第44話 最後の試練
* * * * *
「あのねっ、海に行きたいの!」
旅行雑誌をテーブルに広げながら、悠花が言った。
中二の夏休み。
リビングテーブルを挟んだ配置で僕と悠花が座り、キッチンには僕の母が立っている。
「あら、いいわねぇ、海」
シンクの水を止めた母がテーブルに近寄ってきて、旅行雑誌を手に取ってパラパラと中身を物色する。
澄み渡る大海原の写真の上に、[沖縄旅行]と印字された旅行雑誌。
母はにこりと微笑み、雑誌をテーブルの上に戻す。
「近場に海ってあったかしら?」
うん、わかるよ、母さん。なぜ悠花は、沖縄の雑誌を持って来たんだろうね。旅行にでも行くつもりなのかな? 僕と二人で?
お泊り旅行?
いくらなんでもそれは、許可してもらえないだろう。中学二年生の男女が、思春期の男の子と女の子が……。
「でも悠花ちゃん、体調は大丈夫なの?」
母の言葉に、雑誌を見ていた僕の手が止まる。
体調?
不審に思い、悠花を見つめると、取り繕うような笑顔で母を見上げていた。
「あ、大丈夫ですっ! えっと……」
ちらっと、僕を窺う。
「あっ」と何かに気付いた母が、「トマト、トマト食べましょうか! お庭で育ててたのがちょうど食べごろなのよ〜」と、誤魔化すようにそそくさとリビングを出て行った。
わかりやすすぎる……
嘘が下手くそだよ、母さん……
嘆息し、悠花を見ると彼女も困ったように眉毛をへの字に歪めていた。
「体調悪いの?」
僕が尋ねると、悠花は「うーん」と小さく唸り、観念して息を吐き出す。
「えっとね、最近なんか時々、高熱が出ることがあって」
「高熱? 最近っていつから?」
「うーん……ゴールデンウィーク明けから、時々学校休んでたけど」
「学校休んでた?」
「あっ、でも健くんとお休みかぶる日が多かったからラッキーだなぁって。あとはほとんど、土日だったし」
「そんなことはどうでもよくて……大丈夫?」
「うんっ、全然! 今はほら、すごく元気だから」
「今は元気でも先はわからないよね? 海はやめとこう」
「えっ、やだ! 行きたい!」
バンっと、悠花が机に手をついて身を乗り出した。
普段の彼女からは考えられない行動に、僕は首を傾げる。
「悠花?」
「健くんと一緒に海に……思い出を作りたいのっ!」
いつもより随分と声が大きい。
悠花自身も自分の声量に驚いたようで、恥ずかしそうに椅子に座り直す。
「近場のね、海でいいから、健くんと一緒に行きたいの。水着、用意しておくから」
「……水着」
悠花は何色を選ぶんだろう。黄色が似合いそうだな、幼児体型の小さな胸を包む淡い黄色の布に、それを支える紐のやつで、下は同じ色の腰紐のパンツで……。
邪な考えを吹き飛ばし、小学校時代の悠花を思い浮かべた。
紺色スクール水着に身を包んだ、可愛らしい女の子だった悠花。
「み、水着は、スカートタイプがいいんじゃないかなぁ!」
邪な考えを吹き飛ばすように言うと、悠花がキョトンと首を傾げた。
「健くん、スカートがいいの?」
「僕は紐タイプが好きだけど、僕以外のやつが見るのは嫌だなって!」
「紐タイプ? それって、大事なところ出ちゃわない?」
「ぴぎゃんっ! ゆ、ゆゆ悠花さんっ! なに言って……」
「そもそも、男の子の水着に紐タイプってあるの?」
「ん? ……んんんっ?」
どうやら、僕の水着を用意してくれるつもりだったらしい。
余計なお世話にも程がある。ていうか悠花さっき、「大事なところが出ちゃう」とか言ってなかった?
「あっ、それでね、その……わたしの水着は、健くんが用意してね?」
ぶっ飛んだ。
嘘だろ? マジで?
僕が?
「ま、ままま任せなよっ! 悠花に似合うラブリーピンクな水着を用意して……」
「あっ、わたしピンクより黄色の方が好き。セパレートのやつで、胸が小さいからそれを補強できるようなやつで、下はジーパン素材のズボンタイプがいい、かな?」
「…………」
自分で買いに行けよと思った。
だけど結局、海に行く日程を取り付けることはできなくて。
一週間後、自宅で突然意識を失った悠花は救急車で運ばれてそのまま入院することになった。
* * * * *
「あんたには黙ってたんだけどね」
悠花のお見舞いを終えて帰ってきた日の夕方。
神妙な面持ちで母が語り始めた。
「悠花ちゃん、夏休み前に病気が見つかったの」
そんなことは知らなかった。さっきだって、病室での悠花は元気そうで。
「夏休みが終わるまでには元気になるから」と言って笑っていた。
「たぶんね、もう助からない……みたいなの」
「…………え?」
理解できず、首を傾げる僕に、母は別の言葉を使って言い直す。
「夏休み終わるまでもたないだろうって」
「……いやいやいやいや、元気だったじゃん? 病院でも、顔色もそんなに悪くなさそうで」
「頑張って取り繕ってたのよ……すぐ退院できるような元気な子が、あんな景色のいい一人部屋に入院できると思う?」
「……悠花はかわいいから、いい部屋に入れたのかなぁーと」
「あんた、ちゃんとわかってるでしょ? 顔色だって、身体付きだって、一週間前にここにきた時と全然違う。たった一週間であんなに、変わるなんて」
母は両の手のひらで顔を覆い、大きくため息をついた。
指の隙間から、涙がこぼれ落ちる。
泣く準備なんかしていなかった。
顔を隠して泣く母を見つめ、僕はただ静かな部屋で漏れる嗚咽を聞いていた。
タイムリープは終わった。
悠花は助かった。
もう大丈夫……
誰がそう言った?
悠花は一ヶ月しないうちにまた、死ぬらしい。
ありえない。
だって悠花は僕が。
僕が諦めない限り死なない。
僕がいるのに。
だってそれなら、僕が今までやってきたことは何だったのか?
病気? もう手遅れ?
今度はどうやって助けたらいい?
僕はどんな対策を練って、悠花を救ったらいい?
神様は人に、乗り越えることができる試練しか与えないという。
神様は僕に、なにを求めているんだろう?
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