第16話 ドッペルゲンガー
目を覚ますと机の上に突っ伏していた。
カーテンから朝陽が漏れる。
「……首痛い」
いつの間に眠ってしまったのだろう。風呂入らなきゃと部屋を出て階段を降りると、カレーの香りが鼻をくすぐった。
父が朝食にカレーを食べているらしい。
いやいやいや、シチュー食えよ。昨日の余ってるだろ。シチューの翌朝の朝飯がカレーってすごいな。具材被りまくり……ていうかシチューは?
思うところはあるが、もたもたしていると遅刻するのでシャワーを浴びて自室に戻った。時間がなくて、朝食をかき込んですぐに家を飛び出す。
玄関のドアを開けると輝くほどに眩しい太陽が照り付けて、途端、妙に冷静になった。
もう一人の僕がいる?
ドッペルゲンガー?
やばくね?
湧いて出た恐怖心は、通学路を進むにつれ強くなる。
もしこの超常現象が本当なら、大変なことになる。僕じゃないやつが僕として、勝手に何かをやってる……利益になることなら構わないけど、必ずしもそうとは限らない。
なんとか、早めに対処しないと。
考えごとをしていると、背後から足音が聞こえて振り返った。
「偶然だね! おはよう、健くん」
いつも通り、僕を追いかけて走る悠花の姿。
「おはよう、悠花」
ぎこちない笑みを返したが、悠花は嬉しそうに僕の隣に並んだ。
いつも通りの朝過ぎて、もしかしたら昨日の違和感は間違いじゃないか?
そんな予感がしたが、確かめる必要はある。
だから遠回しに、昨日の『僕』の行動を調査することにした。
「悠花、昨日なにしてたの?」
「え? 昨日?」
キョトン、と首を傾げる悠花のツインテールがふわっと揺れた。
空を眺めたあと、悠花は僕に視線を戻す。
「いつもどおりに学校に行って、放課後は部活に行ったけど」
「学校に行った?」
「うん。健くんも昨日、一緒に学校行ったでしょ?」
「僕は……行ってない」
「え?」
再度、悠花が首を傾げる。
悩む間も無く、僕は声を発していた。
「それ、僕じゃないんだ」
こういう場合、ドラマなんかだと『超常現象を他人に喋ることはできない』という制約がつくが、僕のこれはそうはならなかった。
普通に喋れる……そう思ったらどんどん、言葉が口をついて出た。
「悠花が昨日一緒に登校したやつは、僕じゃない『僕』なんだ」
「なに言ってるの、健くん」
「僕じゃない『僕』がこの街にいる。そいつが僕のふりをして、みんなの前に現れてる」
「健くんじゃない健くんが? え、なに? どういうこと?」
「ドッペルゲンガーって言葉、知ってる?」
「え? あぁ、自分そっくりの人が現れるっていう」
「そいつが僕なんだ」
「……?」
わけがわからない、という表情を浮かべる悠花だが、僕だってわけがわからない。
「でもそれなら、健くん、死期が近いってこと?」
「シキ? え、なに?」
悠花は少し悩んだあと、じっと僕の瞳を見つめて言った。
「自分のドッペルゲンガー見た人には死が訪れるって、何かの本で見たことあるよ?」
「…………そうなの?」
知らなかった。なんだ、その本。
怖すぎ。
いや、そんなことより……僕、死ぬの?
「でも本に載ってただけだし! たぶんフィクションのホラー小説だし! 健くん読書好きなのにそういう本読んだことないの?」
「僕、幽霊とかお化け屋敷とかは苦手なので」
「あっ、そうだったね! ごめんね」
両手を振り回して、なんとか弁明しようとする悠花。だけど僕はショックで顔を上げることが出来なかった。
悠花がそっと、僕の背中に手を当てる。
「元気になぁれ、元気になぁれ」
下から上へ、下から上へと小さな手のひらが僕の背中を撫でた。
「元気になぁれ」
その言葉とともに、優しく、必死に、僕の悪いものを外に出そうと……
小さな手のひらが、僕の不安を外に押し出す。
「健くん、学校遅刻しちゃうよ」
気持ちが軽くなったのを感じ取ったのか、悠花が僕の手を掴んだ。手のひらが重なって、手を繋いで歩いたのは一昨日のことだ。
一昨日……本当に?
「行こう」
悠花から手を離し、通学路を歩き始めた。
慌てて後を追う僕、なんだかいつもと逆だと思った。
「さっきの話の続きだけどね、本当の健くんは昨日、なにしてたの?」
「…………カレーを作ろうとして、シチューになった」
これは本当のことを言ってはいけない。そんな気がした。
香里が家に上がり込んできて、一緒に夕食を作ったなんて、相合い傘で嫉妬するような悠花に言っちゃいけない。
「カレーからシチュー? すごいね、不思議だね!」
そうだった、悠花の料理は殺人レベルなのだ。包丁の握り方は知ってると思うが、洗米には殺虫剤使ってるかもね。
調理実習で作った五目ご飯だってきっと、別の人が全てやったんだろう。
「健くんが一人で作ったの?」
「いや、香里がほとんど作って、僕は見てるだけで……」
しまった。
悠花の料理品評会を脳内で行っていたため、咄嗟に本当のことを言ってしまった。
「……かおり?」
案の定、悠花の表情が険しくなる。
あぁぁああ! 言い訳できない! 誤魔化しようがないっ!
「ほら、僕との同じクラスの……東香里だよ」
ボソボソ呟くが返事はない。
ちらっと悠花を一瞥すると、不思議そうに首を傾げていた。
「あずまかおり?」
誰? というような表情。
知らないのか? まぁ、悠花と香里は違うクラスだからそういうこともあるだろうけど……いや、あんなにあからさまに僕に好意を向けているのに。
小雪よりも大胆にアプローチしてくるのに。
嫉妬深い悠花が、香里を知らない?
「えっとほら、ツンデレの」
「ツンデレ?」
「あっ、えっと……私服がレースふりふり中世ヨーロッパ風の」
「私服? 学校の外で会ってるの? そういえばさっき、一緒にシチュー作ったって……」
ぷるぶると、悠花の拳が小刻みに震えた。
かと思うと瞬時、走り出す悠花。
「ちょ、まって……待って、悠花!」
「いいもんっ! 健くんは女の子にモテるもんね、モテ期だもんねっ!」
「今そんな話してないっ! ていうかストップ! 悠花、ストップ!」
ピタッ、と足を止めて立ち止まる悠花。
こういう素直なところが本当、かわいいと思う。
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