第39話 『僕』の好きな女の子
七月、中学生世界も高校生世界もテスト週間に入った。
その頃には超常現象に慣れてきて日常と化して、無事に勉強と両立することができた。
「ねぇ、あんた、英語苦手なのよね?」
テストが始まる前、後ろの席から僕の椅子を蹴り飛ばした香里が言った。
一学期の最中に席替えが一度あったが、僕と香里だけ席が変わらなかった。クラスメイトや先生までもくすくすと笑っていて、きっと何かの陰謀があったんだと思う。
「苦手ってほどじゃないけど」
「……勉強会」
「ん?」
「わ、わわたし英語、得意だから、あんたがどーしてもって言うなら、どーしても英語が出来ないなら! 教えてあげてもいいけど」
「いいよ。やろうか、勉強会」
「違っ! わたしは別にやりたくないの、面倒くさいしね! でもあんたがどーしてもって言うなら!」
「わかった。香里に面倒かけたくないからやめとこう」
「ちっがーうっ! そうじゃなくて、わたしがあんたに勉強を……一緒に勉強したいのっ!」
大声を張り上げる香里に、クラス中の視線が集まっていた。
真っ赤になって椅子に座り直す香里がかわいくて、思わず笑ってしまった僕の椅子を香里が再び蹴り上げた。
「場所どうしようか、僕の部屋来る?」
「へ、へ部屋⁉︎ 行ってもいいの? お家の方は?」
「お家の方って……香里、僕の母さんとは……」
違う。
未来が変わってるんだ。最初の未来とは違う、母さんと香里は仲良しじゃない。
「親は夕方に帰ってくるから」
顔を背けたせいか、香里が首を傾げた。だけどちょうどチャイムが鳴って、正面を向いた僕の背中に「わかった」と香里が返事した。
少し前に、香里にタイムリープの事実を伝えることができた。だけどなぜか、香里が悠花の事故原因を知ることはできなくて、それ以上相談することもできない。
曖昧なまま、僕らは日を重ねた。
香里はいい子だ、僕だって好きだ。だから僕は、『僕』を憎むことをやめた。もし僕が悠花を助けれたとして、悠花が死なない未来があるとして。
そうなったら『僕』と香里は、どうなってしまうのだろう?
勉強会自体はすぐ終わった。
もともと『僕』は英語が苦手ではない。中学二年生の僕は「ハロー」くらいしか知らなかったけど、どうしてこんなに頭が良くなったんだろう?
二年という歳月は時によって、それをどう過ごしたかによって、大幅に人を変える。
「ねぇ、あんた、数学得意よね?」
そしてたった一ヶ月で変わる人もいる。
香里は出会った頃より随分柔らかくなって、言葉より先に手が出る回数も減った。
「数学? あぁ、『僕』なら……」
「今回の試験範囲のとこ、ほとんどわからないの。教えて」
教えて……教えて、だって!
かわいいじゃないか、香里!
うん、かわいいってか綺麗なんだよね、この子。普通にしてたら本当に美少女で、私服を着るとその可愛らしい顔がゴテゴテの衣装の陰に隠れてしまうけど。
かわいいんだよ、香里は!
「どこ?」
「だから、このページの……」
ふと、互いの顔が近いことに気が付いた。吐息のかかる距離、どちらが動くと唇が触れそう……鼻先の距離は五センチもなかった。
僕の視線に気付いた香里が顔をあげる。はっと目を見開く香里だが、何かを決意したように唇を結び、そのまま動かなかった。
…………え、どうしよう、これ。
そういう雰囲気、たしかにそうだけど、でも。
「あ、そこね。えぇーっと」
すいっと顔を背け、参考書に向き直る。
その場から動かない香里が、目線だけで僕を捉えた。
「あっ、飲みもの! お茶とってくるよ!」
微妙な空気に耐えきれなくて、空になったグラスを二つ持って立ち上がる。
「香里はミルクティーが好きだよね、冷蔵庫に」
「ミルクティーが好きなのは、悠花でしょ?」
「え? あ、そっか、香里はストレートじゃないと飲めない……」
失言に気付いて視線を落とすと、香里がうつむいていた。
ぎゅっと、握った拳が小さく震える。
「わたしまだ、告白の返事もらってない」
なんだろう、デジャブだ。
同じことを二年前、中学生世界でも言われた。小雪に、口論した時に、「返事をもらってない」と。
「香里……えっと、前も言ったけど、僕いま、超常現象の渦中にいて」
「いつ終わるの?」
「いつ?」
「その超常現象、いつ終わるの? それが終わったらあんたはわたしの彼氏になってくれるの?」
「それは……」
高校一年生の『僕』ならイエスと即答するかもしれない。だけど僕は中学二年生で、悠花のことも好きで……
悠花のこと、も?
