第8話 覚えのないデートの約束


 目を覚ますと悠花はいなくなっていて、時計は短針が八を差していた。

 カーテンから光が差し込む。

 午後八時ではない、午前八時……十四時間眠っていたことになる。


「あら、起きたの? おはよう」


 ノックもなしに部屋のドアを開けたのは母だった。


「ご飯食べれる? それともゼリー持ってこようか?」

「ゼリーで……おねがいしやす」


 うまく声が出なかった。


「はいはい、ゼリーね」


 しかし母にはちゃんと伝わったようで、ドアを開けたまま部屋を出て、階段を降りていく音が聞こえた。

『病気のときこそ食え!』な僕の両親だ。食べれると返事したらカツ丼か親子丼か……とにかく米に合うような、見るからに胃もたれするような食事を用意するだろう。

 昔、父がインフルエンザで寝込んだとき、四十度を超える熱が続いているにも関わらず大皿に大盛りのカレーライスを頬張っていた時にはドン引きした。

 そんなことを思い出している間に母が戻って来て、かわいらしい動物の絵が描かれたお菓子の袋を渡された。


「…………んんっ?」


 思わず、声がくぐもってしまった。

 パッケージをよく読むと、『よいこのなかよしどうぶつゼリィ 15個いり』と書いてある。

 あの、わかるかな? 遠足とかで子どものお弁当に添えられているような、片手で開けてぺろってやるやつ……ガムシロップと同じ要領で開ける、あのゼリー。

 

「なんでこのゼリーなんだよっ!」


 ツッコミ気質の自分が嫌になる。

 明瞭な僕の大声に、母が首を傾げた。


「ゼリーが食べたいって言ったじゃない」

「病人には普通、栄養ドリンクだろっ!」

「そんなの常備してるわけないでしょ?」

「お子さまゼリー常備してるほうがおかしいよっ!」

「お父さんのお弁当に入れるのよ」


 バカップルか! 愛妻弁当かっ!

 ため息を飲み込みゼリーの袋を握りしめると、一気に疲れが出てベッドに倒れ込んだ。


「今日も学校休むから」

「学校? なに言ってんの、今日は土曜日よ」

「……え? だって僕が風邪ひいたのって水曜で、昨日が木曜で」

「木曜は一昨日、昨日は金曜日で今日は土曜日の朝よ」


 どうやらかなりの時間、眠っていたらしい。

 果てしなさと疲れで気が抜け、目を閉じた。


「寝るの?」

「うん……うーん……」

「食べれる時にゼリー食べなさいよ? お母さんとお父さん、買い物に行ってくるから」

「ラブラブ続行中の熟年夫婦かっ!」


 マジでやばい、頭が湧いてるようだ。実の母親にツッコミを入れてしまった。

 しかし母は気にする風もなく、「はいはい、じゃあいってきます」と出て行ってしまった。


「病気の息子を置いてデートですか」


 ラブラブ続行中の熟年夫婦か……いいな、羨ましい。

 例えば、十年後二十年後、僕の隣には誰がいるだろう? モテ期を共に過ごした彼女たちの中の誰かが、僕のお嫁さんになってくれるかな?

 誰もいないなんてこともありえるよな?

 誠意を見せないと。


「告白の返事……あと、告白は誤解だって伝えなきゃ」


 だけどやはり、思考は長く続かず眠りについてしまった。



 目を覚ますと、隣にいたのは悠花ではなく香里だった。同じクラスの、僕に対する好意をツンデレを以て隠そうとしているがバレバレの女の子。

 以前デートした時と同じような格好、ゴテゴテロリロリのレースのついた西洋服。


「なに寝てんのよっ!」


 バッチーンと頬を打たれた僕は、反動で頭が枕に沈み込んだ。

 一人孫かわいさで祖母が購入してくれた、ちょっといい値段するふっかふかの枕だ。


「今日デートの約束だったでしょ?」

「……そんな約束してたっけ?」

「忘れたの? ほんっと最低! 別にデートってわけじゃない、ウィンドウショッピング的な? でも二人きりで出かけるならデート……いや」


 口元に手を添えてもごもご語る香里に、盛大なツッコミを入れてやりたかった。

 デートじゃないのかよ、ウィンドウショッピングって買う気はないのかよ。

 しかし意識が朦朧として、声を出すこともできない。


「とにかく! そんなことはどうでもいいのよ!」


 自己解決したらしい。

 香里が立ち上がって、僕を引っ張り上げる。


「いくわよ! 着替えて!」

「行くってどこへ?」

「デートに決まってるでしょ!」

「えぇぇぇええ! 僕、風邪ひいて……」

「昨日の夜ご飯はパクパク食べてたじゃない」

「昨日の夜ご飯?」

「美味しそうにカツ丼頬張ってたでしょ? ていうか、ゼリー食べたの?」

「ゼリー? え?」

「おか……あ、あんたのお母さんから聞いたのよ。食べ物ゼリーしかないから、様子見に来るなら昼ご飯用意してやってって」

「…………え?」

「お、お母さんっていうか! あんたのお母さんだからね! 将来の義母さんになるかもしれないとか、そんなことぜんっぜん思ってないからね!」

「えぇっ! そうじゃなくて……いや、今の発言も大問題だけどそれより、いつの間に僕の親と仲良くなってんの?」

「なに言ってんのよ、ゴールデンウィーク前からよく遊びに来てるでしょ?」

「…………んんんんっ?」


 わけがわからない。

 そう感じたのは僕だけじゃなくて、香里も同じ方向に首を傾げる。


「まぁ、いいわ。さっさと着替えて!」


 勝手にクローゼットを開き、香里は僕の私服を物色する。

 困る……思春期の男の子のクローゼットを勝手に開くなんて。エ○チな物とか入ってたら……


「あ、あぁぁぁああ!」

「なによ、うるっさい!」


 雄叫びに似た僕の声に、香里が振り返る。その瞬間、互いにピタッと動きを止めた。

 近い……吐息がかかる距離まで近づいていた。

 互いの鼻が触れるまで、わずか五センチ。


「き、きゃぁぁあ!」


 パッチーンっと軽快な音が部屋に響き、僕の身体は弾き飛ばされて床に尻もちをついた。


「なななな、何してんのよ、あんた!」

「そっちこそ何してんだよ! クローゼットの中には僕のえ……大事な物が、本とか入ってるのに!」

「本? 本は本棚でしょ?」


 香里が指差す方向に目をやると、壁に備え付けられた本棚にびっちりと書籍が並んでいた。

 見るからに頭が良さそうな、僕の部屋の本棚とは思えない種類の本。

 しかし、問題はそこではない。


「ちがっ、違うんだ! それじゃなくて……」


 香里を押し除けてクローゼットの奥を見たが、そこには何もなかった。というより、クローゼットの中、ほとんど何もない?

 綺麗に整頓されていて、服が吊り下げられているだけだった。

 まるで、僕の部屋じゃないみたいな。


「いいからさっさと着替えなさいよっ!」

「だから、僕、風邪ひいてるから……」


 香里が僕を睨みつける。その時になって、自分自身でも気が付いた。

 僕、元気なんだけど?


「元気でしょ、なに言ってんの?」


 他人の目から見てもやはりそうらしい。

 昨晩あれほど熱が出て、朝も……んんん? なんだ、この違和感。


「あー、もう! 早く着替えて!」


 尻を叩かれ、慌てて服を脱ぐとまた頬を叩かれた。


「いきなり脱がないでよ、ばかっ!」


 無茶苦茶だと思った。

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