麗菜『ホットミルク』


「レモンの漢字って、なんで難しいんだろ?」

それは突然の問いだった。一瞬の間。なんて答えようか考える。

――……カランコロン

その間も絶えずその音の響きが二人を包む。

「恰好つけたかったんじゃないの?」

考えてみたのだが、それくらいの答えしか思い浮かばなった。

「レモンで恰好つけるの?」

目の前の君は可笑しそうに笑う。彼女はいつも感情が顔に出てしまう。コロコロと変わる表情は見ていてとても楽しい。彼女はどんな表情も美しく、ずっと見ていたくなる顔をしている。彼女が笑うと気持ちが晴れるし、彼女が悲しそうな顔をしていると心が曇る。彼女には自分の感情を相手に伝染させる力がある。そのお陰で元気をもらうこともあるけど、感情が揺さぶられてばかりで振り回されてばかりだ。

「でもさ、林檎だって葡萄だって難しい漢字じゃない? そしたら、リンゴもブドウも格好つけたいの?」

確かにそうだ。口から出まかせを言ったところですぐにボロが出る。

「そしたら、林檎も葡萄も格好つけたいのかもしれないね」

仕方がなく、思ったことを口にした。私だって、そんなに賢い訳ではないのだ。本当はもっと話を膨らませたいが、続きの言葉が浮かばない。ティースプーンでミルクをかき混ぜる。

――……カランコロン

今日の彼女は喉の調子が良くなかった。教室で親しい友達と楽しそうに談笑する姿をいつも通り眺めていたが、今日は違和感があった。だからと言って、彼女の声の美しさは変わらないが、声を出すたびに彼女の表情がほんの少し歪む。私はそれを見ていられなかった。彼女の歪んだ表情にあまりにも心が痛む。いてもたってもいられず私は昼休みに彼女に尋ねた。

「今日調子悪そうだけど、大丈夫?」

彼女は驚いた顔をして

「ちょっと喉の調子が悪かったの。よくわかったね! 気がついたのは君が初めてだよ。心配してくれてありがとう」

と笑った。気持ち悪いと思われていないか少し心配だったが、気持ち悪がるどころか彼女はお礼を言ってくれた。この時、彼女の素直さに感心しつつ、今日は彼女をいたわってあげようと心に誓った。

ほんのりと、甘い香りが鼻をくすぐる。良い感じに溶けてきたようだ。形容しがたい私のこの感情も全部溶け切ってしまえばいいのに。

「……ねえ」

先ほどから続く長い沈黙を彼女は遮った。

「檸檬の漢字の意味わかった気がする」

私にもわからなかったのに、彼女にはわかってしまうなんてなんか少し悔しい。

「檸檬って君なんだよね」


「は?」

「だーかーらー! 檸檬は君なんだって!」

「何を言ったのかはわかるよ、でも意味が分からないんだって」

「檸檬の〝檸〟は〝心〟が入ってるから心が優しい君っぽいし、〝檬〟は〝啓蒙を説く〟の〝蒙〟部分が入っていて、いつも私を導いてくれる君っぽいじゃん? つまり君だよ!」

顔に熱が集まってくるのを感じる。熱い。手に持っているマグカップのせいだろうか。いや、彼女の優しい言葉のせいだ。

「……もしかして照れてる?」

「て、照れてない!」

いや、実際は照れている。まさか、彼女からそんな風に言ってもらえるなんて思ってなかったから。

「ふふふ、ごまかしちゃって~」

「違うし! ……あ! そ、そろそろ飲み頃かな⁉ 飴、いい感じに溶けてきたかも!」

「ごまかしちゃって~!」

彼女はとても楽しそうに笑う。悔しいが、その笑顔はとても可愛らしくてからかいすら許してしまいそうになる。

「ほら! 溶けてきたし覚めないうちに飲もう!」

全力でごまかした。

「……ふふ、そうだね。飲もっか」

彼女の喉をいたわりたくて用意した蜂蜜檸檬入りのホットミルク。彼女と少しでも長い間一緒にいたくて、蜂蜜檸檬の飴を溶かして飲むようにしたキャンディーホットミルク。

 焦って飲み始めたから飴は完全に溶け切れていなかった。溶かしきれない感情とともに私は静かに飲み干した。


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2020 萌音 実践女子大学現代文学研究部 @jissen_genbun

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