ミカルの野望

 教会の礼拝堂。

 そこは、しんと静まり返っていた。

 重い扉を開くと、二列に並んだ長いベンチ。左手の上部にあるのは、王族が祈りに参加する時の特別席だ。

 真ん中にある通路の先には、真っ白な大理石で作られた創世神の姿とされる像。

 アイリーシャの知る猫の姿とは似ても似つかない、若い男性の姿だ。


「神様、聖槍ってどこにあるの」

「あの像のところ。やー、上手に隠したもんだよねぇ……我の知らない間に、人間もだいぶ進歩してたみたい」


 神様と言えど、知らないことは山のようにあるらしい。アイリーシャは、像の方に踏み出した。

 共にここまで来たエドアルトは、邪魔をしないように一歩引いたところからこちらを見ている。

 ――こんな状況なのに。

 恐ろしいほどにアイリーシャの気持ちは凪いでいた。


「じゃあ、行っとく?」


 ルルが、アイリーシャを見て微笑む。ルルの手に背中を置き、アイリーシャはゆっくりと像の前に進み出る。

 像の前で足を止め、上を見上げた。こちらを見下ろす、優し気な青年の微笑み。


(私、この光景を知っている……!)


 これは、ゲームの終盤。モニカが最終決戦に向かう前、聖槍を授かったのと同じ場所だ。

 ――同じ場所にいる。

 不意に涙が零れそうになった。

 次の世界に向かうための通過点に過ぎない生だったはずなのに。

 胸が熱い。


(――決意は、できた)


 アイリーシャは、両手を高く上げた。まるで、天に向かって祈りを捧げているかのように。

 ひとつ、ふたつ、三つ。

 数を数える間に、像がまばゆく輝きだした。

 空から、いくつもの星が落ちてくる。まだ空は明るく、ここは教会の中だというのに、星が次から次へと降って来た。

 その星は、アイリーシャの身体を通過し、床へと吸い込まれていく。

 ひときわまばゆく輝いたかと思ったら――目の前に現れたのは、美しい一本の槍だった。三又の槍は、根の部分に宝石がはめ込まれている。

 戦用というよりは、儀式に使うもの。そんな風に見えた。


「これが――聖槍」


 両手でそれを捧げ持つ。ずしりと重いそれは、アイリーシャに使命を告げているかのようだった。


「時間がない、急いで!」


 神様に急かされ、それを手に外に出る。


「――やっと来たか」


 教会の外に出た時、よく知った声をかけられた。知っている声なのに、まるで別人の声のようだ。


(私、心のどこかでこの状況を想定してた……)


 今まで誰も気づかない方がおかしかった。

 ばたばたと倒れていく貴族達。皆、魔力は持っていたけれど、例外はミカルだけ。

 なぜ、ミカルだけ倒れなかったのだろうと考えないわけではなかったけれど――。


(今までの先生とは違う)


 そう思ったのは、ミカルの身体から、今までの彼とは明らかに違う魔力を感じたからだった。


「先生、なぜ、ですか?」


 口をついて出たのは、"所長"ではなく"先生"だった。幼い頃からのミカルとの関係性が、そう呼ばせたのだろう。


「なぜ? あなたがそれを言うとは思いませんでしたよ。アイリーシャ様」


 こちらを見るミカルの目は、今まで見たことがないほど冷たいものだった。背筋がぞくりとし、思わず一歩、交代する。

 その背中に当てられたのは、エドアルトの大きな手だった。

 "氷"と呼ばれているのに、彼の手は温かい。アイリーシャは息を吸い込んだ。大丈夫、大丈夫、


だ。


「十五で筆頭魔術師となりましたが、私はずっと引け目を覚えていました。身体に秘めた魔力の量があまりにも少なかったから。これでは、いざという時、国を守ることができない」


 ミカルとアイリーシャはある意味対照的な存在だ。

 強大な魔術を発動することができても、魔力の量の少なさから一撃必殺を狙うしかないミカル。

 強大な魔術を放てないけれど、魔力の貯蔵量が多いことから、魔力が尽きるまで何度でも放つことのできるアイリーシャ。


「魔力の量は増えなくても、知識を蓄え、修練によって上を目指すことができる。近いうちに、私はあなたに追い抜かれる――誰よりも努力してきたのに、です」


 そう告げるミカルの声の苦々しさ。

 その奥に秘められているのはなんだろう。アイリーシャにもわからなかった。

 ただ、彼が苦しみを覚えていた――それだけが伝わってくる。その苦しみは、理解できないものだったけれど。


「だから、聖獣を呼び出して契約しようと思ったんです。聖獣と契約できれば、魔力の量が増大するから」


 若くして宮廷魔術師の筆頭となったミカル。彼の出世を喜ばない大人達は、陰でひそひそとささやき続けた。

 彼が持つのは知識だけ。いざという時、あれでは国の役には立たない――と。

 それが、彼の心をむしばんでいったのだろうか。


「でも、先生は資格を持たなかった。ルルとは契約できなかったのでしょう?」

「ええ。どうやら、見向きもされなかったようですね」


 困ったように、悔し気に、なんとも言えない表情にミカルの顔が歪んだ。


「しかたがないので、また違う世界の住民を呼び出すことにしたんですよ。彼は、私に力を貸してくれた。そこの聖獣とは違ってね」


 どうして、今まで気づかなかったのだろう。気づく機会は、今まで何度もあったはずなのに。


「……魔神と契約したんですか?」

「ええ」


 ミカルは微笑んだ。その笑みは、今まで彼がアイリーシャに見せた中で一番美しいものだった。

 悲しいほどに壮絶で、この世のすべてを排除しているような。


「――どうして」

「どうして? 私は自分で自分の道を切り開こうとしただけですよ」


 それは違う――そう言いたいのに、言葉が喉に張り付いたようだった。


「私は、あなたが憎い――どうして、あなただけそんなに恵まれているのでしょう?」


 間近にせまるミカルの顔。

 その目の奥底に揺らめく憎悪に、一瞬呑み込まれそうになった。


(違う――私だって、そんなに恵まれているわけじゃ……)


「十年前、あなたという存在を知った。あなたは、私の教えるすべてを吸収していった――いつか、さほど遠くない未来。私はあなたに追い越されるでしょう。それが、許せなかった」


 彼の目に、射抜かれたように感じた。

 動くことができない。


「では、財を持つ者ばかり狙ったのはなぜだ?」


 側にいたエドアルトが、不意に話に割り込んできた。

 ミカルは妙にぎくしゃくとした動きで、エドアルトの方に目を向ける。


「ああ――単に、私が下町に行く機会がなかったというだけですよ。魔術研究所の近くで見繕いましたので」


 深い意味はなかったんです、と笑うミカルは、なんだか別人のように思えてならなかった。

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