「なんでそんな、嘘つくのよ」
「嘘?」
ガタンっと、香里がテーブルに手をついて立ち上がった。わけがわからず、僕はグラスを両手に持ったまま香里を見つめる。
香里の目には涙が滲んでいた。
「わたしのことが好きじゃないなら、正直にそう言えばいい!」
「えっ? 好きだけど」
「でもあんたは幼なじみの子が一番なんでしょ? 今はもうこの世にいないのに」
「いや、だから、今はいないけど。そのために僕は、タイムリープして……香里、もしかして、信じてない?」
ぽろっと、香里の目から涙がこぼれ落ちた。
僕と目を合わせようとしないまま、話を続ける。
「本当なんだよ。僕、本当は中学二年生で……」
「前に聞いた! 明日のあんたは高校一年生で、一日ごとに入れ替わってるんでしょ?」
「うん……」
「信じたいけど、でも、わたしには違いがわからない。昨日のあんたも今日のあんたも一緒に見えるし、なんか記憶が曖昧で……過去と今のあんたの違いも、わたしには全然、わからない」
「……知識というか常識というか、そういうのは共有してて、意識だけ? 別世界に飛ばされてる感じで……」
「だから、それの意味がわかんない!」
「えぇっと……僕もどう説明していいかわからないんだけど」
「それでだから、超常現象はいつ終わるの?」
香里が僕を見て、目線がぶつかった。
今度はそらさない、互いにじっと見つめ合う。
「その現象が終わらない限り、あんたはわたしと付き合ってくれないんでしよ? それ、いつ終わるの? 幼なじみの子の命は、いつ安全になるの?」
「いつって……」
「もしそうなった場合……北川悠花が生きてる未来が実現された場合、あんたはわたしを、彼女にしてくれるの? わたしよりその子が好きだから逃げてるだけでしょ!」
ズキッと、胸に何かが突き刺さった。それと同時、香里の目からポロポロと涙がこぼれ落ちる。
香里は涙を拭うことなく、口元を手で覆った。
「ごめん……こんなこと、いうつもりなかったのに……帰る」
「えっ、まって……香里、待って」
「うるさいっ!」
バッチーンと、香里の手のひらが僕の頬を叩いた。
久しぶりの感覚、両手に持っていたグラスが床に転がり落ちて、僕の身体が弾け飛ぶ。
「帰るっ! 勉強教えてくれてありがとうっ!」
律儀にぺこりと頭を下げ、香里は部屋を出て行った。
階段を駆け下りる音が聞こえて、玄関の閉まる音が大きく響いた。
「間違ってる……」
勉強を教えてもらったのは僕だ。まぁ別に、教えてもらう必要なんかなかったけど。
僕は勉強なんか教えていない、途中で中断したから。
「まちがってる」
手のひらで目元を覆い、ため息をついた。グラスに残っていたお茶がポタポタと床にこぼれ落ちで、掃除をしなければと思った。
高校生世界の『僕』の部屋は綺麗だから。『僕』は綺麗好きで勉強もできてかわいい女の子に好かれてるかっこいいやつで……。
二年間でなにが『僕』をそうさせたかって?
悠花だ。悠花がいなくなってから僕は変わった。部屋のものをほとんど捨てて、ひたすら勉強して頭のいい高校に進学した。
僕が悠花を助けるたびに未来は変わっていく。僕の未来はいったい、どうなっているんだろう。
この超常現象はいつ、終わるんだろう?
一キロ五分の持久走さえ完走できない僕は、最後までやり遂げることができるのだろうか?
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