第36話 命を救う、その代償


 翌日、高校生世界は六月十七日の金曜日。

 僕は学校を休んだ。

 出席日数ってどうなってるんだろう。僕がこの世界に来るようになってから、休み過ぎてないか?


「……ざまあみろ」


 知っちゃこっちゃない。

 むしろ『僕』は僕の敵だ、ざまあみろっ!


「ゲホッ、ゴホッ」


 感情が昂ぶると咳が出る。はぁーっと息を整え、時計を見た。

 午後一時十五分。母さんが帰ってくるまであと三時間ちょっと……それまでに休んでおこう、そして聞かないと。

 明日もまた、悠花を助けないといけないから。


 目を閉じるとすぐに眠りについた。超常現象の渦中にいる僕にはやはり、睡眠が必要らしい。

 そういえば『僕がいる』ノート、最近開いてないな……書き込まないと、記録しないと。


 なんのために?


 そもそもあれ、なんで書き始めたんだっけ?

 あぁ、やっぱり僕はダメだ。


 なにをやっても長続きしない。





 昨日は昼寝から覚めても身体が怠くて、悠花の死因を聞いてすぐにまた眠りについた。

 次に目を覚ましたらカーテンの隙間から光が差し込んでいて、日付が変わっていた。

 重い身体を這いずってベッドから降り、時計を見ると八時前だった。


「八時?」


 現実が信じられなくて、瞬きをしてもう一度時計を確認する。

 秒針がカチッと、十二を通り過ぎて行った。


「あ、あ、あ……ゆうか、悠花!」


 寝巻きのまま部屋を飛び出し玄関へ、靴も履かずに住宅街を走る。

 母の声は聞こえなかった、そんな余裕もなかった。


 悠花、ゆうか……ゆうか、ゆうか悠花!


 住宅街から大通りへは一本道だ、行き違うはずがない。

 見えない、どこにいる?

 どこまで行ってる?

 事故が起きた詳細な時間は?

 まだ、間に合うのか?


 ぱあっと太陽の光が視界に広がる。

 それと同時、僕は横断歩道を渡ろうとした悠花の腕を掴んだ。


「あれっ、健くん! 偶然だね、おはよう……どうしてパジャマなの?」


 首を傾げる悠花の背後を、赤信号を無視した軽自動車が通り過ぎて行った。


「まに……間に合っ……間に合っ……」


 緊張が緩んだのか、途端、足の裏が痛くなった。素足で走ってきたから、アスファルトの熱と摩擦で皮が剥けていた。

 息が苦しかった、酸素を吸い込むのに精一杯だ。視界だって悪い、涙で霞んで……涙?


 ボロボロと、大粒の涙がこぼれ落ちた。もちろん悠花ではない、僕のものだ。

 油断するとハラハラ、はらはらと、目尻から涙が伝い落ちる。


「う、うぅ……うわぁぁぁあ!」


 悠花の手を握りしめたまま、その場にうずくまって悲鳴を上げた。

 間に合ってよかった、悠花を助けることができてよかったという喜びの感情……たぶん、それではない。

 苦しかった、哀しかった。

 僕はいつまでこんなことを続ければいい?

 なぜ、『僕』は協力してくれない?

 どうして僕一人で、ずっと、走り続けて……


「あぁぁぁあ! うわぁぁぁあ!」


 周囲の人が心配そうに近寄ってきたが、僕を見つめるだけで何もしてくれなかった。

 悠花はもう、僕の背中を撫でてはくれなかった。



* * * * *



 神様は、その人が乗り越えれる試練しか与えない。


 じゃあ僕の今の状況は……神様は僕に、何を求めているのだろう?


 この超常現象の先になにがあるのか。


 僕の課題はその答えを見つけることなのかもしれない。


 自分が何を言っているのかわからない。


 僕は変わった。


 僕は『僕』が、僕のことすらわからない。




○ ○


 六月十九日、日曜日、高校生世界。

 今日は学校に行かなくてもいい、休むって連絡しなくてもいい。

 身体がだるい、寝たい。

 だけど悠花の話を聞かないといけない。

 頑張らないと、僕が頑張らなきゃダメだ。


○ ○


 六月二十二日、月曜日、中学生世界

 一時間目の授業回避、助かった、もう大丈夫。

 僕の使命終わり。


○ ○


 六月二十一日、火曜日。

 また高校を休んだ。

 ざまあみろとか思ってるんだろうな、馬鹿。


○ ○



* * * * *




 中学生世界の六月二十四日、水曜日。

 今週はちゃんと図書委員の仕事してくれと担任教師に言われた。小雪は月曜から休んでいるらしい。

 気が付かなかった、僕はあの時以来、小雪に会っていない。

 あの時……告白の返事をした日。


 はっとして、教室を出ようとしている先生の腕を掴んだ。

 引き止められた先生は怪訝な顔をして、僕を見下ろす。


「どうした、長束」

「小雪は……西岡さんはどうして、お休みなんですか?」

「熱が下がらないらしい。先週の土曜に体調を崩して、今朝もまだ治ってないって」

「……猫、猫に噛まれたとか言ってませんでしたか?」

「猫? そんな話は聞いてないが」

「お見舞い……お見舞いに行ってもいいですか? 西岡さんの家の住所教えてください」

「住所? 悪いが今は個人情報とかうるさくてなぁ」

「プリント届けますよ!」

「今日は配布するプリントないぞ?」

「じゃあなにか……あっ、いや、放課後はダメです。僕、用事あるんで、放課後は学校に残らなきゃいけないから無理なんだけど、放課後が終わってから……」

「なに言ってんだ、長束。とにかく住所は教えれないからな。さっさと授業の準備しろ」


 僕の腕を降り払い、担任教師は廊下を歩いて行ってしまった。

 高熱が続く体調不良……悠花の時は、悠花が猫に噛まれてそれが原因で死んだ時は、どんな症状だったんだっけ?

 いや、僕が知るわけない。

 この世界では悠花は助かったんだから。


 悠花が助かった、その代償は。


 途端、吐き気がして口元を手で押さえた。

 馬鹿な、だってまさか……あの時たしかに、小雪と一緒に猫を見た。小雪と口論になって、激昂した僕が公園を飛び出して……その後は?

 小雪はしきりに、猫のことを気にしていた。


 僕のせいだ。

 僕のせいか?

 僕が悪いのか?

 

 どれも違う。


 僕じゃない。

 悪いのは『僕』だ。


「長束、こんなところで何やってる?」


 突然の声に振り返ると、美術部顧問の先生が僕を見つめていた。


「三組は今から音楽だろ? 早く移動しろ」

「……はい」


 しかし一向に動こうとしない僕を不審に思ったのか、美術部顧問の先生は首を傾げ、僕の肩を叩いた。


「また未来でも見てきたか?」

「……未来人なんて、なんの役にも立ちませんよ」

「ん? あぁ、そうだな。未来は変えられるからな」

「先生、僕……間違えたかもしれません」


 僕の言葉に、美術部顧問の先生は宙を睨んでため息を吐いた。


「お見舞いに行くか、今から」

「……え?」


 顔を上げると、美術部顧問の先生は困ったように微笑んでみせた。

 日焼けしている黒い肌から、白い歯が覗く。


「俺、午前中は授業ないから。西岡のお見舞い、一緒に行ってみるか?」

「え? ……え?」

「悪い、さっきの話聞いてた。放課後は大事な用があるんだろ? だから、今から行くか?」


 そういえば小雪は美術部だったと、今になって思い出した。

 美術部顧問の先生の歯が白く輝いていて、この人マジイケメンと妙なことを考えてしまった。

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