第1話 幼なじみ



 北川悠花きたがわゆうかとの関係は一言で表すことができる。


『幼なじみ』だ。


 同じ幼稚園という縁で母親同士が親しくなり、同じ団地のお向かいさんという立地でマイホームを購入。

 互いに一人っ子の僕と悠花が親交を深めたのは自然なことで、悠花は僕を兄のように慕って互いの部屋を行き来していた。

 そんな僕たちの疑似家族愛を引き裂いたのは他でもない、本物の家族、僕たちの母親である。


「中学生になるんだから、お部屋に行くのはやめなさい」


 母の言葉に悠花は素直に納得し、その後一切、僕の部屋に来なくなった。母は強し、女は母になる、だから強い……

 卵が先か鶏が先か、とにかく母は女だ。

 だから男という性を持つ僕は、母の言葉を受け入れることができなかった。


「なんでだよっ! 遊びに行くからねっ!」


 いま思い返せば、ていうか当時から、ちゃんとわかっていた。

 幼馴染の女の子の部屋に行けないことくらい大した問題じゃないし、むしろ思春期に突入する男女がそれを続けていることのほうがおかしい。

 だけど少し後ろめたいことがあった僕は、ちょっと大袈裟に声を荒げてみた。

 だが母はやはり女で、たった一言で僕を黙らせる。


「ほんっと、女好きなんだから。お父さんに似て」


 ピシィッと背筋が凍ったのは僕だけではなく、ソファに寝転んでテレビを見ていた父も同様だった。慌てて居住まいを正し、「この番組おもしろいぞー」と取り繕う父と、ため息をつく母との間に何があったのかは、子どもである僕の知るところではない。


 とにかく僕は、小学生ながらに恥ずかしくなって言葉を失った。

 机の引き出しに隠していたエ○チな漫画が母親に見つかった時の心境は、今と同じものなのかもしれない。

 ……いやいやいや、どう考えてもエ○漫画見つかるほうが恥ずかしい。


 そんなこんなで、僕と悠花は引き裂かれた。そして小学校卒業を間近に控えたある日の夕食、僕は不満をぶちまけた。


「今から悠花の部屋に行ってくる」


 静かに呟いた僕の言葉に、母はふぅーと深いため息をつく。


「はいはい、ダメよ」


 ……いや、どっちだよ! 『はい』と『ダメ』、対照的な言葉を一文で使うなよ!


「それより早く食べなさい、片付けるわよ」

「そうだぞ、健。成長期なんだからたくさん食べないと」


 空気の読めない父がガハハと笑い、僕の取り皿に唐揚げを放り込んでくる。

 茶色い衣で覆われたテカテカした鶏肉をちらりと一瞥し、僕は再度うつむいた。


「じゃあ、食べたら遊びに行ってくる」

「だからあんたねぇ、ダメだって言ってるでしょ? もう中学生になるのよ、思春期の男女がお互いの部屋を行き来するなんて」

「じゃあ、話するのは?」

「密室でなければいいわよ」

「…………え?」

「なにあんた、まさか口きくのもダメだと思ってたの?」

「だって母さん、もう中学生なんだからって」

「部屋に行くのをやめなさいって言ったのよ。普通に話するのはいいわよ、当たり前でしょ? あんたと悠花ちゃん、一緒の中学なんだから」

「………………」


 呆然とする僕の小皿に、父がサラダを注ぎ込んだ。


「まぁまぁ、食べよう!」


 陽気に語る父に瓜二つだとよく言われるが、空気の読めない阿呆ぷりも父譲りなのかもしれない。

 だけど僕は女好きではない、チヤホヤされたいだけだ。

 女の子はかわいいし好きだけど、女好きという卑猥な言葉は当てはまらない。

 そんなことはどうでもいい、話を戻そう。


 そうした盛大な勘違いを経て、半年絶縁していた僕と悠花は感動的な再会を果たした。

 桃色に染めた頬で僕を見上げる悠花の瞳。


「これからはたくさん、お話しようね」


 中身は相変わらず幼児のままだけど、久々に見た悠花は以前より綺麗になっていて、花を咲かせたような笑顔はとてもかわいらしかった。

 その頃から悠花の目線は上目遣いで、どうやら僕の身長は成長期を迎えたらしい。

 中学生のうちにモテ期が来る、そう思った。



* * * * *



 そもそもモテ期をどう定義するかだけど、まぁ、異性に好意をもたれたらそうなんじゃないかな?

 常に女性を侍らせる恋愛上級者もいるが、あれは僕らと次元の違う生き物だ。

 もしかしたら宇宙人が化けて、教室の隅に追いやられている男子を馬鹿にして楽しんでいるのかもしれない。

 そういえば小学五年生のとき、たくさんの女子に囲まれている時期があった。

 あれが一度目のモテ期だったのかもしれない。

 その時のことはよく覚えている。

 ことあるごとに女の子に囲まれて、会話した。


 テスト何点だった? とか。

 リコーダー持ってきた? とか。

 持久走完走できた? とか。


『十三点だったよ』

『わぁ! よかった! わたし、二十点はあった!』


『リコーダー忘れた、先生そんなこと言ってたっけ?』

『わたしも忘れたの! よかった、先生の話聞いてないのわたしだけじゃなくて』


『持久走ね、しんどくて無理だった。途中で先生がもういいっていうから、甘えちゃった』

『よかった! わたし、十分以上かかってすごく恥ずかしかったんだけど、下には下がいるよね、やっぱ!』



 ……あれ? モテ期だったのかな、これ。


 いつもならこういう時、悠花が「健くんをいじめないで!」と割り込んで来るのだが。

 その時期は風邪をこじらせたか何かで入院し、悠花は三ヶ月ほど休学していた。

 悠花のいない三ヶ月が、僕の第一次モテ期だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る