第28話 回避大作戦3 〜豆腐屋のおばさん〜
ズザザザザッと地面を擦る気持ちの悪い音。
うつ伏せに倒れ込む悠花。
「いたたたた」
起き上がった悠花の膝のジーパンが破れて、血が滲み出ていた。
「まぁまぁまあ!」
偶然だろう、それを見ていた豆腐屋のおばさんが僕たちの元へ駆け寄ってきた。
「あらあら、擦り剥いちゃったわねぇ。歩ける? こっち来て洗いましょ?」
おばさんが悠花の手をとるが、悠花は立ち上がろうとしない。
どこかを捻ったのか、それとも痛みでまだ動けないのか。
「痛いの?」
「あ、はい……」
「じゃあ、ここで待ってて。消毒液持ってくるから」
そう言って、おばさんは店の中へ戻って言った。茫然とその様子を見ていた僕だが、はっと我に返り悠花を見た。
滲む血を手のひらで押さえていた悠花が、僕の視線に気付いて顔を上げる。
「大丈夫だよ! 今は痛くて腰抜かしてるけどちゃんと歩ける、野鳥を見る会には行けるよ!」
この子はいったい、何を言っているのだろう?
野鳥を見る会? 強制参加じゃあるまいし、内申点にも関係しない。そこまでしていく意味があるのか?
怪我してまで、僕の反対を押し切ってまで。昨日の『僕』は、行くなと悠花に伝えたはずだ。それを振り切ってまで、どうして。
「悠花、もうやめよう」
僕の言葉に、悠花が目を見開く。
「なに? なに言ってるの、健くん」
「野鳥を見る会だっけ? 行かなくていいだろ、そんなもの」
「……やだ」
「悠花」
「いや! 今日行くって決めてたのっ! お願い、行かせて、大丈夫だからほらっ、立てるから!」
無理に立とうとする悠花の肩を、僕の手のひらが掴む。
悠花は悲しそうな顔をして、悔しそうに下を向いた。
「どうして健くんは、邪魔するの?」
「邪魔したいわけじゃない。できれば僕も、悠花の願いを叶えてあげたかった。だけどこうなった以上、もう無理だと思う」
「大丈夫、歩ける! あ、そっか、バスの時間気にしてるの? それなら大丈夫だよ、学校のバスに乗らなくても、市営バスで追いつけば……」
「ダメだ!」
思わず声を張り上げてしまった。
びくっと悠花の肩が跳ねる。
「市営バスは絶対に、ダメだ」
一度深呼吸して、息を整える。
悠花はわかってない。何もわかってない……そう、わかってるのは僕だけだ。
僕が助けないと、悠花を。『僕』じゃない、僕が!
「悠花はどうして、そうまでして行きたいの? たかが野鳥を見る会でしょ?」
言葉にしてから気が付いた、失礼な言い方だったかもしれないと。悠花にとって野鳥観察はとても有意義なことなのかもしれない。
僕の知らないところで鳥の魅力に取り憑かれ、毎晩図鑑を見つめては吐息を漏らしいつか本物を観に行きたいと夢を馳せ、今日がその願いが叶う日……青空へ羽ばたく、意味のある日だったのかもしれない。
わけがわからない。
「野鳥観察は、どうでもいいの」
あ、違った。そこはどうでもいいんだ。
いや、失礼だろ、悠花。今日という日を楽しみに羽を温めていた生徒たちに謝れ。
そんなことはどうでもいい。
「今日はわたしが、一人立ちする日だから」
「…………鳥の巣から? やっぱり悠花は、青空へ羽ばたこうとしてたの?」
「? 健くん、なに言ってるの?」
「あ、ごめん。気にしないで続けて。えっと、一人立ちする日?」
「うん、あのね、えっと……わたし、健くんのストーカーをやめようと思って!」
衝撃発言。
いや、知ってたけど。悠花が毎朝僕を見張って、違う女の子といちゃいちゃしてたら怒り狂ってるのくらい知ってるけど!
そのせいで小学校時代、悠花が入院してる間にモテ期が来るほどまでに知ってますけど!
僕のモテ期の話はどうでもいい。
「わたし、健くんのことばかりで他のこと全然、見えてなくて」
「そんなことないよ。部活だって、吹奏楽部がんばってるじゃん」
「あれは……健くんが卓球部に入るっていうから。吹奏楽部なら、応援として試合見に行けるかなと思って」
「マジか。そんな理由だったの?」
コクリと、悠花が小さく頷く。
いやいやいやいや、マジか、初耳! ていうかそれなら、女子卓球部とか卓球部のマネージャーとかのほうがよくないか?
心底どうでもいいな、この話。
「だからね、わたし……今日一日、健くん抜きで楽しもうと思って」
「野鳥観察を?」
「そこはどうでもいいんだけどね。そうじゃなくて、みんなとのピクニックを。健くんがいなくても、楽しんで来ようと思って。今日それを成功させたら、わたしはちゃんと一人立ち出来る……一人立ちさせてくださいって一昨日の晩、流れ星に願いしたのっ」
「……流れ星?」
「あのね、流れ星が消えるまでに三回お願い事を言えると、その願いが叶うって」
「お願いしたの? 三回?」
「野鳥を見る会が成功したらわたしを健くんから一人立ちさせてください。って、三回」
「流れ星が消えるまでに言えたの?」
「うん!」
「悠花って、早口言葉得意なの?」
「えっ? そんなことないよぉ、カミカニになっちゃう」
「既に噛んでる。ていうか……」
いやいやいや、どう考えても無理だろっ!
たぶんあれだ、目を瞑ってお願いしたから、流れ星がいつ消えたかわからなくて、願い事成功したとか思ってるんだろう。
「でももう、バスには間に合わないよ」
腕時計の針は八時五十分を指している。
今から消毒して、おばさんにお礼を言って……ていうかおばさん遅いな。
「ごめんねぇー、救急箱変えたばかりで、どれだか分からなくなっちゃって」
すごいタイミングで戻ってきたおばさんの手には、真っ赤な救急箱があった。
見覚えあるな、この赤。
僕の家の救急箱は透明な箱のやつだけど、この真っ赤な救急箱、どこで見たんだっけ?
まるで消防車、悪趣味だな。
「すごい色の救急箱ですね」
僕が言うと、おばさんは手を止めて嬉しそうにニヤリと微笑した。
「んふふっ、この救急箱ねぇ、実はまだ発売されてないの」
しまった、無駄話が始まった。
「来年発売なんだけどね、モニターの抽選で当たったの」
「そうですか、消防車っぽいですね。それで、消毒液は?」
「あら、その感想いいわね。アンケートに書いておくわ」
「どうぞ。ところで消毒液は?」
「あとね、ここの箱を開ける部分が」
「すみません、消毒液お願いします」
「そうね、消毒液よね。この救急箱のいいところはね」
「消毒液を」
苛立ちを抑えたつもりだが、早口になってしまっていた。
僕たちのやりとりをみて、悠花がクスクスと笑っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます