第6話 違う学校の先輩



 次の日、僕は学校を休んだ。

 体調不良という理由だが熱があるわけではない、お腹も心も快調!

 だって今日の体育は持久走だったからね! だからずる休みしたんだよっ!

 そういえば悠花に、今日欠席する事を伝えていなかった。僕を待っていただろうか。

 まぁ、大丈夫だろう。

 悠花はおっちょこちょいで不思議ちゃんだが、頭が悪いわけじゃない。むしろ成績は僕の遥か上空、テストでも八十点以下をとったことがない。僕が部屋から出てこないイコールお休みと解釈して一人で登校するはずだ、問題ない。

 ベッドの上で惰眠を貪り、時計を見ると九時半を回っていた。


「ダラダラしてちゃダメだ! 出かけようっ!」


 颯爽と着替え、リビングに下りる。

 両親はすでに出かけていて、テーブルの上にチャーハンが置かれていた。急いでそれを食べ尽くし玄関のドアを開けると、ギラッと眩しい日差しが僕を突き刺した。


 そういえば今日、学校休んでた。

 まぁ小さいことはいいか、買い物にでも行こう。

 そう思って街へと繰り出す。

 悠花の部屋のカーテンは閉じたままで、ふわりとも動かなかった。



* * * * *



 ずる休みというのは案外、罪悪感を覚えるものである。見張られているわけでもないのにキョロキョロと辺りを気にし、隠れるようにして駅前の商店街にたどり着いた。

 大都会というわけではないが、田舎でもない。様々な店が立ち並ぶ店の一つで二重焼きを買い、片手でそれを頬張りながら歩いていると、背後から足音が聞こえた。


「たーけーるっ!」


 どかっと背中にタックルを喰らう。その勢いで二重焼きが手元から離れ、宙を舞った。

 あんこの部分を下にして、地面に落ちる二重焼き。恨みを込めて振り返ると、ロングヘアの女子高生が目をパチクリとさせていた。


「ごっめーん、お食事中だった?」


 反省の色など全く窺えない。ケラケラと笑うのは美波玲みなみれい、僕の二つ年上で別の学校に通う女子高生だ。


「美波先輩、あれほど……ゆっくり登場してくださいって」

「あははっ、ごめんねぇー。お詫びに新しいの買ってあげるからっ!」


 タタタタっと駆けていく美波先輩の背中を見送って、僕は地面に落ちた二重焼きを拾い上げた。

 あんこは無理だが、皮の部分は食べれるか?

 いや、みっともない真似はよそう。美波先輩が新しいの買ってくれる……


「すみませーん! かき氷くださぁーいっ!」

「二重焼き弁償しろよっ!」


 とまぁ、破天荒な先輩です。僕らとは違う学校の。



 美波先輩とは中学の学園祭で知り合った。一人で階段を上っていたところ、上階から駆け下りてきた先輩が僕にぶつかり荷物をぶちまける、という漫画のような出会い。


「ごめんねぇー、大丈夫だった? あっ、そっちのピック拾って! よろしくっ!」


 荷物の片付けを手伝わされ、成り行きで彼女が主催するゲリラライブを見に行くことになった。無許可なので当然怒られて、僕までとばっちりを喰らってしまった。

 あとで聞くところによると美波先輩は悠花と同じ吹奏楽部の所属だった。


『美波先輩が健くんとお話したいらしいんだけど、どういう関係?』と嫉妬の混じった声で美波先輩を僕に紹介した悠花の声は、今も忘れることができない。

 めちゃくちゃグイグイくる人だが、結局、恋仲には発展しなかった。

 しばらくは悠花を挟んだ微妙な距離を保っていたが、最近になって先輩の押しが強くなった。街中で僕を見かけては、頻繁に声をかけてくる。

 いやむしろ、僕を探しているのではという目敏さ。

 美波先輩は僕のことが好きなのかもしれない。

 モテ期万歳!


「健さぁ、最近学校どぉ?」


 パクパクとかき氷を食べる美波先輩を横目に、僕は宙を睨む。

 僕の手元には、落下して食べられなくなった二重焼き。


「体育で持久走すると聞いたので、休みました」

「あははっ、相変わらずだねぇ!」

「先輩はこんな時間にどうしたんですか? 学校は?」

「テスト週間でお休みよ」

「早いですね」

「健のとこは違うの?」

「テスト週間に持久走なんかやらないでしょ」

「あははっ、たしかにー!」


 ケラケラ笑う先輩が「食べる?」とかき氷を突き出したが、僕は片手を上げてそれを制した。


「あんこの気分なので」

「さっき二重焼き食べてたもんねぇ。健さぁ、日曜日、女の子とデートしてたでしょ?」

「はい、デ……え? え?」

「わたし、後ろの席にいたんだよねぇ、あの映画館」


 ストローで氷をぐちゃぐちゃに掻き回す先輩はうつむき加減で、表情が読み取れなかった。

 ゴクリと唾を飲み込み、僕は弁明を考える。


「あれは同じクラスの女子で」

「可愛い子だったね」

「すごい格好ですよね、あいつ! ていうか先輩、ホラー好きだったんですね!」

「健を追いかけて入ったの。一人で」

「……へぇ! 偶然ですね!」

「返事したの?」

「返事? なんの……」

「告白の返事、もうしたの?」

「…………」


 ぴぎゃん! と、心の中のミニ豚が跳ねた。いや、別に、やましいことなんか何もないし?

 正直に言えばいいんだ、正直に!


「僕は先輩のことも、好きですよ」


 なに言ってんだ、僕!

 いや、まて、僕の言葉を復唱してほしい。


『先輩のこと、好きですよ』



『先輩(以外の子)のことも、好きですよ』



『先輩だけじゃないからねっ!』


 最低か! 最低だな、僕!

 アホなことを考えている場合じゃない、今すぐ弁解を。


「な、なにいってんの健……それって、告白よね?」


 あぁぁあ! 良いように捉えてる!

 誤解してる、美波先輩の都合の良いように、誤解してる!


「あ、えっと、えーっと……」

「そっか、うん……そっか」


 はにかんだ笑みを浮かべる先輩が、かき氷を掻き回す。

 グルグルグルグル回り回って溶けていく氷は、まるで僕の心情を映しているようだった。


「あ、そっか……」


 そして何かを思いついたように、先輩の手がピタッと止まる。


「あー、そっか! うん、わかったっ!」


 なにをひらめいたのだろう。

 目を見開いた先輩がストローの先端を口に当て、氷を一気に飲み干した。


「わかったわよ、健!」


 スッキリした顔で、美波先輩が立ち上がる。氷を一気に吸い込んだにも関わらず動じる様子のない、かき氷の冷気よりも涼しそうな爽やかな笑顔。

 眩しすぎて、いや、気まずすぎて目を合わせることが出来なかった。


「でもね、ちょっと待ってくれる?」

「はい…………ん? え?」

「安心して! わたしも健のこと大好きよっ! でもたぶん、心の準備ってあるしね!」

「心の準備? あ、いえ」

「テストで忙しいしね、今。志望してる大学の推薦がかかってるの。だからちょっと待っててくれる?」

「え? あ、いや、待つっていうか誤解で……すみません、美波先輩、さっきの告白っていうか」

「いいっ! みなまで言わなくていいっ! 健の気持ちはわかってるからっ」


 ちらっと僕のほうをみて、またわざとらしく視線を外す美波先輩は正に、恋する乙女そのものだった。


 待って、まってまって!

 これ、何かおかしい。

 何がおかしい? そうだ僕は美波先輩に告白したわけじゃないっ!

 モテ期を満喫したいんだっ!

 そしてその後は……あれ? その後は?


「じゃあねっ、健! サボりもほどほどにねっ! もう高校生なんだからっ!」

「いや、高校生は先輩のほうで……えっ、ちょ……」


 軽やかに商店街を駆け抜けていく美波先輩と、呆然とそれを見送る僕。

 美波先輩の姿はすぐに見えなくなって、肩の力が抜けた僕は二重焼きの入った袋を手放してしまった。

 二度目になる落下はさぞかし痛かったろう。ボトリと音を立て、二重焼きが床に落ちて潰れた。



* * * * *



 母がパートから戻る前にと、慌てて家に帰った。悠花の部屋のカーテンはやはり、閉じたままだった。

 脱いだ服を洗濯機の中に放り込みベッドの上でゴロゴロしていると眠気が襲ってきて、そのまま眠りについた。午後五時も回っていなかったと思う。

 翌朝、目を覚ましてリビングに降りると、母に怒鳴られた。


「あんた、昨日遊びに出かけたでしょ!」

「えっ! なぜ……!」

「ジーパンにあんこついてたわよっ! 商店街の鯛焼き屋さんでしょ!」


 探偵さながらの推理力。

 いや、無防備に服を脱ぎ捨て、あまつさえ洗濯してもらおうと考えた僕が悪いのだ。


「だけど惜しいね、母さん。僕が食べたのは二重焼きだ」

「なんで偉そうにしてんのよ! 二重焼き? あそこの鯛焼き屋さん、二重焼きも始めたの?」

「いや、だから、二重焼き屋さんだって」

「なに言ってんの。それより本当に出かけてたのね、仮病だったのね!」


 菜箸を僕に突きつける母から逃げるように、自室に戻って制服に着替え、家を飛び出した。

 カーテンの隙間からこちらを覗いている悠花と目があって、その一分後に僕らは顔を突き合わせることになる。


「偶然だねっ!」


 わざとらしい悠花の笑顔が僕の心を癒し、安堵ゆえかお腹がぎゅるるるると音を立てて鳴った。

 朝ごはんを食べ損ねてしまっていた。


「健くん、お腹空いたの?」

「朝ごはん食べるの忘れて……」

「今日、いつもより家出るの早かったもんね」

「…………」


 この天然ボケ少女は、自分が『いつもあなたを見張ってますよー、ちょっとでも時間のズレがあるとすぐ気付きますよー』と白状していることに気が付いているのだろうか?

 そんなことはどうでもいい、お腹空いた。


「五目ご飯持って帰ってあげればよかったね」


 天然ボケ少女が不思議な言葉を発した。

 五目ご飯……先週の調理実習で作ったやつだよね?

 いま、僕の空腹とそれとは関係ないよね?


「今度ちゃんと、チョコレートフォンデュ作ってくるからね! それまで待っててね!」


 両手の拳を握ってガッツを見せる悠花。

 悪いけどそれまでは待てないよ、僕は昼の給食を食べるよ。そう言うと拗れてしまいそうなので、微笑みだけ返して肩を並べて学校へ向かった。

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