた他の生物を龍の肉体に同化させてゆく。またそれによる弊害として、記憶の喪失と自我の崩壊が見られた。海へと進むあれらは。化け物というよりも、龍の成り損ないたちであり、その体内で変質してゆく肉体と既存の人の肉体が、絶えず更新を繰り返す中で、その内部に強い熱を持ったようだ。普段われわれが、息吹として吐き出す炎の下がその熱であり、彼らはそういう意味で、真に涼みに海へ飛び込むのだろう。


知らないことは、やはりどう転んでも、滑稽にしか私の目には映らないのだ。


城の上空を飛び、居城を目指す。陸路で向かうにはあまりに時間がかかり、また頂上にたどり着けるという各章もない。それに、あの砦の奥から、無数の音さがこだまして聞こえてきたため、私はその奥への侵入を断念して、上空へと舞い上がった。砦の先の板橋は上げられており、陸路は完全に閉ざされている。しかし、空を飛ぶものが敵とは思っていなかったようで、その先に控えた弓兵らは頭上を通り過ぎる虚栄に気付いても、矢を番える間に過ぎ去ってしまうそれに呆然とするしかない。その表情は愉快であった。居城の頂点に舞い上がるようにしてたどり着く。鶴と、その縦長の窓を開くようにして人のようなものが、何事かと顔を出した。顔はいやに白く、生きているとさえ思えない。その全身は、少女を思わせるほど小柄で、白い鱗に覆われている。それは私を見ても眉一つ動かさなかった。ただ、太陽を隠すようにして目の前にそびえる龍を、その相貌で、御杖手いる。ハインリヒでさえ呆然としていたが、龍の細胞を受けると、その姿にたじろぐ事もないのだろう。


私にとっては、そのことは都合がよかった。私がこの任務を受けたのは、ある疑問を晴らしたかったからだ。


白色の異形は、こちらをその赤い目で見つめ、観察している。そこに何がいるのか、理解ができないような、そんな眼差しを向けられている。私は何もせず、ただその存在の挙動を観察する。これまで、黒く変異した者たちは自我というものが見られなかったが、どうもこの白い個体には何か希薄であっても意識のような働きが、見て取れるような気がするのだ。私は、この居城を滅ぼすのを中断してのよいほどに、その存在に興味を持った。また直感として、この存在こそが何かこの一連の変異の鍵に当たるのではないか、と思われた事も、その興味をより深いものにしている。しばらくして、白い個体はその開いたままの目を、ゆっくりと閉じる。そして、うろこに隠されていた口は僅かに開き、何か言葉を発そうとする。私は耳をそば立てて、底から漏れ出る声に期待を傾ける。この異形は、はたして、何を語るのだろう。


それが語った言葉は、ただの一単語であった。されど、その一単語は私を満足させる。


そのとき、不意にその白い異形は窓から離れる。自分からというよりも何か強い力に引き寄せられるように、部屋の中に連れ戻される。そして換わりに出てきたのは、白髪の老人である。長く伸ばしたひげ胸元まで伸び、さっきの少女とは対照的にその目は青く弱弱しい。またその半身は黒い鱗に覆われている。老人は窓の外に鎮座する私を見て、それまでの虚ろな目に光を灯したように見えた。そして私の目を見ることはせず、呆けたように口を開く。


その声は弱く、掠れて聞き取れなくなりそうなほど、か細い呟きだった。ついに来たのか、龍の子よ。老人は確かにそう言った。私の姿のあり方を知っているならば、この男鼻に下流の心臓にかかわっていると見て間違いないだろう。また、その古ぼけた灰色の礼服には、男爵の勲章が金色に輝いている。


間髪いれずに私は尋ねる。理由は分からないが、さっきの異形のように、部屋の中に戻られてはたまらないのだ。


龍の心臓に触れたのは、お前か、徒党と、老人は、ゆっくりと首を縦に振る。


「お前に問う。なぜ、龍の心臓など求めたのか。」


それは、私の抱き続けた疑問であった。


老人は口を開く。


そして、彼にとっての理由を、消え入りそうな声で語りだした。

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