5-残火
開け放たれた玄関のドアの前に家族4人が揃って立っていた。
間違いない、あれは私だ。意識が戻った父親だ。
では、”私”は……誰だ。
玄関のドアが重い音を立てて閉まる。
混乱する私に、母親は言った。
「そこに、いる?」
私は呆然としながらも、壁をコンコンと叩いて存在を知らせた。
玄関にいる父親が目を丸くしている。
「あなたの名前、もしかして高木翔太くんじゃない?」
その響き、確かに懐かしい感じのする名前だった。
「管理人さんに頼んで教えてもらったの。今から7年前、この部屋で亡くなった人がいたって。酔っ払った父親にお酒の瓶で殴られて死んでしまった10歳の男の子がいたんだって」
10歳……高木翔太……。僕が。
沙耶が口を開いた。
「あのね、翔太さん。ごめんなさい、実はなんとなく、ずっとあなたがお父さんじゃないって感じてたの。……泣いてた瑠璃に飴をあげたんでしょう? 瑠璃は飴が嫌いなの。それに、物を動かす感じとか、やっぱり雰囲気が違ってた、お父さんとの身長の違いのせいかな」
沙耶は申し訳なさそうな顔で続ける。
「だから最初は少し怖かった、あなたが誰なのか分からなかったから。でも、あの怖い男の人から守ってくれた時、嬉しかった。あれからは物音が聞こえても怖くなくなったの、きっと優しい幽霊なんだって思えたから。……あのね、私、お父さんがいなくて寂しかったけど、あなたがいてくれて楽しくなった。トランプをしたり、ピアノ聞いてもらったり……家族が増えたみたいだった」
そうか、沙耶はずっと僕が父親ではないと気づいていたのか。
ああそうか。だからあの夜、母親は、僕が父親か確認するために名前を書かせたんだ。筆跡が夫のそれと全然違うことに安堵したんだ。
「ありがとう、守ってくれて。一緒に遊んでくれて、一緒に過ごしてくれて」
沙耶は、まだ申し訳なさそうな顔をしていたけど、そう言って少し嬉しそうな顔をした。
「あなたのおかげで、娘も、私も助けられた。恥ずかしい話だけど、あのままだと私、あの宗教にハマって家のことも手につかなくなるところだった」
「ゆうれいさんは、おとーさんじゃなかったの?」
瑠璃はまだ状況を読み取れていないようだった。
でもその後、納得したように「一緒にお絵かきありがとう」と言った。
「俺からも……信じられないことだけど、いや、妻と娘を助けてくれて、本当に助かった」
父親も車椅子の上で頭を下げた。
自分の中で少しずつ、名前を聞いた瞬間から、生前の記憶が蘇ってきていた。
僕のお父さんは病気で仕事を無くして酒浸りになって、お母さんは宗教にのめり込むようになった。2人とも毎日のように喧嘩をしていたこと、家に帰りたくなかったこと、いつも給食だけじゃお腹が空いていて、万引が見つかったこともあった。
そうだ、あの日家に帰ると父親はすでにかなり酔っ払っていたんだ。
そうか、僕は……そうか。
やっと自分自身の行動理由を悟った。
ただ、助けたかっただけなんだ。
自分と似たような境遇になっていく沙耶や瑠璃を、放っておけなかった。
それが『この子たちを守らなくてはいけない』と強く思った理由だったんだ。
母親が一歩踏み出して言った。
「ねぇ翔太くん、あなたまだ……その、”成仏”、しないんでしょう? だったら、助けてくれたお礼……にならないかもしれないけど、一緒にまた暮らさない? 今度はこの人も入れて5人で」
「そうだよ、また皆でトランプしようよ」
「お絵かきも!」
父親も頷いてくれていた。
でも、僕は、さっきから僕という存在そのものが軽くなっていくのを感じていた。
そもそも僕の意識がなぜ、この家に蘇ったのか。それはきっと、父親のいない寂しさや悲しさに僕の魂が共鳴したんだと、直感していた。
だから、その寂しい気持ちが無くなった今、この人たちとは一緒にはいられない。
それに僕はもう十分すぎるくらいにこの世での役割を果たしたと思う。
どんどんと薄らいでいく意識の中で、最後に僕は、机の上に置いてある鉛筆を握った。
『ありがとう、さよなら』
2つの単語だけの、短い手紙だったけれど。
きっと思いは伝わったと思う。
一緒に過ごした時間が、僕にそう確信させていた。
僕の人生は、とてもハッピーエンドと呼べるものではなかったかもしれない。
でも、最後にこういうエピローグがあっても、いいだろう。
ハッピーエンドなエピローグ 園長 @entyo
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