第17話 彼女が存在しない僕の世界
その後いろいろあって(以下略)、悠花の機嫌を取り戻した僕は黙々と通学路を歩いた。下手に喋ると変なことを言ってしまいそうだし、悠花も口を開かない。
校門のところで無言で目線を交わし、別々に校舎に入る。
「痴話喧嘩?」
そんな声が聞こえてきたが、無視して教室へ向かった。席についてため息をつくと、「おはよう」の声がかかって適当に相槌を打つ。
いつもの日常。
前方の席には小雪が友だちとお喋りをしていて、僕の視線に気が付いた友人の一人が顔を上げた。しかしすぐに視線をそらし、小雪に何かを耳打ちする。
それを聞いて縮こまる小雪。
平和ないつもの日常だ。
「……香里はまだ来てないのかな」
独り言を呟いて、そして気が付いた。
香里? どうして香里の名前が出てくるんだ? いや、だって、香里と僕は同じクラスで、クラスメイトだって彼女のあからさまな態度に気がついていて、これ見よがしに応援してくれて。
あれ? なんだ、この違和感。
いつもの日常。
変わらないはずの朝。
やがて担任教師が入ってきて教壇に立って、今日の欠席者の名前を告げて席に座っている生徒と照らし合わせる。
欠席者の中に『東香里』の名前はない。それにも関わらず、香里は席に座っていない。
このクラスに、東香里はいない。
「せ、先生っ!」
思わず、立ち上がってしまった。
ガタッと椅子を弾く音が教室内に響き、視線が僕に集まる。
「あの……東さんは今日、お休みですか?」
「は?」
教師が素っ頓狂な声を上げる。そんな声を出したいのは僕だ。
だけどおかしいのは僕のほうで、僕を見つめるクラスメイトたちの視線は訝しげなものだった。
「あずま? 誰だ、それ」
「誰って……同じクラスの、東香里ですよ……」
「あずまかおり? 知らんなぁ。違う学年じゃないのか? そんな珍しい苗字のやついない気がするけどなぁ」
冗談を言ってる風ではないし、冗談でこんなこと言うはずがない。
「誰? あずまさん?」
「知ってる?」
「いいや」
「長束くんの知り合い?」
クラスメイトたちのヒソヒソ話が聞こえる。呆然と立ち竦む僕に、担任教師が「とりあえず座れ」と指示した。
促されるままに椅子に腰掛け、漠然と項垂れる。
「疲れてんだよ、あいつ。先週の金曜も休んでたし」
「でも寝込んでたのって金曜だけでしょ? 土日は出かけてたみたいだし」
「なにそれ、誰情報?」
「一組の北川さん」
「あぁー、あの子、長束のストーカーだよな」
「家の窓から四六時中監視してるって」
止まない噂話、そして気が付いた。
金曜だけ休んだ? 僕は先週、木曜から休んだはずなんだけど?
もう一つ。
そうだよ、悠花はストーカーの如く四六時中、僕を監視してる。トイレの時以外、ずっと窓に貼り付いて、僕が外出するのを窺って。
先週の土曜は、部屋に香里がきてそのあとすぐ一緒に出かけた。
水曜は香里が部屋にきて、帰る時は玄関で少し立ち話した。
悠花が、香里を見ていないはずがない。
「せんせい、といれ」
「おぉ、トイレか。行ってこ……トイレ?」
ガタッと椅子を蹴り飛ばし、一目散に教室を飛び出した。
「おい、長束! 長束!」
担任教師のドスの効いた低い声が廊下に響くが、無視して廊下を走った。
階段を駆け下りて、一階の職員室へ。
「失礼しますっ!」
バシーんと大きくドアを開くと、職員室にいた先生たちの視線が僕に集まった。
一番奥に校長先生の姿を見つけて、机の合間を縫って奥へと進む。
「えぇーっと、二年三組の長束健くん、ですよね?」
年配女性の校長が、朗らかな笑顔で僕を見上げる。
驚いた。
挨拶くらいしか交わしたことがないのに、この人は僕の顔と名前が一致するらしい。
「どうしましたか?」
僕の行為を咎めるでもなく、丁寧に耳を傾けてくれる。【全校生徒名簿】を見せてもらう予定だったが、どうやらその必要はないようだ。
「東香里という生徒を知っていますか?」
「あずまかおりさん? えぇっと……この学校の生徒じゃありませんよね? 他校の方ですか?」
すごい! 覚えてるんだ、全校生徒の名前を。
いや、たぶんきっと、それだけじゃない。
「私がここに来たのは一昨年の四月なんですけど、その時の生徒さんにもそんな名前の方はいませんでしたねぇ」
すごい、すごいよ、校長先生!
始終業式のときの挨拶も右から左に流す感じで聞いていたが、この人が僕の学校の校長先生でよかった。
今度から真面目に、話を聞いておこう。
「その、東香里さんが、どうかしたんですか?」
「……僕と同じクラスにいたんです」
「長束くんのクラスに?」
さすがにおかしいと思ったのだろう。校長先生が首を傾げた。
しかしどう説明していいものかわからず、僕は唇を噛んだ。
「僕は今、自分がどうなっているのかわかりません」
ますます意味がわからないだろう。
校長先生は瞬き一つしたあと、少し息を吐き出した。
「東さんという方を、長束くんは探しているんですか?」
「え? ……いや、そうではないです」
「では長束くんはどうして、その生徒のことを私に聞きにきたのですか?」
「どうしてって……」
だっておかしいだろ? つい先日まで同じクラスにいた生徒が突然姿を、存在自体消されているなんて。
探すのは当然……違う、僕は『僕』を探していたはずだ。
僕じゃない、僕の知らないところで勝手に僕を演じる『僕』を。その経緯で、香里がいないことに行き着いた。
原因は当初、『僕がいる』ところから始まっている。
「その謎を解明すれば、香里が消えた理由がわかるかも……」
僕の言葉に、校長先生は優しく微笑んだ。
「ところで長束くん、今はなんの時間ですか?」
「えっ? あ、ショートホームルームの時間、でした」
「担任の先生が心配してますよ。一度、教室に戻ってみたらどうですか?」
「は、はいっ……急にすみませんでした、失礼しますっ!」
腰を九十度に折ってお辞儀すると、もう一度、校長先生が微笑んだ。
「気をつけて戻ってくださいね」
貫禄がある、やはり優しい人だった。
教室に戻ると担任教師に「いいから早く座れ」と言われ、だけどショートホームルームはすぐに終わった。
授業が始まる前、「香里ちゃんって誰だよ?」とからかわれたが、香里のことについて話をする気はもうなかった。
「それより、昨日の僕、どんなだった?」
いろんな人に聞いた、普段話をしない女の子たちにも。
「きゃーっ」と大袈裟に驚いて逃げる女子もいたが、追いかけて問い詰めた。彼女たちは耳を赤く染めて僕の質問に丁寧に答えてくれた。
昨日の僕についてアンケートをして、統計をとって、九十パーセントの人が言ったこと。
『いつもよりなんか、大人っぽかった気がする』
それが今日の収穫。
家に帰ってさっそく、『僕がいる』ノートに書き込んだ。
書き込みを終えて表紙を眺めると、タイトルがやたら偉大に見えた。
そういえば最近、モテ期のこと気にしてなかったな……。
「モテ期万歳」
だけど今それを口にするとなんだが虚しくて、ノートを引き出しに片付けた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます