新しい誓いをあなたと

 不意にエドアルトがアイリーシャの前に立ちふさがる。


「気をつけろ。そいつは、お前の言う"ミカル"ではない!」

「どういうこと?」


 問い返したけれど、ミカルはにやりとしただけだった。


(……でも)


 伝わってくる。ミカルの持つ魔力が変化した。

 ミカルの中に誰か――いや、何かがいる。それは、ミカルの全てを飲み込み、支配し、そして大きく膨れ上がる。

 ミカルは、アイリーシャにとって尊敬すべき相手だった。彼がここまで導いてくれたのに。

 それなのに、彼が別の存在へと塗り替えられていく。


(私、何も見えていなかった)


 ミカルを敵に回すことなんて、できるのだろうか。アイリーシャはぎゅっと目を閉じた。


「来るぞ!」


 "ミカル"の手から閃光が迸った。

 けれど、その光が、アイリーシャを貫くことはなかった。エドアルトの抜いた剣が、その光を弾き飛ばしたから。

 冴え冴えとした氷の群舞。刃を包み込むように、氷が舞う。


「エドアルト様!」

「――今度は守ると誓った」


 エドアルトのその声は真剣なもので。

 その声に勇気を分け与えられたような気がした。

 今は焦る場合ではない――アイリーシャには、アイリーシャのやるべきことがある。


「――やります!」


 エドアルトが、時間を稼いでくれる。大丈夫だ。


(槍の使い方なんて知らないけれど、まあ、なんとかするしかないでしょう)


 手にした聖槍の重み。

 貫くのは、ミカルではなく彼の身体を支配した魔神。


(私は――最初の戦乙女。次の世代に、つなげるのが役目)


 身体の奥から湧きおこる衝動のまま、聖槍に魔力を流し込む。


「ふん、この身体の持ち主を、お前は倒せるのか?」


 響いてくる声も、ミカルのものとは違う。けれど、それがアイリーシャの気持ちをなだめてくれた。


(……大丈夫。聖槍は、器となっている人間まで殺すわけじゃない)


 この槍は、この世界に現れた魔神を駆逐するためのもの。


「俺が動きを止める! 君はその間に魔神を封じるんだ」

「――行きます!」


 ミカルは、能力はあれど心は弱かった。だから、魔神の誘惑に乗ってしまったのだ。

 エドアルトの放つ冷気が、ますます強くなっていく。教会の扉までもが、白く染まり始めた。


「――行くぞ!」


 エドアルトが狙うのは、ミカル――魔神――の足元。素早くよけようとしたミカルだったけれど、エドアルトが貫いたのは、足ではなくそのすぐ下の地面だった。

 地面から一気に立ち上った冷気が、宙に浮いて逃げようとしたミカルの足に絡みつく。冷気は白くミカルの足を染め、そこからじわじわと膝の方へと侵食していく。


「アイリーシャ!」


 鋭いエドアルトの声。

 チャンスは一度しかない――エドアルトの作ってくれたチャンスを、アイリーシャは逃したりしなかった。

 まっすぐに構えた槍を地面に突き立て、脳裏に思い描いたイメージそのままに、魔法円をくみ上げる。


「ギャアアアッツ」


 すさまじい声を上げながら、ミカルの身体から黒い靄のようなものが立ち上る。

 それが消え去るのと同時に、ミカルの身体はどさりと地面に倒れた。


(……終わった……のかな……?)


 エドアルトと顔を見合わせる。これで、魔神を倒したことになるのだろうか。


「おつかれぇ~、ありがとーう!」

「かるっ! 軽すぎるっ! 私、今一応世界救ったんですよね? なんで神様そんなに軽いの?」


 愛美をアイリーシャとして、この世界に転生させた神は、ミカルの身体をぺしぺしと足蹴にした。緊張感、皆無である。


「だって、我、君が勝つって確信してたしぃ。あ、こいつはもらっていくぞ」

「もらっていくって……」

「性根を叩きなおさねばならん。まあ、こちらの世界にいつ戻ってこられるかはわからんけど。戻って来た時、こいつがどうなっているかは、我の関与するところじゃないから知らん」


 知らんってそんな無責任な。なんで、こんなにお気楽なんだろう。

 もうどこから突っ込んでいいのかもわからない。


「ミカル先生を連れて行って、どうするつもりなんですか?」


 乾いた笑いを漏らすことしかできない。

 ほんの数分前まで命を懸けたやり取りをしていたはずなのに、どうしてこうしまらないんだろう。

 意識を失っているミカルの身体を器用に背中に乗せ、神はこちらを振り返る。


「ほら、三百年後。導き手が一人じゃ足りないかもしれないじゃん? まあ、その時、こいつが協力してくれるかどうかはわからないけど。使える駒は多い方がいいっていうか。まぁ、我が働きたくないってだけなんだけど」

「ちょっと神様正直すぎません?」


 これで師匠とお別れだと思うと、胸に迫るものがあったはずなのに、神様のせいでしんみりした空気がぶち壊しだ。

 たしかに、彼はアイリーシャを利用していたのかもしれない。多数の犠牲を出して、自分の野望を果たそうとしたのも否定できない。

 ――でも。

 十年もの間、彼に師事して、アイリーシャが得たものもたしかに多かったのだ。たしかに彼は過ちを犯したし、それは償うべきものであるけれど。


「それじゃあ、まあ、そういうことで。あ、また違う魔神が来るかもしれないから、その時はまた力を借りることになると思うよ」

「え? 今回だけじゃないの?」

「今回だけのはずないじゃん。魔神が一柱しかいないって誰が言った?」

「……うそぉ……」


 最期に飛んでもない爆弾を落とすなり、ミカルを背中に乗せた神様は、煙のように消えてしまった。


(……でもまあ、しかたないわよね)


 一度引き受けた役目を勢いよく放り出すわけにもいかないだろう。そんなの、アイリーシャの矜持が許さない。


(あ……次の世代の戦乙女を導くって……ひょっとしたら)


 三百年後、新しい戦乙女が姿を見せた時。彼女の側に、一人の青年の姿がある。彼の顔は表示されず、後姿しか、画面には描かれなかった。

 攻略対象者ではなく、あくまでも協力者の一人。

 たしか、彼は、過ちを犯した結果、時の流れから取り残されて、戦乙女に協力していくことになった。

 それが、彼の償いだから――そう語った彼の髪は、赤かった。


「……そう、そういうことだったの」


 思わず苦笑してしまう。

 まんまと、いいように神様に使われてしまった。

 三百年後、再びミカルと再会することになるかもしれない。その時、こちらは"玉"で、彼は人の姿のままだろうけれど。


(……どうか、この世界が、それまで平和でありますように)


 他の魔神が来るとか縁起でもない予想をされたけれど――まあ、大丈夫だろう。

 三百年後、ちゃんと次代の乙女を導けるようにしていたい。


「君が、無事でよかった。今度は、俺は君を守ることができた?」

「……ええ。あなたがいなかったら、きっと私はここまでたどり着くことができなかったと思います」


 思いがけない出会い。

 エドアルトの手が、顎にかかる。

 そっと触れ合わされる唇を、黙って受け入れた。

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