第9話 ショッピングモール


 家を出て太陽の光を浴びると頭がスッキリしてきて、風邪もたいしたことなかった。

 顔を上げると、悠花の部屋のカーテンは閉じたままだった。

 道路に出た途端、香里がちらっと悠花の家を見て、すぐに視線を外した。


「……あんたさ、」


 僕を見つめる香里だが、それ以上言葉は続かない。やがてぷいっと顔を背け歩きだしたので、僕は慌てて彼女のあとを追う。

 時刻は午後十時。街で一番大きなショッピングモールの開店時間だ。

 二十分ほど歩き、連れて行かれたのやはりショッピングモールで、香里はお店を片っ端から見て回った。


「なにかお探しですかぁ〜?」

「あ、いいです。見てるだけです」


 その都度、近づいてくる店員をバッサリと切り捨てる。

 ツンの部分すげー発揮してる。

 遠目でそれを眺めながら、僕はただひたすら香里のウィンドウショッピングに付き合った。


「お待たせっ」


 店から出てきた香里は満面の笑みで僕の元へ帰ってくる。店内まで連れ回されないだけマシだ。中学生の頃まで母の買い物に付き合っていたが、その時は酷かった。


 どっちがいい? どっちが若く見える? あーもうっ、一緒に選んで!


 そう言って僕を試着室に連れ込もうとする母を、店員さんが必死に止めていた。


 昔話はいい、今はこの状況だ。

 デートである、端的に言えば。

 そわそわチラチラと僕を窺う香里の視線。


 うん、わかってる……手を繋ぎたいんだよね!

 

 わかってるけど、今この状況を整理しよう。

 デートである、けれども僕らは付き合っていない。記憶が正しければ先週、僕は香里に告白された。

 だけど香里はいつも通りで、相変わらずツンとデレを使い分けて僕に接してくる。


「ちよっとあんた、どこ見てんのよっ!」


 顔を見ていただけなのになぜか、香里が手を振り上げた。

 バッチーンと豪快な音で頬を叩かれ、勢いそのまま床に尻もちをつく。


「あっ、ごめ……ごめんねっ」


 正気に戻り、デレの部分を前面に出す香里が僕に手を差し出す。側から見ればさぞ、馬鹿らしい痴話喧嘩だったろう。

 香里の手を取って立ち上がり、手のひらを合わせたままショッピングモールを歩いた。何をするわけでもなく、どこを目指すわけでもなくブラブラと。

 そしてふと、ドーナツ屋さんがあった場所がパン屋になっていることに気が付いた。


「あそこのドーナツ屋さん潰れたの?」

「ドーナツ屋さん?」


 ひょこっと、香里が僕の肩越しにパン屋を覗き込む。

 透明ガラスが貼られた店内の客はまばらで、席に座っているのはほとんどが女性だった。


「あそこ、だいぶ前にパン屋になったわよ」

「だいぶ前?」

「去年の七夕オープンだったから、まだ一年経ってないわね」

「そうなんだ……へぇ」


 気が付かなかった。あんなに通ってたのに。悠花があそこのドーナツ好きで、小さい頃は互いの母親と一緒に、中学に入ってからは時々、お土産に買ってあげていたのに。

 なんだか少し、寂しいと思った。


「お昼ご飯にはまだ早いでしょ!」


 香里に引っ張られ、パン屋を通り過ぎる。何をそんなに焦っているのだろうと思ったら、手を離したくないのか。

 お店に入るなら手を離さないといけないから、だから今は歩きたい。そんなことを考えているんだろう。


「デレの部分は可愛いんだけどなぁ……」


 心の声が漏れていて、再度、香里が手を振り上げた。

 パッチーンと軽快な音、吹き飛ぶ僕の身体。

 びくぅっと肩を跳ねさせて、僕らから距離を取る周囲の人々。


「なにニヤついてんのよっ、ばかっ!」


 なぜ僕は今、叩かれたのだろう?

 繋いだ手はいとも簡単に解けた。



 黙々と、ひたすら歩いてショッピングモールの端にあるゲームセンターにたどり着いた。

 デートだし、こういう場所もありかな?

