第30話 回避大作戦5 〜バスの運転手〜
*
結論から言うと、貸切バスには間に合った。
いや、間に合ったというか無事に乗れた?
爆走自転車のペダルを漕ぎ、中学校の門を潜った僕は華麗にドリフトを決め、大型バスの前でブレーキを強く引いた。
……うん、正直にいうと、初動のブレーキ効かなかった。やばいと思って強くブレーキ引いて足をついたら、バスの目の前に飛び出してしまった。
死ななくてよかった。止まってる車にぶち当たったら、いくら自転車でもこっちが百パーセント悪いことになるらしい。
「こらぁ、おまえら! あっ、三組の長束! おまえ成績も悪い上にこんな……」
僕らを追いかけてきたのは、美術部の顧問である三十代の男性教師だった。元アメフト部ですか? という程のゴツい筋肉質の身体。
なぜ運動部でなく美術部の顧問なのか、どうしたらそんなムキムキの身体で繊細な水彩画が描けるのか。
一度深く語り合ってみたかったが、今はそんなことどうでもいい。
「バスは……貸切バスはまだ間に合いますか!」
「バス? あぁ、北川がまだ来てないから、九時半まで待とうってことで……あっ、北川! おまえやっと来たな! さっさと乗り込め、すぐに出発するぞ!」
そんなわけで無事、悠花は貸切バスの中へ詰め込まれて行った。
「よかった……」
これで僕の使命はクリアだ。
悠花の命は助かるし、願いも叶えてあげられた。
万歳……モテ期、万歳!
だが安堵したのも束の間、貸切バスの扉が開いて美術部顧問の先生が降りてきた。
「…………ん?」
なに? えっ、どうしたの?
なんで今、バス降りたの、この先生。
美術部顧問の先生がぺこりと頭を下げると同時、扉が閉まってバスが出発した。
……まさか、まさかまさか!
後ずさる僕に、美術部顧問の先生の視線が向けられる。
ふいっと顔を背けると、バスの中に座っている小雪と目があった。
あ、そっか。小雪もこの会に参加するって言ってたな。小雪からこの話聞いたんだけど……あぁ、そうか。あれ、『僕』が仕向けたのか。
野鳥を見る会について、僕が意識するように、『僕』が仕組んでいた……。
しかし思慮するまもなく、近寄る影が僕に怒声を浴びせた。
「くぉらっ! 長束! おまえってやつは……」
どうやら先生は、僕に説教をするためにわざわざバスを降りたらしい。
嘘でしょ? と思うが彼は本気で、僕を説教するために一人、遅れて現地に向かうことになったという。
「先生あの……野鳥を見る会には、行かないんですか?」
「あぁ? いいんだよ、後で市営バスで現地に向かうから。それより長束、おまえは本当に……」
え? いま何て言った?
市営バス?
「……いやぁ、市営バスはちょっと、やめておいたほうがいいんじゃ……」
「口答えするな、長束!」
聞く耳を持とうとしない美術部顧問の先生。降り注ぐ説教を右から左に聞き流し、僕は考えた。
これはもしかしたら……僕の使命はまだ、終わっていないかもしれない。救護対象がか弱いかわいい女の子から、暑苦しい筋肉質のおじさんに変わっただけで、市営バスの事故を防ぐという使命は……暑苦しい筋肉質のおじさん?
自分の身くらい自分で守れるんじゃね?
脳裏によぎった邪な考えを押し殺し、僕は市営バスを止める算段を必死に考えた。
*
たった十分の説教を終え、美術部顧問の先生は学校を出て市営バス乗り場へ向かった。
「先生、車持ってないんですか?」
「ないからバスに乗ろうとしてるんだろ。長束、おまえどうして着いてきてるんだ?」
「僕、バスに乗りたくないんですよ」
「心配しなくても、おまえは置いていく。今日の名簿にないからな」
「先生にもバス乗って欲しくないんですよね」
「なんでだよ」
どう話していいかわからない。
今から乗るバスが事故を起こすかもしれないと叫んでも、先生は聞く耳持ってくれないだろう。いや、叫んだら立ち止まってはくれるかな?
