3:花と夜

「なあ、待てよ」


「ダメだよ。だって君は刃物これで、その綺麗な髪を切るつもりだろう?」


 フロルが走る。風に吹かれて、彼の太陽色の髪がふわふわと靡く。

 あの日、こいつのおばあさまに認められた俺は、まるでフロルと兄弟のように扱われた。

 ほこりっぽくない部屋、リネンのシーツ、花とお日様の匂いがする寝床。

 水鳥の羽根を詰めた布団。


 毎日、腹一杯になるまで食事を出来るし、太陽の下へ出ることを止められない自由も謳歌している。

 フロルの両親も、あいつと同じで優しい。綺麗な金色の髪なのに、俺の真っ黒な髪を綺麗だと褒めてくれた。

 だから、おばあさまの魂が蜉蝣の背に乗った失われた時も平気だった。もちろん、少しだけ泣いたけれど。


 色々な話も聞かせて貰った。

 どうやら俺の両親は勘違いをしていたらしいこともわかった。

 髪の色が違う妖精こどもが生まれると不幸が起こる。それは本当のことらしい。

 呪いと祝福は表裏一体。光以外に愛された妖精こどもが生まれた場合、その子を隠すという言い伝えは、確かに残っている。

 でも、隠された妖精こどもは怨霊になって美しい髪を持つ一族タルイス・グラッツたちを食べてしまうらしい。

 それを防いだのが、フロルの遠い先祖だという。彼らは、光以外に愛された妖精こどもを受け入れた。

 受け入れられた妖精こどもたちは、怨霊にならずに済むらしい。恐ろしい言い伝えだけが残り、怨霊にならなかった妖精こどもたちは忘れられてしまうので、俺の両親はあのようなことをしたのだろう……とフロルの両親が話してくれた。


 でも、そんなことはどうでもいい。今は、あいつを追いかけることが先決だ。

 肩の辺りまで伸びてきた髪をいい加減切りたかったってのに、あいつは俺からナイフを取り上げて笑いながら駆けていった。


 あいつが歩いた場所には花が咲く。花招き月に恋をされた男を追うのは簡単だ。

 赤、水色、黄色、ピンク、様々に彩られたアイツの足跡を追うと、小さな薔薇のアーチが見えた。

 そこに、フロルは座り込んでいる。息を切らせながら駆け寄ると、彼の綺麗で長い髪が小さな薔薇に絡みついて、動けなくなっているようだった。

 まるで蕾を付けた薔薇に嫉妬されたみたいだなと笑っていると、俺に気が付いたフロルが僅かに顔を上げる。


くぐろうとしたら見事に絡まってしまったみたいなんだ。取ってくれるかい?」


刃物それを寄越したらな」


 フロルは観念したとでもいいたげに肩を落とすと、俺に大人しくナイフを手渡した。


「君が髪を切るというのなら、僕のこの髪も切っ……」


「絶対にダメだ」


 細い枝に絡まった髪をゆっくりと、慎重に解いていく。

 ナイフで髪を傷つけないように薔薇の枝だけを切る。


 ちょうど剪定前の薔薇だ。少しだけ不格好になるのは許してくれよな。そんなことを思いながら、俺はフロルの髪に触れる。

 仔猫みたいに柔らかな髪は一本一本が細く、僅かに光っている。

 妖精女王ティターニア様に捧げる踊り手に選ばれる妖精ヒトの中でも、フロルの髪が一番綺麗だと思う。

 薔薇のつぼみが開いて、彼の髪に花弁が落ちる。

 まるで花の妖精だな、なんて考えながらも慎重に彼の絡まった髪をほどいていく。


 粒になった額の汗が滴り落ちる。腕で汗を拭って、黙って俺の顔を見ているフロルを無視しながら作業を続けた。その結果、彼の髪は無事に切れたり、ちぎれたりせずに薔薇の嫉妬から解放された。


 小さな蕾たちが満開になった薔薇の花を見て、フロルがニコニコと微笑む。


「薔薇くん、僕のせいで随分不格好にさせてしまってごめんね。それに、バド」


 もう今日は疲れた。自分の髪を切るどころではない。

 薔薇の木をそっと撫でたフロルは、座りながら剪定した細い枝を集めていた俺の名を呼んだ。


「ありがとう」


 唇の両端を持ち上げて、ふわりと笑うフロルは、とても綺麗だ。

 若草色の瞳は、きらきらと光っている。

 立ち上がったフロルが首を傾けると肩の上に乗っていた髪がはたはたと滑り落ちていく。


「ねえ、僕に見とれた?」


 無邪気に聞いてくるものだから、俺は素直に頷いた。

 真っ白な服が、どこからともなく拭いてきた風に靡く。ふんわりと巻かれた金色の髪が、太陽の光に反射してきらきらと光る。


「僕も、君に初めて出会ったとき見とれたんだよ」


「は?」


「夜の色をした髪、僕はすごく好きなんだ。それにたおやかな身のこなしも、優しくて勇気のある性格も」


「なんだよいきなり」


「髪を伸ばしてさ、僕と踊らないか?きっと綺麗だと思うんだ。星屑色の服を着た君の、夜色の髪が風に靡くんだ」


 手を取られて、優しく引かれる。

 ゆっくりと立ち上がった俺の手を離して、フロルはくるりと回って見せた。

 長い髪と、ゆったりとした服が、少し遅れて弧を描いて、身体に追いつく。

 小さな音を立てて服に当たった髪が数本、彼の肌に張り付いて落ちる。


「さあ、踊ろう」


 この家に来たときみたいに、こいつが声をかけるから、俺はすっかりその気になってしまう。

 ずっと見ていた。こいつの動きを真似てみる。

 身体が軽い。身体を回して髪が動く。真っ黒な髪が頬に当たって少し痛い。

 見よう見まねで踊ってみる。狩りをしていた時よりも、息が切れる。

 でも、不快じゃない。


「菫の瞳と夜色の髪、ずっと思ってたんだ。踊ったら絶対に綺麗だって」


「……はあ。で、実際に見て、どうだった?」


「思った通りだったよ」


 あの時、俺を見つけてくれた日みたいな笑顔で、こいつが笑う。

 だから、俺の髪を切りたいなんて気持ちはどこかへ飛んでいってしまった。

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