 中に入ろうと顔を上げたところで、クレーンゲーム機の前にいる女子高生と目があった。


「たっけるー!」


 僕に気が付いた美波先輩が、片手を振りながら近づいてくる。

 あぁぁ、やばい、この状況……。

 近寄ってくるのは僕が告白した(勘違いだけど)女性と、僕に告白した女の子。

 僕たちより二つ年上、違う学校の美波先輩。

 僕のクラスメイトである香里。


 二人の共通点は、僕に好意を寄せているということ。


「なになに、遊びに来たの? ひとり……」


 薄手のシフォンシャツにミニスカートという、今時の高校生らしい格好をした美波先輩が、ゴテゴテのロリファッションという何百年も前の格好をした香里を見つめる。

 じっと、頭の帽子からスパンコールハイヒールの爪先まで、香里のことを品定めした美波先輩が僕に視線を戻して微笑む。


「今日あっついよねー、幻覚が見えてるみたいっ!」

「あ、ははっ……いや、たぶん、幻覚ではないと……」

「わたしも一人だから、一緒に遊ぼうよっ!」


 ぐいっと手を引っ張られ、僕は美波先輩に連れられてゲームセンターへ入った。

 背後のどす黒い空気が恐ろしすぎて振り返ることはできなかったが、確かに、静かに、香里が僕たちのあとを追って来ていた。



 美波先輩がクレーンゲームで狙っていた景品は、全長一メートルはありそうなでかいイルカの抱き枕だった。

 だけどイルカを狙うわけではなく、景品の手前にあるサッカーボールを取り出し口に落とせば、イルカの抱き枕と引き換えてくれるというもの。


「難しいのよ、これっ!」


 僕の腕を掴んだままの美波先輩が、懇願するような甘い声を出す。


「ねぇ、健。とってよっ!」


 女性にしては背が高い美波先輩でさえ見下ろす形になって、上目遣いを向けられる僕。

 モテ期やばい!

 万歳といいたいところだが、背中の視線が痛い。


「いやぁ、僕は……こういうの苦手で。香里、クレーンゲームって得意?」

 

 恐る恐る振り返ると、鬼の形相で先輩を睨んでいた香里の視線が僕に向き、ぷいっと顔を背けられた。


「……サッカーのルールには、詳しいけど」


 サッカーのルール? あぁ、サッカーボールを取るゲームだからか。

 いや、今それ関係ないっ!

 狙いはサッカーボールだけどこれ、クレーンゲームだからっ!


「はーい、じゃあ健のお手並はいけーんっ」


 美波先輩が財布を取り出したところで、絡んだ腕が外れる。

 ほっとしたのも束の間、チャリンと五百円玉をゲーム機に注ぎ込んだ先輩が僕の背中を押す。

 やばい、最低でも三回はトライしないといけない。


 カタカタカタカタ


 奇妙な音が何かと思ったら、ジョイスティックに手をかけている僕の手が震えていた。


「がんばれぇー!」


 幸い、振動音は美波先輩の黄色い声に消されていた。

 拳を握りしめていざ出陣、その途端、アームがキュッと微動してそのまま落下を始めた。


「……ん?」

「えっ?」


 ほとんど移動していないアームは手ぶらで天井に戻り、再び微動して元の位置に戻った。


「えっ、なに? 誤動作?」


 首を傾げる美波先輩の声を受ける僕の背中に、たらりと汗が伝った。

 あぁぁあ、間違えた……間違ってたぶん、ちょっとだけ動かしちゃったぁ!


「ご、……誤動作ですかね」


 しかし正直に言うのも情けない。いや、怒られるっ!

 振り返ると、頬を膨らませた美波先輩がきょろきょろと辺りを見渡していた。


「店員さん呼んでくる」


 どうやら目的の人物を見つけたらしい。

 一点に目を止めて動き出そうとする美波先輩の手を、必死になって掴んだ。


「ご、ごごごごご、ごめんなさいっ! 僕がやりましたっ!」

「え? なに?」

「僕がっ! 僕が間違えてちょっとだけ動かして……」


 ゴトンッ。


 必死に弁明する僕の声を遮るように、低い落下音が響いた。振り返る僕、美波先輩も同様に。

 視線の先には、取り出し口からサッカーボールを出しているゴスロリ少女の姿があった。

 しかめっ面の香里である。


「店員さん、呼んできて」


 一瞬、彼女の日本語が理解できなかった。

 テンインサン、ヨンデキテ? え、誰?


「なにこの子っ、すっごーいっ!」


 異様なまでのハイテンションでぴょんぴょん飛び跳ねる美波先輩が、香里からサッカーボールを奪い取った。

 手ぶらになった香里が、鋭い視線を僕に向ける。


「べ、べべべ、別に! あんたのために取ったわけじゃないからねっ! た、たまたま、わたし、サッカー部のマネージャーやってるってだけで」

「あ、サッカー部のマネージャーだったんだ。どうりで……いやいやいや、それとクレーンゲームが上手いこと関係なくない⁉︎」

「うるさいわねっ! いるの、いらないの? サッカーボール!」

「サッカーボールはいらないかなぁ!」

「あんたバカなの? イルカの枕と交換してもらえるのよっ!」

「あ、そっか……じゃなくて、イルカの枕も僕はいらないけど」

「じゃあどうしてクレーンゲームしたのよっ!」

「だってそれは美波先輩に頼まれたからで!」

「なにそれっ! じゃあ、わたしはあの女のためにサッカーボールを取ったってわけ?」

「そうなるねっ!」


 バッチーンと香里が僕の頬を叩いたが、ゲームセンターの機械音にかき消された。


「おーい、店員さん呼んできたよーっ! て、健、なんで寝てんの?」


 うつ伏せになって倒れている僕の背中に、美波先輩の陽気な声が降り注いだ。

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