第18話 違う世界


 翌朝の目覚めは最悪だった。

 目覚まし時計が鳴らなくて母に叩き起こされて、朝食もとらずに家を飛び出した。

 当然、悠花は追ってこない。

 住宅街と大通りを抜けて駅に駆け込む、改札を通ると同時に電車が発車した。


「あぁぁ……ちょっとくらい待ってくれたって……」


 まぁ、世の中そんなに甘くはない。

 ため息をついて駅のホームのベンチに腰掛ける。誰もいないホームで一人空を見上げて、ふと鞄の中身が気になった。


「やばい、弁当……よかった、横になってない。朝ご飯食べてないし、お腹空いたな。昼は学食行けばいいし、食べようかな」


 濃い緑の風呂敷を開くと、二重箱の弁当が出てきた。蓋を開けて膝の上に置き、箸を取り出して手を合わせる。

 いつもの日常……ではないな、遅刻だし。こんなとこで弁当食ってるし。

 ……待って、ちょっと待って。

 僕、今、なにしてる?


 綺麗に巻かれている卵焼きを箸で掴んだところで、顔を上げて辺りを見渡した。

 駅のホーム?

 電車に乗って学校に行くの? え、なんで? だって中学生は歩いて二十分くらいのところにあって……

 なんで僕、お弁当持ってんの? 中学は給食だよ? 鞄だって、学校指定のものじゃなくて市販のだし。


 僕は今、どこに行こうとしてる?


 はっとして立ち上がると、弁当箱が地面に落ちた。慌てて中身を拾い、弁当箱の中に戻す。

 一つ、一つ、具材を箱に詰めるにつれ、たくさんのことを思い出した。

 いや、気が付いた。

 今の僕は、『僕』の時代の僕だ。

 なぜだろう、この世界は僕のものじゃないのに、この世界で生きるための知識を全て備えている。


 どう説明すればいいだろう、うまい言葉が見つからない。


 とにかく、とりあえず、僕は今から学校に行こうと思う。そこで確かめるんだ。

 僕の予想が正しいならきっと、香里は教室にいる。僕のクラスメイトとして、彼女は存在しているはずだ。



 十五分待ってようやく到着した列車に乗り込む。自宅の最寄駅から二駅、知識もあるし、身体が勝手にその駅で降りた。

 学校への道のりも覚えている。改札を抜けて細道をくぐり、正門の前に出ると門が閉まりかけていた。


「こらっ、おまえ! 遅刻だぞ! 何年何組だ!」

「一年五組の長束です」

「一の五っと……今日は見逃してやる、次から気を付けろよ!」


 尻を叩かれ、構内へ歩みを進めた。建て替えたばかりだという綺麗な校舎、『僕』が通っている学校だけど、僕が来るのは初めてだ。

 一年生の教室は校舎の三階にある。

 身体が場所を覚えている。足に任せて階段を上り、廊下を歩き、『1ー5』と表札がある教室のドアを開けると、室内の視線が一斉に僕に集まった。


「あら、長束くんが遅刻なんて珍しいわね」


 教壇に立つ、二十代半ばの若い女性教師が呟く。


「セーフにしといてあげるから、早く座ってね」


 促されるまま一番前の席に座ると、後ろから椅子を蹴られた。


「なに遅刻してんのよ、馬鹿っ」

「……うん」

「? なによ、変に素直じゃない」

「おはよう、香里」


 僕がいうと、後ろの席に座る香里が呆気にとられた顔をしたあと、ぷいっと視線を逸らした。


「お、おおおおお、おはようっ!」

「はーい、東さん静かにね。長束くんが来て嬉しいだろうけど、いちゃつかないように」


 先生の一言で、教室中がわっと笑い出す。

 顔を真っ赤にした香里が僕を睨み、椅子を蹴ってきた。


「はいはい、東さん、長束くんの椅子蹴らないでね。もう高校生なんだから、大人になる準備を始めましょうね」


 再び笑いが起こる教室。耳までも真っ赤になった香里が、僕を睨んでいた。


 そう、今の『僕』は高校生だ。


 中学生時代の僕のクラスに香里がいるわけがない。

 香里とは高校に入学してから知り合った……『僕』を好きなクラスメイト、『僕』が好きな女の子なのだから。



* * * * *



 うまく説明できるかわからない。

 だけどとりあえず、僕なりに、必死に今の状況を解説してみようと思う。

 つまり、たぶん僕はタイムリープしてるんだ。

 本当の僕は中学生二年生で、僕がいるこの世界は高校一年生の『僕』が生きている世界。

 だけど、こちらの世界での知識はちゃんとある。学校への行き方も、勉強だってついていける。高校の入学式の記憶だってある。そこで香里と初めて話して、なにかと絡まれて、いつの間にか気を許していた。

 僕の母と仲良くなった所以は、思い出せない。


 それともう一つ、中学時代の記憶が曖昧だ。


 中学二年の時のモテ期は? 小雪とのラブはどうなったんだろう?

 今、高校生の『僕』の記憶にないってことは、中学生のうちに振ったのか。

 だけど悠花の思い出がないのはおかしい。いくら仲違いしたとしても、違う高校に行ったとしても、悠花とは家が真向かいで切っても切れない縁だ。

 もしかして、かなり酷い別れ方をしたのか?


 いくら考えても思い出せなくて、頭を抱えて小さく唸った。

 それと同時、ガンッという音と共に跳ね上がる尻。


「なにボーッとしてんのよ、馬鹿」


 どうやら椅子を蹴られたらしい。

 授業中だった。

 初老の数学教師がじっと僕を見つめ、「じゃあ次、この問題を君が解いて」と指名してきた。

 この世界の『僕』は数学は嫌いじゃない。見たことない公式だけど指が勝手にすらすら動いて、難なく答えを導き出すことができた。

 沸き起こる拍手、香里が悔しそうに僕の椅子を蹴った。


「……すごいじゃん」


 そして小さな声で、デレを呟いた。

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