生きていく、この世界で
「殿下? どちらにいらっしゃいます?」
「まあいいだろう、今日は休日だぞ。そっとしておいてやれ」
「ですが、王妃様がお呼びで――新しい服を仕立てる、と」
やれやれ、と目の前にいるエドアルトが首を振る。
「行かなくていいんですか?」
「今日は、休日だからいいんだ」
アイリーシャは、目の前にいるエドアルトの顔を見つめる。
今、二人の手はぎゅっと握りあわされていた。アイリーシャの膝の上にいるルルはうつらうつらとしていて、二人の会話にはまったく注意を払っていない。
こうして手を握り合わせていれば、二人とも誰にも存在を察知されないのだから、ある意味便利な能力だ。
「でも、これでよかったんでしょうか……」
アイリーシャがぽつりと言う。
結局、魔神の復活については、公にしないことで決着がついた。公にしたところで、人々が不安になるだけだろうからという理由だ。
「呪いの元凶については、公表しただろう。ミカルの失踪についてもそれで説明がつく」
人々が急にばたばたと倒れて行った呪いについては、宮廷魔術師ミカルの仕業として公表された。自らの魔力を増大させるために、彼が行った研究の暴走だと国民には伝えられている。
彼については、近衛騎士団が取り押さえようとした時、魔術を使って抵抗しようとしたため、その場で処刑され、すぐに遺体は埋葬された――ということになっている。
そうでもしないと、ミカルの死体が残っていない理由の説明がつかないからだ。
「……それにしたって、私、これはどうかと思うんですよ……」
王太子殿下と公爵家令嬢。この二人の組み合わせは非常に目立つ。
その結果――エドアルトと一緒にいる時は、常に手を繋いでいることになった。影をとことん薄くするために。
「君と、ずっと手を繋いでいられるからこれはこれで俺は嬉しいんだが」
彼のことを氷と言ったのは誰だ! と全力で突っ込んでやりたいところだ。
結局のところ、エドアルトは十年前からアイリーシャのことを気にしていたらしい。
ただ、自分に自信が持てるまでは近づかない――そう決めた。
だが、彼がそう決めたところで、周囲に近づく令嬢はどうしようもない。余計な期待をさせまいと冷たくあしらっていたら、"絶氷"なんて二つ名がついてしまったそうだ。
たしかに表情はあまり豊かな方ではないけれど、それ以上に雄弁に目が語る語る。
めちゃくちゃ語る。
今だって、アイリーシャを見つめる目は、とことん甘い。
(背中が、むずむずする……!)
たぶん、彼の本質は、そう冷たい人間ではないのだろう。
「どうか、俺の側にいてほしい」
「私こそ、よろしくお願いします」
今度は、逃げない。
この足でしっかりと歩いていく――そう決めた。
「ただ、私人前に出るのは遠慮したいので。とことん存在感を薄くしますけど……?」
「その時には、俺も一緒に隠れようか」
くすくすと笑ったアイリーシャは、エドアルトの肩に頭を預けた。
繋いだ手に、きゅっと力をこめてみる。同じくらいの力で握り返されて、また笑いが漏れた。
(……私、この世界が大好きだ)
そう思えるのが、何よりも幸せ。
どちらからともなく顔を寄せて、この日初めてのキスをした。
【書籍化】転生令嬢はご隠居生活を送りたい! 王太子殿下との婚約はご遠慮させていただきたく 雨宮れん @suikawa
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