第32話 回避大作戦パート2–1



 朝、目を覚ますと時計の針は八時を過ぎていた。

 

「やばっ、寝過ぎたぁ!」


 慌てて起き上がり、階段を駆け下りる。焦っていたせいで足がもつれ、ズダダダダっと五段ほど飛ばして床に転げ落ちてしまった。


「ちょっとあんた、なにやってんのよ!」


 リビングから母が飛び出てきて、その背後で父が「大丈夫かぁー?」と尋ねてくる。

 なんだろう、デジャブ?

 父さん、異様に老けてないか?


「……『僕』の世界だ」


 一日過ぎて、どうやらまた高校生世界にタイムリープして来たらしい。

 もう終わったと思ったのに、悠花は助かったのに。


「そうだ、悠花……悠花に会いに行ってくる!」


 昨日の出来事が今日という未来に繋がっているなら、悠花の命は助かったはずだ。

 未来は変わっている、悠花は生きてる。

 そう思って靴を履く僕の腕を、母が掴んだ。


「なに言ってんの、あんた」


 ぎゅっと、掴まれた二の腕が痛かった。


「悠花ちゃんに会いにって……お線香でもあげに行くの?」

「…………え?」

「それなら来週の水曜にしなさい、その時でいいでしょ?」

「来週の……水曜?」

「二年目の、命日でしょ?」


 母の言葉を、僕は呆然と聞き流した。


 未来は変わった。

 だけどそれは僕の予測していたものではなく、悠花の寿命が二日伸びただけの世界だった。





 新しい事故の内容は、学校の手すりが壊れて三階の廊下から落ちたことによる転落死だった。

 後の調査によると危ないと感じていた生徒は何人もいて、たまたま悠花がその手振りに触れた時に崩れ落ち、犠牲になった。


 それが五月二十五日。


 日を跨ぐことでちゃんと中学生世界に戻れるのなら、明日の出来事だ。


「なんで悠花が……なんでだよ」


 せっかく助けたのに。タイムリープだってもう終わりだと思って……僕が守ったと、そう思ったのに。

 カーテンを閉じたまま一人、机上に伏せて考えた。向かい側の家のカーテンがどうなっているかは確認しなかった。

 見なくてもわかる、どうせなにも変わっていない。


「とにかく明日だ。特別教室へ行く時の渡り廊下……たぶんあそこだ。わかる、大丈夫。その手すりをなんとかすればいい、大丈夫」


 独り言になろうが、喋っていないと気が落ち着かなかった。

 母が「お昼ご飯どうする?」と階下から叫んだが無視して、気が付いたら机の上で居眠りしていた。

 時計の針は九時を指していて、外は暗い。

 食事は摂っておくべきだ、『僕』のために。そう思って階段を降りている途中でふと、あることに気が付いた。


「中学生世界には今、『僕』がいるんだよな? じゃあ、手すりをなんとか……」


 いや、出来るわけない。昨日は土曜日だったから今日は日曜日だ。

 タイムリープが始まってからというもの、睡眠時間が増えた。というか、夕方になると眠気が酷くて気付いたら朝というパターンが多い。

 僕と『僕』が中学生世界と高校生世界を行き来していることに、なにか関係があるのだろうか?

 そういえば最近、『僕がいる』ノートになにも書き込んでないな。

 ちゃんと考察しなきゃ。

 そう思うがその日も例に漏れず眠気が襲って来て、十時にもなっていないのに僕は眠りについた。





 翌朝のカレンダーは月曜日になっていた。中学生世界、父の顔や髪もちょっとだけ若い。

 淡々と身支度を済ませ、淡々と家を出た。悠花の部屋のカーテンが微かに動き、相変わらず変わっていないことに安堵し、流れ星に誓った僕のストーカーをやめるという願いはどうなったのかとも思った。


「健くん、おはようっ!」


 ポテポテと鳴る足音が立ち止まり、振り返ると悠花がいた。

 いつも通りの弾けるような笑顔、ふわりと揺れるツインテール。


「あのねっ、今日はね……偶然じゃないよっ!」


 意味のわからない言葉に、学校への歩みを止めないまま耳を傾ける。


「健くんが玄関から出てくるのがね、わたしの部屋から見えたから。だから、追いかけてきたの! 今日の出会いは必然だよっ!」

「……必然って」


 必死に叫ぶ悠花の様がかわいくて、思わず吹き出してしまった。

 キョトンと惚けていた悠花だが、しばらくして顔を真っ赤に染めて僕の胸をポカポカと叩いた。


「わ、笑わないでよぉ、健くん!」

「だって今日の出会いは必然って……それ以前に、今までだって……」


 毎朝僕のこと見張ってたじゃん。と、その言葉は飲み込んだ。

 悠花はたぶん本気で、僕にバレていないと思ってるんだ。どうしたらそんなに鈍感で、ポジティブになれるのだろう。


「悠花、僕ちょっと今日、学校でやりたいことあるから急ぐよ」


 そう言って足を速めると、悠花は「うんっ」と僕の歩幅に合わせて小走りになった。


「健くん、学校でなにか用事があるの?」

「うん、すごく大事な用事」

「なに?」

「悠花には秘密」

「えー、なに?」

「秘密だけど、悠花のための用事」

「? えっ、なに?」


 それ以上は答えなかった。

 ひたすら足を進め、二十分経たないうちに学校へ着いた。下駄箱で悠花に別れを告げ、僕は鞄を持ったまま教室とは反対の方向へと向かう。


 どこって?


 行き先なんて決まってる、渡り廊下だ。

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