あの夏、高校生だった日の



 ***



 射的の銃を担ぐ。夏祭りに来たのなんて久しぶりだった。小さい頃は父親に支えてもらいながら一緒に撃ってたというのに、随分とたやすくなったものだ。

 威力を上げるための裏技は今も忘れておらず、テーブルに軽く打ち付けて弾を奥までねじ込んだ。

 いくつか菓子を撃ち落とし、最後の一発になったときだった。

 パンパンッ! ……トサッ。軽快な音を立てて大きなお得用スナック菓子が棚の後ろに落ちていく。今、音が二つしなかっただろうか。

「おっちゃん今見とったやろ?! ウチ落としたやんっ! 今のめっちゃレアなジンギスカン味やで、ここで逃したらもう出会われへんわ!!」

 すぐ隣で、よく通る大きな声が叫んだ。同時にすらりとした手が俺の落としたはずの商品を指差した。耳に慣れない大阪弁に一瞬ひるんでしまう。観光客だろうか。

「いやね、ちゃんと見てたよ。見てたけどそこの兄ちゃんも同時に同じもん撃ったみたいだったからねぇ、困ったな」

「同時ぃ?」

 勢いよく顔を向けられギクリとなった。肩までほどの短い髪を揺らした、浴衣姿の女の子。生地一面に咲くのは名前の知らない黄色の花だ。後ろ頭につけた大きなリボンが正面からでもよく目立っていた。俺と同じくらいの年頃に見える。

 彼女は俺の顔を見ると何かを言いかけ、そのまま溜息をついた。なんだっていうんだ。こちらとしても他に戦利品がたくさんあるので譲るのは構わない。

(それに、ジンギスカン味。ネタにしかならないだろ)

 だけど次に呟かれた言葉に、俺は顔を引きつらせてしまった。

「……悔しいけど。中学生相手にウチも大人気ないことできへんな。ええわ、アンタそれ持ってきぃや」

 中学生。それは俺のことか。突然見知らぬ奴にガキ扱いされて腹が立ったが、彼女も今のが最後の弾だったらしくさっさと銃を置いてしまった。

 勘違いされてよくわからないまま諦められて、なんだかこのままでは納得がいかない。俺は打ち落とした菓子をまとめて受けとると、人混みに消えようとしていた彼女を慌てて追いかけた。

「おい! 待てって!」

 ひらひらと動く袖のうしろを掴むと彼女が急に足を止めた。その小柄な背中にぶつかりそうになる。

「ちょっと、浴衣引っ張らんとってくれへん?! ……って、あんたか。なんなん、ウチのこと追いかけてきたん? お礼ならいらへんで」

「そんなんじゃない。さっきのことなんだけど」

 立ち止まっているものだから、話している間にも人の波が俺らを邪魔だと言わんばかりに何度も前へ後ろへ押し流そうとしてくる。よろめき、軽い謝罪をはさみながらでは会話も進まない。

「ちょ、ちょっと、場所を、あっスイマセン。場所を変えようか」

「せ、やな。そーしよ」

 仕方なく、はぐれないよう互いの腕を掴み合いながら無理矢理人ごみを横切って小路に出た。すぐ横にヨーヨー釣りの店があるおかげで、ここはまだ明るい。

 改めてしっかりと見た彼女の顔には、バランスよくパーツが並べられていた。輪郭の小ささもあってスッキリした印象を受ける。だからこそ飛び出してくる言葉のインパクトが強いのかもしれない。

「で? なんの用なん、中坊が」

 何をそんなに自信満々にしているのか堂々と胸を張って問うてくる。俺は咳払いをひとつすると、一番重要なことから話すことにした。

「まず言わせてくれ。俺は中学生じゃなくて高校生。十六歳。わかった?」

「なんや、アンタってウチと同い年やったんか。えらいかぁいらしい顔しとるからわからへんかったわ」

「かぁい……? え?」

「可愛い、ゆうてん」

(か……、かわいい?!)

