第27話 回避大作戦2 〜酔っ払い〜


「遅いんだよっ! なにやってたんだよっ!」


 悠花の顔を見るなり、怒鳴ってしまった。

 困ったような笑顔をして出てきた悠花の表情が、一瞬にして凍りつく。


「ご、ごめんなさい……お母さんにコーヒーくさいって言われて、ちょっとだけシャワー浴びて……」

「シャワー? 時間がないって言ってるだろ! 緊張感持てよっ!」


 自分でも驚くくらいの大声が出ていた。

 じわっと、悠花の目尻に涙が滲む。


「悠花ちゃん、健くん? どうしたのー?」


 玄関の向こうから聞こえてきた声にはっとして、僕は悠花の手を握って走り出した。

 時間がない、猶予はないんだ。

 だけど途中で、焦ってはいけないと思い直して歩みを緩めた。急がば回れという言葉があるように、何事も慎重に行うが吉なのだ。


「健くん、ごめんね」


 目に見えて元気を失くした悠花を見て、ふつふつと罪悪感が込み上げてきた。


「僕もごめん……ただ、急いで欲しかったんだ」

「うん……健くんはどうして、そんなに急いでるの?」

「悠花を貸切バスに乗せないといけないから」

「貸切バス?」

「あのバスに乗れるように、九時までに学校に着かないとダメなんだ。行きたいんだろ、野鳥を見る会」

「うん……でもそれなら、バスの出発時間は九時十五分だからまだ余裕あるよ?」

「そうか、じゃあ急ごう……九時十五分?」

「九時集合で点呼やって、九時十五分にバス出発」

「…………」


 時計を見ると、八時半を回っていた。

 つまりあと四十五分の余裕があって、ここから学校まで二十分弱。


「いや、ダメだ。さっきみたいなハプニングがあるかもしれない。やっぱり時間に余裕を持って、急いで行こう」


 手を握りしめると、悠花は耳までも真っ赤にして僕の後ろを歩いた。

 大通りに出て、今度は人の波を避けて信号を渡って。きょろきょろと辺りを窺う僕は、さぞ不審だっただろう。そんな僕の様子を、悠花は面白そうに見上げていた。

 交差点を抜けて商店街へ。開いている店はほとんどなく、閑散としていた。


「あそこのたい焼き屋さんおいしいんだよ!」


 シャッターの閉じているお店を見渡しながら、悠花がはしゃいだ。ツインテールが彼女の感情に合わせてふわりふわりと揺れる。

 かわいい、すっっごくかわいいけど……今はそれどころじゃない。たい焼きとか今はどうでもいい、そういえば僕、先週学校サボってたい焼き食べに行ったっけ。いや、あれは二年後の高校世界だったから二重焼きだ。

 なるほど、たい焼き屋さんが潰れて二重焼き屋さんになったのか。

 二年という歳月は果てしないな。


 じゃなくてっ!

 そんなことはどうでもいいっ!

 急がないと!


 悠花の手を強く握りしめ、商店街を突き進む。もう少しで出口というところで、視界の隅に黒い塊が映った。


「…………」


 気にしない気にしない気にしない、気にしないっ!

 例えその塊が人影だろうと、ゴミ捨て場に蹲ってようと、ゴミ袋の中に顔を突っ込んで息できるのかどうかわからなくても……。

 今はそれどころじゃない!

 気にしないっ!


「健くん、あれ……人が倒れてないかな?」

「……人の形をしたゴミだよ」

「えっ? でも……やっぱり人だよ。大丈夫ですかっ?」

「あ、悠花!」


 ぱっと手を離し、悠花はゴミ捨て場に倒れている人影へと駆け寄って行った。

 優しい、いい子なんだけどこういうの本当にやめてほしい。時間がないからとか、そういうのもあるけどそれ以前に。

 あいつ、絶対酔っ払いだろ?

 そうじゃなくても……救急車を呼ぶべき状況を除いて、女の子一人で見知らぬ男に近寄るのはやめてほしい。

 本当、絶対に。


「大丈夫ですか、立てますか……っ、と」


 男の腕を掴もうとする悠花の手を、僕が掴んだ。


「悠花は僕の後ろにいて」

「え? あ、うん……ありがとう」

「大丈夫ですよね? 起きてます? 意識ありますよね?」

「ん……あぁ」


 朝日に照られた男が、ようやく目を覚ましたように呻いた。

 なんだ、生きてるじゃないか。よし、置いて行こう。

 本音はそれだが、ここで放置したら悠花が黙ってないだろう。

 仕方なく、男の介抱を続ける。


「悠花、あそこの自販機で水買ってきて」

「あっ、はいっ! かしこまりですっ!」


 妙な承諾の言葉を発し、悠花は水を買いに走って行った。

 すかさず、僕は男の胸ぐらを掴む。


「おい、起きてんだろーが、酔っ払い」

「ふへっ、え?」


 突然の、脅すような僕の低い声に、男が顔を上げて目をしっかりと開く。


「酔っ払ってるだけだよな? 自分で歩いて帰れるよな?」

「えっ、えっ?」


 頭に疑問符は浮かんでいるが、意識はあるようだ。

 うん、大丈夫。心置きなく置いて行こう。


「健くん! 普通の水とちょっと味のついた水があったけど、どっちがいいな? 両方買ったよ!」


 両手にペットボトル飲料水を掲げた悠花が、弾けるような笑顔でいう。コマーシャルか、宣伝みたいだなと思ったが無駄なことは言わず、ただの水のほうを男に突き出す。


「悠花、この人もう大丈夫みたいだから行こう」

「え? でも……」

「大丈夫ですよね?」


 ニッコリと作り笑顔を向けると、男が「はいっ!」という返事とともに息を呑んだ。


「じゃあ、お気をつけて」


 そして僕らは颯爽と、手を繋いで商店街を駆け抜ける。

 時刻は午前八時四十分、学校まであと十分。

 大丈夫、大丈夫だけど、余裕はないんだ。


「健くん、ちょっと待っ……痛っ」


 だから、馬鹿な僕は早足で悠花の手を引っ張り、彼女の歩幅も考えず。

 自分の都合だけを気にして……。


 繋いだ手が離れると同時に、悠花の身体が地面に崩れ落ちた。

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