第25話 二年前の土曜日


 香里に頼んで美波先輩を探してもらったが、連絡は付かないし見つからなかった。

 どうしよう、どうしよう……まずは情報を集めないと! いや待て、冷静に考えろ。事故のことなら美波先輩よりもっと詳しい人がいるじゃないか。

 彼女の両親に……

 馬鹿か、僕は。娘を失って一番辛いのは親なのに、そんなこと。彼女を救うためだとしても、タイムリープのことを話せないなら家に行くべきじゃない。

 だから、僕の身近にいてなおかつ、彼女の事故に詳しい人物。

 美波先輩を探すことを諦めた僕はその場で香里に別れを告げ、道を走り出した。

 香里が「わたしも……」と言ったが、振り払って駆け出した。

 手助けはいらない。これはたぶん、僕の問題だ。中学二年生の僕の。


 自宅に戻るとリビングの電気がついていた。

 玄関を開ける前に振り返ると、やはり向かい側の家の小窓のカーテンは閉まったままで、溢れそうになる涙を堪えてドアを開けて中に入った。


「母さん、母さん!」


 リビングに駆け込むと、夕食の支度をしていた母がぎょっとして僕を見返してきた。

 母はコンロの火を止め、ゆっくりと僕に歩み寄る。


「どうしたの?」


 母の声は優しかった。ただならぬ僕の様子を察してくれたのか、それともタイムリープの事実に気が付いているのか。

 いや、後者はあり得ないだろう。もしかしたら、あの日が近付いていることで僕が変になっていると、慮ってくれているのかもしれない。


「あの日のことを教えて欲しいんだ」

「教えて欲しいって……知ってるでしょ?」

「詳しく教えて欲しいんだ。僕はちゃんと、知りたいから。僕が知りたいから!」


 ため息をついた母が、エプロンをダイニングチェアに引っ掛け、僕に目を向けた。


「なにか飲む?」

「いらない」

「そう……」


 倒れ込むようにしてソファに腰掛ける母の反対側の席に座り、顔を突き合わせた。目が合うと母は再びため息をつき、片方の手のひらで顔を覆う。

 構わず、僕は言葉を続ける。


「あの日のことを……悠花が事故で亡くなった時のことを、教えて欲しい」


 信じたくなかった。

 嘘だと思いたかった。嫌だと、やめてくれと今でも思う。だけど否定しない母の沈黙が僕の言葉を肯定していて。


 僕の言葉は、二年前に起こった真実であると突きつけられた。





 母から聞いた話は、香里が語ってくれたものとほとんど同じだった。

 野鳥を見る会の日の朝、遅刻した悠花は貸切バスの時間に間に合わず、一人で市営バスに乗った。交通量の少ない山道で、救助活動も難航して救急隊員の手に触れた時にはすでに息絶えていたという。

 話を聞きながら、僕は涙を流した。

 だってそうだろう。痛かっただろう、苦しかっただろう。即死ではなかったらしい。ゆっくりと、ゆっくりと、悠花は意識を失ったのだ。

 鞄の中にペンとメモ帳を入れていたらしいが、遺言を残すこともできなかったのだろう、メモ帳は白紙のままだったという。

 どれだけ苦しくて、どれだけ悲しくて、辛かっただろう。僕が……僕がそばにいればよかったのに。

 一緒のバスに乗って、最後までそばに……いや、それだと僕も一緒に死んじゃうからきっと悠花は悲しむ。身体の痛みに加えて心まで痛いなんてかわいそうだ。

 悠花は優しい子だから、僕のことが大好きだからきっと、僕の死は望まない。


 悠花の最期を思って涙が止まらなかった。

 僕の世界のことじゃないのに。高校一年生の『僕』が体験したことで僕は未だ知らない出来事なのに。

 涙が流れるのは自然なことだろうが、心が痛いのは、僕が悠花を好きだからだ。


「あの日の前日、あんた、悠花ちゃんと喧嘩したでしょ?」


 一通り話し終えたところで、母が言った。互いの目は、充血して赤くなっていた。


「玄関の前で言い争ってるの聞こえたのよ。立ち聞きしてごめんね」

「喧嘩? 僕が……なに? 僕たちどんな話ししてた?」

「なにって……野鳥を見る会に行くなってあんたが言ってて、悠花ちゃんがそれに対抗してて……」

「僕が、そんなことを?」


 事故の日の前日、中学生世界では今日のこと。

 喧嘩をしたのは、高校一年生の『僕』だ。


「悠花ちゃん、これからのことちゃんと考えたいって。健に依存してばかりだったから、明日は一人で行って一人でお友達と遊んで来るって……あんた、そんな悠花ちゃんに『行くな、それなら僕も一緒に行く』って食い下がってて……お母さん、情けなくて飛び出して行ったの。あの時ちゃんと、二人だけで話しさせてあげたらよかった……ごめんね」


 母の目から涙が零れ落ちた。

 きっとこれは、高校一年生の『僕』ですら知らないことだろう。

 母の懺悔を、僕が聞いてしまってよかったのか。


「そのせいで悠花ちゃん、遅刻したんじゃないかって。お母さん、今でも後悔してるの」

「え?」

「あんた達の喧嘩を中断したのはお母さんだから。ちゃんと話し合いさせておけば、悠花ちゃん、健のことを気にせずに普通に起きて、バスにも間に合ってたんじゃないかって」

「そんなこと……」


 いや、絶対に違うとは言い切れない。それが原因かもしれないし、悠花がうっかり寝坊しただけかもしれない。

 それは本当に、どっちかわからない。

 ただ一つ、言えることは。


「なにしてるんだよ、『僕』」


 悠花の説得に失敗した上に、彼女を悩ませて寝不足にさせたかもしれないなんて。悠花を助けるためにタイムリープしてるんじゃないのか?

 なにしてるんだよ。

 ふつふつと込み上げる怒りを抑え、リビングを飛び出した。


「健!」


 母の呼び声も無視して自室に戻り、ベッドに寝転んで布団に潜り込む。


 寝よう、寝るんだ!

 そうしたら明日になる!

 明日は僕の番だ、僕が助けるんだ、悠花を僕が!


 早く、はやくはやくはやく、明日へ!



 怒りと焦燥と不安、いろんな感情が混ざり合った涙が頬を伝う。

 目を閉じると即座に、僕は眠りについた。

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