 男に言っていい言葉じゃないだろう。眉間に寄った皺に気付いたらしく、彼女はくすくすと笑って「ごめんな」と軽く頭を下げた。思ったより素直な態度で少し驚く。

 さっきよりも目元を和らげて、もう一度何の用かと聞かれた。

「これ、渡そうと思ったんだ」

 手に入れた中で一番大きな、先程のジンギスカン味スナック菓子を突き出す。袋内で中身が揺れて擦れる音がした。

「俺はいらないから。君が食べなよ」

「そんなこと言うたって……いやや、一回アンタに譲ってんで。ウチにもプライドってもんがあるんやから」

 かっこいいことを言いながらも、彼女の目は物欲しそうに俺の手元を見ている。なんともわかりやすい様子に思わず笑いがもれそうになった。

 強がってるのが丸わかりだ。そんなに食べたそうにしているくせに、プライドだなんて。

「じゃあ、こういうのはどうだ。打ったのは同時だった。お互いに権利がある。だから半分ずつ食べよう」

 彼女は目を瞬かせた。俺とスナック菓子を何度か見比べ、顔いっぱいの笑顔でまた俺を見た。ほとんど同じ高さの目線が少し悔しいが、その表情はすごく、彼女の言葉で言うとかぁいかった。

「……アンタ、ええ奴やな。それやったら食べる!」

 傍にあった木陰の岩に座ると、早く開けてと目を輝かせる。人を中学生扱いした割にはどうにも子供っぽいところがあるみたいで、不思議な女の子だと思った。

 俺も彼女に倣って隣に座り丁寧に袋の口を裂いた。独特のにおいがツンと鼻を突く。あまり美味しそうではない。実を言うと、もうひとつ上の段のお徳用チョコレート菓子を狙っていたのだが、もうこの際黙っておこうと決めた。

 そんな俺の心は知らずに、彼女は浴衣の袖に気をつけながら、そうっと一枚つまみ上げ口に運んだ。聞かなくてもわかる、うまそうな顔をしてる。試しに俺も一口食べてみたが、想像通りちょっと遠慮したい味がした。彼女が気付かずに半分以上、いやできれば三分の二くらい食べるようペースを調節するのは大変だった。

「あーおいしかった! ありがとぉな、えぇと……アンタ、名前なんていうん? ウチは加藤亜純や。アジアの亜に、純粋の純で亜純。かぁいい名前やろ?」

 塩まみれの指をティッシュで拭いながら彼女がにっこりと笑った。カトウアズミ、か。加藤、亜純。そっと心の中で繰り返す。

「俺は、高田佑規。……よろしく」

「ユウキやな? よっしゃ覚えた! よろしくな!」

 名前で、しかも呼び捨てで呼ばれると思っていなかったから驚いた。なんと返したらいいものかわからない。

 俺は視線をうろつかせてから、結局何も言わなかった。代わりに彼女の小さなカバンから着信音が聞こえてきた。派手な音楽だった。

「あ……お父ちゃんや。もしもし? え、なによぉ聞こえへん……今? ヨーヨーのとこにおるよ。そっちちゃう、だからちゃうって。そう、そうそう。なんや、それやったらウチが行くって。うん、うん、ほんならねー」

 本当に会話になっているのかと思うほど矢継ぎ早に喋ると、その通話はなんともすばやく終わった。何を言ってるかわからない大阪弁シリーズに「ちゃうちゃうちゃうんちゃう」とかそんなのがあったな、とぼんやり思い出した。意味はよく知らない。

「家族が出口んとこおるらしいわ、せやからウチもう行かなあかんねん」

 残念そうに眉を下げて彼女は言った。立ち上がり浴衣の汚れを払う。俺は座ったままその動作を見上げていた。

「……君って、こっち住んでんの? それとも観光?」

「ウチ? 家は大阪やで。今年はたまたま来てんけど、アンタみたいなんに会えるならまた来年も来たいわぁ。お父ちゃんに掛け合ってみなあかんな。そん時はもろたジンギスカン、半分返したる! んで、一緒にここで食べるんやで!」

 もう行くわ、また会おな! 彼女は、亜純はそれだけ言うと手を振りながら走っていってしまった。

 その勢いのまま俺の心から離れなくなった、台風のような女の子。それが加藤亜純だった。





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