角質代謝(ターンオーバー)

弥生

待ち合わせ

今日は2週間ぶりの彼とのデートだ。

めかしこんだあたしは待ち合わせのカフェで珈琲を飲んでいる。


彼との約束の時間より早めに到着したあたしは

こんな事なら読みかけの本を持って来るんだったなと後悔した。


週末の午後、カフェは満席で

お客はみな思い思いに自分の時間を楽しんでいる。


携帯電話を開き時間と彼からの連絡がない事を確認し

携帯を閉じそれを小さな丸いテーブルの上に置いた。

そしてテーブルの上の珈琲に砂糖を入れようとした瞬間

あたしの目の前に一人の女性が立っているのに気が付いた。


「あの、相席していただいてもよろしいですか?」


真っ白いレザーのハーフコートの裾から

丈の短い真っ赤なスカートが見えた。

そのまま視線を上げて彼女の顔を見ると

何か物凄く不安そうな顔をしている。

あたしは軽くほほ笑み「どうぞ」と目の前の席に座る様に促した。


やはり本を持ってくるべきだった。

手持無沙汰に相席なんて気不味すぎる。


「あたしに上手く説明できるかわからないけど…」


席に着きながら彼女は話し掛けてきた。

初対面で見ず知らずの相手と会話をする準備はなかった。

あたしは少し慌てたが、無視できる状況でもないので

「へ?あたしに?何か説明をしたいのですか?」

と、返事を返してみた。

「自分でも自信ないし、信じてはいただけないと思うのですが…」

何を云いだすのだろう?

何か個人的な懺悔のような物なら遠慮したいところだ。


「たぶんあたし、15分後のあなたなんです。」


珈琲に入れようとしていた角砂糖がスプーンから落ち

コーヒーカップから弾け飛んだ珈琲が2滴ほど受け皿に零れ落ちた。


「あ!…失礼。今、今何て?」


不安気な表情のまま、彼女は話を続けた。

「あたしはたぶん15分後のあなたなんです。

15分前のあたしはあたしではなかったのかもしれません。

そぉ、丁度今のあなたの様に…。」

「あの、失礼ですが、何を話してるのかさっぱり解らないのですが…。」

お構いなしに彼女は話を更に続けた。

「そもそも人間なんて原型のない器でしかなくて

その器の中に何が入っているのかが、さもその人格かのように見えるだけで

生まれ育った環境やその後に出会った人達との接触によって

様々な影響を受けた結果が今現在の自分を形成している。

もしも違う人と違う出会いを通過していたなら

きっと結果として存在する自分自身と云う存在は

今の現状とは別の物になっていたとは考えられない?」

それはあたしへの質問?

あたしは何か回答を求められてる?

どうやらそうではないようだ。

なぜなら彼女はあたしの返事を待たずに更に話続けた。

「出会った相手、つまり接触をした相手の影響力によっては

自分の中身がごっそりと覆されてしまう可能性もあるでしょ?

今、あなたは一方的にあたしから話を聞かされていると思っている。

おそらく、読みかけの本を持ってきていれば無視もできたのにと

半分上の空であたしの話を聞き流しているんでしょ?」

「な、なぜそれを!?

いや、上の空じゃなくて読みかけの本の事をなぜ…?」

彼女はあたしの目を真っすぐに見て真剣な表情で続けた。

「云ったでしょ?あたしは15分後のあなたなんです。

そしてあたしもあなたも器でしかなくて、

簡単に中身が入れ替わってしまうんです。

今、あたしの話を聞いていることで

あなたの中に新しい思想が入り思考回路ができ、

器の中身は入れ替わってしまう。

話しているあたしだって、今話している話は

ほんの15分前に器の中に入り込んだ思想の

受け売りでしかないのよ。

そこにあたし自身はなく、ただの伝達の媒体でしかない

そう、あたしはただの器であなたもまた器でしかないのよ。」


ふと彼女から目を逸らすとレジカウンターの方から

ドリンク片手にこっちに歩いてくる彼氏が目に入った。


「たすかった…」


彼女には聞こえないような小さな声であたしはつぶやいた。

彼氏はあたし達のテーブルの傍まで来ると

「待たせたかな?」

と声をかけてきた。

あたしが返事をしようとすると目の前の彼女が先に答えた。


「15分くらいね」


ちょっと待ってよ!


「で?こちらは?」

彼は彼女に向かってあたしが誰なのかを尋ねた。

「満席だったから相席していただいてたのよ」

「そっか、満席だし…飲み物を買っちゃったけど、出ようか」

待ち合わせの相手のあたしを無視して

見ず知らずの彼女とあたしの彼氏との間で

勝手に会話が進行している…


なんだ?


なんなんだこの状況は!?


あたしはその場から逃げ出そうと慌ただしく

テーブルの上の携帯電話をポケットに仕舞い

背もたれに掛けていた自分のハーフコートを羽織り

珈琲を持って立ち上がり、

「この席、どうぞ使ってください」

と云い残し店を出ようとした。


出口の方へ歩いて行こうとした時に、

椅子の背もたれに白いレザーのハーフコートを掛けて

一人で珈琲を飲もうとしている女性が目に入った。

あたしは店を出ようとしていた足を止め

その女性の座っている席に近づいてみた。


「あの、相席していただいてもよろしいですか?」


その女性はあたしの服装を下から舐めるように見た後

「どうぞ」

と、にっこりと微笑んであたしに席に着くように促した。

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角質代謝(ターンオーバー) 弥生 @yayoi0319

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