変人扱いされて終わりかもしれない。
うまい策が見つからないままバス停に着き、すぐ近くにバスが近寄って来ていた。
遠目で車内を確認するが、乗客はいないっぽい。
もしかしたら事故を起こすのと違うバスが来るかもしれないという期待は消え失せた、該当のバスだ。
「じゃあな、長束。いい子にするんだぞ」
幼児に言うような台詞を吐き、先生はバスに乗り込もうとした。
僕は咄嗟に、彼の腕を掴む。驚いた形相の先生と目があって、しばらくじっと見つめあった。
「い、行かないであなたっ!」
「…………はぁ?」
咄嗟に思いついた言葉だったが、これはちょっと……教師×生徒の禁断ボーイズラブっぽい展開になってしまったかもしれない。
うん、いいな、それ。
それでいこう!
「僕を捨てるんですかっ! 僕を捨てて違う女(の先生)が待ってるところへ行くんですか!」
「な、ななななに言ってるんだ、おまえ」
「そんなの嫌です、行かないで! 僕を置いて行かないで、バスに乗らないで!」
「おいっ! 長束っ!」
『すみませーん、乗るんなら早くしてくださーい』
車内スピーカーに運転手さんの声が鳴り響く。
たぶんその時の僕は、頭が冴え渡っていた。
違和感……そうだ、このバスはガードレールを突き破って崖から転落するという大事故を起こす。普通ならほとんど有り得ないことだ、なぜそうなった?
理由があるはずだ、なにか理由が……。
思わず、バスに飛び乗った。
「長束?」
呆然とする先生の背後でバスの扉が閉まる。
ダメだ、発車する前に……僕は駆け足で、運転手の元へ向かった。
「体調大丈夫ですかっ?」
運転席を覗き込むようにして問いかける僕の声に、少し太り気味の男性運転手が「はぁ?」と首を傾げる。
「なに言ってるんですか? 発車するんで、座ってください」
視線を逸らした男性運転手の顔は、肉付きが良い割に青白くて、僕の知っている中肉中背成人男性よりも随分と不健康そうだった。
まぁ、それ、僕のお父さんだけど。
「ダメです、発車しないでっ!」
運転席横のレバーを引こうとしている男性の手を僕の手が掴む。
ぎょっとした運転手の男性が、僕を睨みつけた。
「何すんだ、あんたっ! 危ないだろ」
「……昨日、お酒飲みました?」
もう一度いう。
その時の僕はたぶん、頭が冴え渡っていた。
「はぁ? 飲んだけど……午後七時には飲み終えてるし、朝のアルコールチェックだって引っかからなかった。問題ねぇよ」
僕の手を払い除けようとする運転手の手をもう一度握りしめ、彼に顔を近づけた。
わからない。
僕にはアルコールの基準値とかどれだけ飲めば酔ってるとかわからないけど、微かに……さっきの男と同じ臭いがした。自転車を貸してくれた、商店街で倒れていた酔っ払いの男と同じ臭いが。
そういえば自転車、学校に放置して来ちゃった。
「でも、体調悪いですよね?」
「だから大丈夫だって」
「アルコール消えてても、体調悪いなら運転しないほうがいいですよ!」
「未成年がなに言ってんだよ! ちょっと頭痛いだけで、他はなんともねーよっ!」
「頭痛いんじゃないですかっ! ストップ、運転やめてください、ストップ!」
「うるせーなっ! おまえの声が頭に響くよ!」
「それなら運転やめてください! バス止めて!」
肩を掴んで揺さぶると、不機嫌そうな顔をした運転手が鬼の形相で僕を睨んだ。
持久走も完走できない貧弱な僕よりも随分と力が弱い……
「長束! さっきから何やってんだ!」
美術部顧問の先生に襟首を掴まれた僕は、ぐいっと引っ張り上げられ運転席から離された。
「ったく、おまえは!」
そして再び説教が始まる。と同時、面倒くさそうにため息をついたバスの運転手が口元に手を当てて項垂れた。
「うっ……おぇぇ」
そしてその場で嘔吐。僕と美術部顧問の先生は唖然と動きを止め、辺りに飛び散るバス運転手の吐瀉物を眺めていた。
キラキラして綺麗だとか……いや、詳細な描写はしないでおこう。
「だ、大丈夫ですかー!」
「おい、長束、消防車……外にいる人に頼んで消防車呼んで来いっ!」
消防車? 火事ですか? 救急ですか?
わけがわからず僕はバスの外に飛び出した。
振り返ると、エンジンをつけて停車したままのバスが見えて、何故だか怖くなった。
今度は振り返らず、周囲にいる人に声をかける。
「だれか、誰か助けてくださいっ! 110!」
無我夢中だったが、側から見れば映画の撮影かなにかと勘違いされただろう。
それ程までに僕の懇願は演技じみていたらしい。
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