第3話 僕を好きなクラスメイト


 翌朝、目を覚ますとカエルがいなくなっていた。机の上に置いたはずなのに、綺麗に整頓されたそこは紙切れ一つ転がっていない。

 なぜだ?

 昨日は数学のプリントをやりかけで、筆箱やら何やらいろんなものをぶちまけて眠ったはずだ。

 こんな綺麗に整頓されているなんて……僕の部屋が片付いているなんてあり得ない。


「母さーん!」


 勝手に掃除するなんてあり得ない、思春期の男の子の部屋に勝手に入るなんてあり得ない!

 眠っている隙に!

 気付かない僕も鈍感過ぎだけどね!


 何にせよ一言物申さなければと、ベッドから飛び降りて自室のドアを開ける。階段を駆け下りる途中で足がもつれ、宙にダイブした。

 ドダダダダダと派手な音を立て、僕の身体は階段を六つ飛び越えて一階の廊下に落ちた。


「なにやってんの、あんた! 大丈夫⁉︎」


 リビングから飛び出してきた母は、お玉を手に持っていた。その背後でひょこっと、父が顔を覗かせる。


「派手に転んだなぁ、怪我は?」


 白髪混じりの髭を撫でながら、父も廊下に出てきた。

 あれ? 父さんってこんなに老けてたっけ? それとも今の衝撃で視力がやられたのか。

 どうでもいい、痛いっ!


「どこか打った? 湿布いる?」


 もー! とぷりぷりしながら、母がリビングに戻る。

 いやいやいや、なぜ怒る? 心配してくれよ。それよりも痛い、マジで。

 ジンジンと痛む肘を眺めていると、母とすれ違いで僕のところへ来た父が、耳元でそっと囁いた。


「今日、デートなんだろ? 大丈夫なのか?」

「デート? 悠花と?」

「……なに言ってるんだ、おまえ」


 父の顔が露骨に歪み、僕を見下ろした。

 本当に嫌そうな、軽蔑したような眼差し。


「あ、ごめん、ごめん! そう、デートなんだ!」

「おい、母さんには秘密なんだろ? 声抑えろ」


 シーっと、父が人差し指を自分の唇に当てる。

 赤色の救急箱を抱えた母が戻ってきて、中から湿布を取り出した。


「母さん、救急箱変えたの? 赤って悪趣味じゃない?」

「なにいってんの、あんた。頭打ったの?」

「救急箱っていったら白じゃない? 消防車と同じ色って……」

「今の救急箱は赤が主流でしょ?」

「そんな流行、僕の周りではないけど。保健室の救急箱も白だった……と思うし」

「あんたと保健室が乗り遅れてるだけでしょ」


 面倒くさそうに言う母が、僕の腰にでかい湿布を貼り付けた。

 え? なんで? ぶつけたの肘なんだけど? ほら、内出血して青くなってきてる……。

 そんなことは言えずに、「ありがとう」と返事した僕はリビングに向かった。

 どうして父さんが家にいるんだろうと思ったら、今日は土曜日だったらしい。

 朝食の味噌汁を飲んでいると思考がクリアになってきて、ようやく僕は目を覚ました。

 懐かしい夢を見た。

 もう随分前のこと、悠花と話をした日のこと。


 鮮明になる昨日の出来事、デートの約束。



* * * * *



 東香里あずまかおりにデートの約束を取り付けられたのは昨日のことだ。

 彼女を一言で表現すると、


『僕を好きなクラスメイト』


 だがしかし、人目がある場所での僕に対する彼女の態度はあまりにも酷い。下等生物を追い回してオリの中に閉じ込めて火炙りにする。それほどの残酷さを感じる。

 比喩がわかりづらいかな? とにかく暴力的な子なんだ、そう思ってくれたらいい。

 だけど彼女は僕が好きだと言う。(告白されたわけではない、周りから聞いた。聞かなくても態度がバレバレなのでわかる)

