第5話 同じ図書委員の優等生
成績が良いというわけではない。進学早々行われたテストの点数が偶々見えたが、三十八点だった。クラス平均が七十点で僕が五十一点だったから、かなりヤバいと思う。
それなのに彼女を『優等生』と定義するのは、その性格が馬鹿がつくほどのお人好しで真面目だからである。
頼まれたことは断れない、悪く言えば優柔不断。
去年違うクラスだった時から、放課後に一人で掃除してる姿を何度も見かけた。
この図書委員だってそうだ。
『西岡さん一人でやればいいと思いまーす』
クラスメイトの心ない一言になぜか、他の人たちも手を叩いて笑った。
僕もやります、暇だから。
ゲラゲラと下品な笑声の中、静かに手を挙げる僕に視線が集まった。
注目を集めるのは好きじゃない。だけどここで手を下ろしたらもっと目立つから、僕はじっと黒板を見つめていた。
その後、気付いたら黒板に僕の名前が書き込まれていた。
僕の長束健と彼女の西岡小雪。
連なる二つの名前が相合傘をしているようだと思ったが、そんなことで茶化すやつはいなかった。
それ以来、小雪に対するクラスメイト達の態度も変わったので結果オーライ……いや、これ、僕のおかげだよね?
モテ期万歳!
次の日から、僕を見つめる小雪の目つきが変わり、最初の委員会の後に制服の裾を掴まれた。
「わたしのこと下の名前で、小雪って呼んでください……だからわたしも、健くんって呼んでいいですか?」
意外と積極的な子だった。
もちろんと首を縦に振って、気が大きくなって手のひらを差し出した。
「よろしくお願いします、健くん」
僕の手をとらず、小雪は微笑んだ。
接触はまだNGだったらしい。名前呼びはオーケーで握手はダメって、今時の女子中学生の線引き基準ってどうなってんの?
* * * * *
あれから一ヶ月、僕らは週に一度図書室に集った。
図書委員としての仕事は特にない、図書室の清掃と貸し出しの窓口業務、時々新刊と古書の整理。
だけど読書が趣味の僕にとってはその空間は最高だった。
「健くんって、いつも難しい本を読んでますね」
言い忘れてた。
小雪にはもう一つ、特筆すべきことがある
『敬語キャラ』だ。
僕だけじゃない、小雪は誰に対しても敬語で話をする。友だちできるのか……などの心配は杞憂に終わった。
あの日以来、小雪は案外うまくやれている。
「読書が趣味なんだ」
「そうなんですか、かっこいい趣味ですね」
カウンター窓口にちょこんと座る小雪は平均よりも身長が低く、身体も華奢だった。顎のラインでふわふわと揺れる柔らかそうな毛先。
まさに小動物、守ってあげたい女の子ランキング一位と言っても過言ではない。
「わたしも本は好きなんだけど、イラストがついてないと読めなくて」
「…………」
え? ライトノベル? こんなふわっふわした優等生が読むの?
いやまてよ、イラストがついてる本って、ラノベって女の子向けもある……まって、女子向けっていったら、ふ女子向けって言ったら……
なにこれ、なぜ突然のカミングアウト? 今でしょって感じだったかな?
まぁ、いいや、話を合わせよう。
「いやぁ、意外だな。まさか小雪がBエ……」
「絵本が好きなんです、小さい頃から」
「…………」
うぉあああ! 遮ってくれてよかった! 皆まで、Lまで言わなくてよかったぁぁあ!
そっちかい!
「将来は絵本作家になりたいなぁ、なんて……健くんは、将来の夢とかあるんですか?」
「将来の夢? うーん、なんだろうなぁ」
「未来を想像すると楽しいですよね。高校生の健くんはきっと、頼り甲斐のある優しい男の子になってると思います」
「…………」
高校生って、目先の夢すぎる! 将来ってその辺? あ、そっか。将来って現在より未来のことを示すから、一秒後のことでも正しいわけで。
それを踏まえて僕の夢を語るなら、今日の夜ご飯はハンバーグが食べたい。
「そういえば、明日の体育、男子は持久走するみたいですね」
「…………え?」
「男子が張り切ってましたよ。あれ? 健くん、聞いてません?」
「うーん……」
そもそも僕は人の話を聞かない。
そしてそうだな、明日は休もう。
「健くん、持久走苦手ですもんね」
「そうそう、最後まで走るのが苦痛で……なんで僕が持久走苦手って知ってるの?」
僕の言葉に、小雪はぱっと視線をそらしてうつむいた。真っ赤に染まる耳たぶ、しばらくしてチラッと僕を見上げる。
「一年生の時ちょっと見てて」
「一年生の時?」
「健くん二組だったでしょ? わたし一組で、体育って一組二組合同だから、その……健くんが、持久走リタイアしてるの見えて」
「…………」
恥ずかしいっ!
