第45話 持久走
「悠花、あのね、落ち着いて聞いて欲しいんだけど。ショッピングモールにドーナツ屋さんあるでしょ、悠花の好きなお店。あそこ、パン屋さんになるんだよ。商店街の鯛焼き屋は二重焼き屋になって、僕の家の救急箱は消防車と同じ赤色に変わる……そういえばあの救急箱、最初に悠花を助けた時に見たな。ほら、野鳥を見る会の貸切バスに悠花を送り届けた日、転んだ悠花に豆腐屋のおばさんが救急箱持ってきてくれて……悠花、聞いてる?」
返事はない。
ピッ、ピッと無機質な音だけが響く静かな部屋。白い壁にベッド脇のテーブルに向日葵の花、広い窓から降り注ぐ暖かな日差し。
窓を開けたらいい風が入って来そうだけど、勝手なことはしちゃいけない。
わかってる、僕にはなにもできない。
「ドーナツ屋さんの代わりにできたパン屋さんはパフェが美味しいんだ。悠花もきっと好きになるよ、今度一緒に行こう。随分先に、二年後になるけど一緒に、行こう」
きゅっと手を握ると、ぬるいと表現できるような温度が伝わってきた。
僕より随分小さな、悠花の手のひら。
「不思議に思うよね、なんで僕が二年後のお店のことを知ってるかって? 未来人だからね、『僕』は」
このまま目を覚まさなければ病室が変わるらしい。何もない無機質な、コンクリートだけの部屋。
賑やかなことが好きな悠花はきっと、寂しいと感じるだろう。
「僕は会いにくるけどね。悠花に、毎日ずっと会いにくるけどね」
ポタッと、僕の涙が悠花の眠るベッドのシーツを濡らした。
悠花が入院して二週間、いつものように眠りについた悠花は翌日になっても目を覚さなかった。
その状態が続いて二日、二度と意識を取り戻さない確率が高いと聞いた。
最後に話したのは一昨日だ。
交わした言葉はなんだったっけ?
僕は悠花になんて言ったっけ?
何を言ってもらったっけ?
思い出せないまま、ぎゅっと悠花の手を握りしめた。
なにがどうしてこうなった?
僕は頑張っていたのに、頑張ったのに。
悠花の病気の原因は聞いた、三年前のことだ。小学校五年生のとき、風邪を拗らせた悠花は三ヶ月間入院して、大規模な手術も行っていたらしい。
その時の後遺症が、今になって現れたと。
小学校五年生の三ヶ月間……悠花の牽制がないからクラスの女子にチヤホヤされてた、第一次モテ期の時だ。
悠花が大変な時に僕は浮かれて、お見舞いにだって、母さんと一緒に一度行ったきりだった。
あの時にちゃんとお見舞いに行っておけば……いや、お見舞いに行くだけじゃダメだ、後遺症の可能性を伝えるんだ。
誰に言えばいい? 悠花の両親? それとも医者に直接?
でも当時の僕は小学五年生で、そんな子どもの話を真面目に聞いてくれるのか?
そうだ、看護師さんなら……。
どうして僕、悠花を救う算段を考えているんだろう。
どうして、あの時にタイムリープできると思ってるんだろう。
どうやったらあの時代に、小学生世界に行ける?
小学五年生の『ぼく』に、悠花を助けろと伝えることができる?
思い返せば、あの超常現象は奇跡だった。あり得るはずがない、過去を変えるなんて。
未来は変わる、自分次第で。だけど過去は、過ぎ去った出来事は決して変わらない。
それを後悔して、失敗を未来に活かすことで人は強くなれるのだから。
人生にやり直しが効くのならきっと、人は成長することをやめてしまう。
「ねぇ、悠花。これが結末なのかな?」
ゴールデンウィーク明けから始まった約三ヶ月間の超常現象。
必死に悠花を助けるべく翻弄した先の未来がこれなんて、あまりに酷すぎないか?
「……考えろ」
考えろ、考えろ考えろ。
僕にはそれができる。
できるから今、試練を乗り越えようとしている。
どうすればいい? どうすれば悠花を救える? いやそもそも、おかしくないか?
神様はなぜ僕にこの試練を与えた? 僕が乗り越えなきゃいけないことってなんだった?
悠花を助けること、それは結果だ。そうじゃなくてその過程……この先の未来で、僕に必要なもの。
今の僕が持っていなくて、手に入れなきゃいけないもの。
「……持久走」
その時の僕はたぶん、頭が冴え渡っていた。
過去、現在、未来、全てを体験したその記憶が、まるでパズルのピースのように繋がって一つの絵になった。
起きた出来事、言われた言葉、感じたこと。
全ての事象から今、僕が克服しなければならないこと。
「最後まで走る……完走、やり遂げることだ」
ばっと、悠花に目線を落とす。三ヶ月前よりも随分痩せて、瞳も閉じてしまった悠花。ツインテールは揺れない、全て切剃った髪の毛。
だけどなぜだろう、かわいいよ。
悠花はいつだってずっと、かわいかったよ。
「ゴールはここじゃない……だって僕は現状に満足してない、やり遂げたと感じてないんだから。まだ終わってない、僕がそう思うんだから、超常現象はまだ終わってないんだ!」
悠花の手は握り返してくれない。
だけどなぜか、先ほどより温もりがある気がした。
「でもどうすればいい? 今の状態で悠花を救うヒントなんて……」
考えろ、考えろ考えろ。僕は人間なんだから、その力があるんだから。
最後までやり遂げる。それが出来ると思って神様は、この試練を僕に与えた。
いや、僕じゃない……僕たちに。
「『僕』がいる」
大事なことだから、二回言う。
その時の僕は、頭が冴え渡っていた。
「僕は一人じゃない……『僕』がいるっ!」
そうだ、ずっとそばに、一番近くにいてくれたじゃないか。僕のためを思って、僕の幸せな未来を願って僕を変えようとしてくれた『僕』が!
高校生世界に行った僕の代わりに、この世界で僕を演じてくれていた『僕』が!
「悠花、待ってて。行ってくるから……ちょっと待ってて!」
握った手を離し、立ち上がった。
眠っている悠花の顔はとても綺麗だった。
いってらっしゃい、健くん。
病室を出る直前、声が聞こえて振り返ったが悠花はベッドの上で目を閉じたままだった。
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