 その面倒くさい性格ゆえ、彼女は『ツンデレ』と言い表すこともできる。


「ねぇ、あんた。ホラー映画が好きなんでしょ?」


 五時間目の終わり、後の席の女の子が僕の椅子を蹴り飛ばした。いつものこと、慣れているがやはりお尻が痛い。

 振り返ると、不機嫌な様子の香里が僕を睨んでいた。


「あんたって、映画館でホラー映画見た後は一人でトイレに行けないタイプでしょ?」

「そんなことは……ホラー映画自体みないしどこからそんな噂……」

「うるさいわねっ、口答えしてんじゃないわよっ!」

「ぴぎゃんっ!」


 再び椅子を蹴られ、変な声が出てしまった。

 香里は顔をしかめ、机の中から二枚の紙を取り出す。


「だからわたしが、映画付き合ってあげるわよ」

「…………ん? え?」

「ホラー映画見た後は、一人でトイレに行けないんでしょ? だからわたしが、その……い、いい一緒に、映画、見てあげるから」


 香里が取り出したのは映画のチケットだった。ゾンビが描かれた、二枚同時購入割引(学生限定)と印字されたチケット。

 その一枚を、香里がずいっと僕に差し出す。


「ま、間違えて二枚買っちゃったのよ! だから一枚、あんたにあげる!」

「これ、二枚同時購入て書いてるけど」

「わ、わたしは明日のあさ、朝の九時に、駅前の時計広場に集合して、くくく九時半上映のやつを見る……んだけど。駅前の時計広場に、九時に集合して」

「うん、そっか。駅前の時計広場に九時集合な」

「なっ! なに言ってんのよ! わたしがそうするだけだけどあんたが来たいなら……え、映画見たいなら一緒に、見てあげなくなくはないけど」

「日本語が巡り巡って見ないことになってるね」

「と、とにかくっ! わたしは九時に駅前の時計広場に行くからねっ!」

「わかった」

「何がわかったのよ、全然わかってないっ!」


 そろそろ面倒くさい、と思っていたところで六時間目開始を告げるチャイムが鳴って、僕は前を向いて椅子に座り直した。先生が教室に入ってきたことで、香里も勉強モードに切り替わる。

 いい子なんだ、本当に。言葉より先に手が出ちゃうだけで(それはそれで問題だけど)、根はとても優しくていい子で、


『僕』を好きな女の子。



* * * * *



 そんなわけで、今日がそのデートの日である。

 身支度を整えた僕は窓のカーテンをちらっとずらし、対面の家の二階を覗き込んだ。

 レースのカーテンは閉まっている、悠花の様子はわからない。

 どうか偶然が起こりますように。

 悠花が僕の外出に気付かず、家を出れますように!

 そう願って階段を駆け下り、玄関のドアをぶち開けた。


「こらっ! なに慌ててんの!」


 母の怒声が聞こえたが構わずダッシュ!

 だけど民家を五つ超えても背後に人の気配はない。立ち止まって振り返るがやはり、悠花はついて来ていなかった。


「…………」


 好都合なはずだが、拍子抜けているからだろうか、茫然と悠花の部屋の窓を見つめていた。遠目だが、レースのカーテンを表す白色が見える。

 意地悪だったかな? 別に隠す必要ない……いや、僕が他の女の子とデートをするなんて悠花にとっては大問題だろう。


 よかった! 気付かれる前に急ごう!


 ダッシュほどではないが早足で、駅前の時計広場に向かった。

 悠花のことは大切だ。けれどもそれが愛か恋かはよくわからない。

 だったらとりあえずハーレムを! モテ期を謳歌しよう!

 それが僕の考えだった。

 馬鹿だったと自分でも思う、僕は馬鹿だった。



 思ったより早く着いた八時四十分。

 僕が足を止めると同時、目の前の人影も立ち止まった。ふりふりレースごてごてのロリ衣装に身を包んだ香里の姿。中世ヨーロッパを思わせる真っ赤なドレスの裾に白いレースの裾、髪を包む妙な帽子も同じ色で。

 髪の色素が薄い故、ハーフにも間違われる端麗な顔つきの香里が着るととてもさまになっている。

 たがしかし……恥ずかしい。


「おまえ、なんでそんな変な服着てんだよ!」

「あんた、なんでこんなに早く来てんのよ!」


 僕と香里の声が同時だった。叫声に人目が集まるが、気にしている余裕はない。

 マジで? こんな格好の女と一緒に歩くの?

 今から映画館に行くの?


「……帰りたい」

「じゃあ帰ればいいじゃない! わたしは別にあんたのこと誘ってない……デートじゃ……これはデートじゃないんだからね!」


 バッチーンと大きな音が響いて、僕の身体が一メートルほど弾け飛んで地面に尻もちをついた。

 香里の振り上げた手が僕の頬を叩き、その勢いで僕は飛ばされてしまったのだ。

 うん、ツンデレなんだ……ツンデレというか、バイオレンス?


「あぁぁ、ごめんっ! 大丈夫?」


 デレの部分を表に出した香里が、心配そうに僕の顔をのぞき込む。


「氷もらってこようか? 痛い?」


 必死になって僕の介抱をしてくれる香里はとても健気でかわいくて……いや、殴ったのは香里だけどね?

 あれ、これってツンデレカテゴリであってる?

 そんなことはどうでもいい。

 とにかく今日は日曜日、香里とデートの日である。

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