第29話 回避大作戦4 〜踏切〜
手当ては一瞬だった。
大きめの絆創膏を貼ってくれたおばさんにお礼を言い、再び手を繋いで商店街を抜ける。
時刻は午前九時二分、走っていけば間に合うかもしれないが悠花は怪我をしている。
絶望的だった。
「もういいよ、健くん……」
カンカンカンと鳴る踏切の音の隙間から、悠花の声が聞こえた。
僕たちの家から学校へは二十分で着く、普通に、順調にいけば。
だけどそれには大きな障害が二つあって、一つは先ほどクリアした大通り。歩車分離式のため、信号が赤から青に変わるまでに三分はかかる。
まぁ、それは想定済みだ。
問題はこっち、線路を越えるための踏切。一度遮断機が降りると再び道が開けるまで五分はかかる。
一日張り付いて記録を行ったヒマなやつに寄ると、十分以上開かない時もあるという。一日張り付いてなぜそんな曖昧な統計で終わったのかは、僕にはよくわからないけれど。
救済措置として、というか普通に、歩行者用の陸橋があるけど、今日に限って工事中で渡ることができなかった。
「わたしもう、野鳥を見る会、諦めるっ」
うるうると目を滲ませる悠花が、唇を噛んでいった。
踏切を待っている間、僕は妙に冷静になっていた。踏切警報機には精神安定効果でもあるのだろうか?
うん、絶対違うと思う。
とにかく僕は冷静になって、そして思った。
なんで僕ら、野鳥を見る会にこんなに必死になってるんだろう?
あ、そっか、悠花が一人立ちするとかなんとかで……いや、別に、違うことで一人立ちすれば良くない?
なにも今日、がんばらなくても……。
その時さぁっと、眼前を電車が通り抜けた。動体視力はそんなによくないのになぜか、電車に乗っている人の影が車窓からくっきりと見えた。
窓の外を見つめる人、うたた寝している人、本を読んでいる人、たくさんの様々な人が一つの箱に閉じ込められて、個々様々に過ごしていて。
彼らはいったい、どこに向かっているんだろう。
僕はいったい、どこへ向かいたいんだろう?
悠花は今日……なにを決意したんだっけ?
「いこう、悠花」
踏切が開くと同時、僕は悠花の手を握って走り出した。呆気にとられた悠花だが、すぐに笑顔を浮かべた。
しかし走り出す直前、足がもつれて転びそうになる……まずい、このままじゃ……遮断機が!
慌てて悠花を抱き上げ、お姫さま抱っこの形で踏切を渡った。集まる周囲の視線、注目される僕たちの二人。
恥ずかしい……いや、それよりも、重いっ!
踏切を渡り切るので精一杯だった。悠花を下ろし、息を整える。
体力が……いや、筋力が圧倒的に足りてないっ!
情けない話だが、これが僕の限界かもしれない。時計の針は九時十分を指していた。
時計の針は九時十分を指していた。もうダメだ、ゲームオーバー……いや、これでいいんだ。本来の目的は悠花を市営バスに乗せないことだから。
香里のお兄さんは車が運転できるから、頼んで……だから、今は中学生世界だって。香里とは知り合ってない。
あぁ、もう、なに言ってるんだろう、僕……悠花を、野鳥を見る会に、願いを叶えてあげたかった。
「……元気になぁれ、元気になぁれ」
ふわっと、僕の背中に手のひらが乗った。上から下に、上から下に、僕の感情を外へと押し出す。
振り返ると、寂しそうに微笑む悠花と目があった。
「ありがとう、健くん。わたしはもう、大丈夫だよ」
なにが……なにが大丈夫なのか。あんなに行きたがってたじゃないか、野鳥を見る会に。
『僕』と僕の反対を押し切ってまで。その願いが叶えられないとわかったのに、悠花は……
「悠花、僕……」
「あのぉ、もしよかったら、これ貸しましょうか?」
僕の声を、聞き覚えのある男の声が遮った。顔を上げると、僕たちのすぐそばに、先ほど酔っ払って倒れていた男がいた。
真っ赤なママチャリに跨って、地面に座り込む僕たちの顔を覗き込む。
「話聞いてたら、急いでどっかに行きたいみたいな感じだったので」
もう一度いう、男は自転車を持っていた。
後ろの荷台に人が乗れそうな……二人乗り出来そうな真っ赤なママチャリを。
「さっきのお礼に、よかったらこれ、使ってください」
なんという偶然! いや、必然かもしれない!
さっきこいつを助けたから、それが巡り巡って僕の幸運に返ってきて……そもそもこいつが酔っ払って倒れてなきゃ、もう学校に着いてただろうけどねっ!
全部どうでもいい、許すっ!
人助けはするもんだ、自分のためにっ! うん、悪いけど僕は偽善者を装う気はないから、本音を高らかに叫ぶよ。
自分の利益のために、人助けはしておくべきだっ!
一つ忠告しておくと、君たちの世界では自転車の二人乗りは違反だから、くれぐれも真似しないようにっ!
「ありがとうございますっ!」
男から自転車を奪い取り、悠花に荷台に座るよう促した。
ちょこんと横向きで座る悠花が、フィギュアみたいでかわいい。
「あ、使い終わったら四丁目の⚪︎×アパートの前に置いといてね、その自転車! お願いだよ!」
「かしこまりですっ!」
ペダルを踏み込むと、「それ、わたしの真似っ!」と悠花が嬉しそうに笑った。
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