たしかに去年、いや小学校の頃から一度も一キロ走り切ったことが、ない。小さい頃に喘息を患った過去をもちだして、これ以上やると持病が……と言うと許してもらえる。母が事前に先生にそのことを伝えてくれるおかげなんだけど。
今はもうほとんど症状出ないけど、苦痛から逃れる理由があるならなんだっていいんだ!
「健くん、体が弱いんですよね?」
「うーん……あ、そろそろ閉める時間だね」
返事を誤魔化し、時計を見ると五時近くになっていた。
「帰ろうか」
「……えっ?」
僕の言葉に、小雪は頬を真っ赤に染める。
「一緒に、ですか?」
「僕と小雪の家って逆方向だよね? まぁ、ついでだから送るよ」
「えっ、いいです、いいですっ!」
両手をブンブンと振る小雪だが、最終的に遠慮はしなかった。
小雪を家まで送り届けたあと、僕は来た道を引き返し学校まで戻った。
さて、帰ろう。
そう思って校門の前を通ったとき、門の内側にいる女子生徒が目に入った。
「ぐ、偶然だねっ!」
僕を待ち伏せしていた悠花は、嘘くさい笑みを咲かせながら僕に近寄った。
ぽてぽてと饅頭が弾むような足音、揺れるツインテールがとても愛らしいが。
僕、GPSでもつけられてるのかな?
*
肩を並べて歩き(実際には二十センチくらい身長差がある)、住宅街に差し掛かったところで悠花が恥じらうように話を始めた。
「いまね、お菓子作りを勉強してるの」
「お菓子作り?」
「健くんに五目ご飯あげれなかったから、そのお詫びに」
うわぁ! 気にしなくていいよ!
ぜんっぜん気にしなくていい!
「全然気にしなくていいよ」
「健くんは優しいね」
「いやぁ、優しいわけじゃ……」
「でも、わたしが健くんに何かあげたいだけだから、気にしないで」
「うん……ん?」
「おいしいチョコレートフォンデュ、作ってくるからね」
「ちょこれぇとふぉんでゅ?」
「マシュマロとかバナナとか、お菓子をチョコにつけつけして食べるの」
「…………んんん?」
お菓子作りとは!
チョコレートを溶かすことはその部類に入るのか? そうか、材料を切る作業がいるな、お菓子作りだな!
もしかしたらマシュマロを手作りするのかもしれない。
「マシュマロとバナナは昨日、スーパーで買ったんだけど」
既製品だった。
そしてバナナは昨日買った? 今日暑いよ? 今の時期、果物は腐りやすいよ?
あれ、バナナって果物それとも野菜?
「もうしばらく待っててねっ!」
両手の拳を握りしめて意気込む悠花はとても可愛かったが、できれば永遠に完成しないでくれと願った。
「そういえばチョコレート買わなきゃ! 健くん、わたしコンビニに寄って帰るから」
「い……いやいやいや、コンビニは値段設定高いからさっ! また今度スーパーに行けば?」
「あっ、そうだね。今からスーパーに」
「スーパーって今来た道を戻らなきゃいけないよね? 今度にしよう!」
「でも、善は急げって」
「急がば回れってことわざもあるよね!」
必死に引き止める僕はさぞ不審な男の子だったろう。
不審な表情をした悠花だが、最終的に僕の言葉に従ってくれた。
「そうだね、今日は帰る。健くんと一緒に」
「うん、一緒に帰ろう!」
この際なんでもいい、悠花のチョコレート購入を阻止できるなら!
そう思って再び、肩を並べて歩みを進めた。
後日、熱湯に漬け込んだチョコレートと共に真っ黒に変色したバナナを食わされることになるなんて、この時は想像もしていなかった。
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