第61話 激痛と切望


 指部分の外殻が伸びて作られた五指剣チンクエディアは、すばるの右腕と横腹を深々と貫いた。


 極大の激痛が全身を貫き脳天まで駆け上る。


 目の前に火花が弾け飛ぶようだった。


「あ、ぐぁああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 ずるりと自分の体から剣が引きずり出される感触を味わいながら、昴は体育館の床に倒れ込んで絶叫を上げた。


「昴様!?」


「朽木昴!」


「お館様っ!」


 三者三様の声が、酷く遠いところから聞こえてくる気がする。


 もちろん、昴にはその声に応える余裕などなかった。


「ハァ、フゥ、ハァ、フゥ―――」


 浅く早い呼吸を繰り返して少しでも激痛を押さえ込もうとするが、身じろぎすることすら難しい。


「くくく、これはこれは。涙を誘う悲劇だな」


 界李かいりの挑発にも反応する余裕はない。


 わずかでも気を緩めれば、恥も外聞もなく泣きわめいてしまいそうだった。


 ずくんずくん、と鼓動が脈を打つ度に新たな激痛が生まれ全身を駆け巡る。


 全身から脂汗が吹き出し、出血で悪寒が湧き起こっていく。


 恐怖が津波のように押し寄せるが、今の昴にはそれ以上に忘れてはいけない存在があった。


(す、涼音すずね、涼音をどうにかしないと……)


 うつぶせに倒れ込んでいるおかげで周囲が見えない。


 激痛で意識を保つだけで精一杯で、状況が掴めなかった。


 この状態で〈聖なる泉ミーミル〉を制御できるかどうか自信がない。〈涼音〉が水姫みずきを狙い続けたら、守り切れないかもしれなかった。


 だが、


『嘘……。昴!? 私が、私の手が、昴を――!?』


 悲壮感に彩られた声が響く。


『ごめん、ごめんなさい! 私、私――』


 体が重い。


 まるで自分の体が鉛に置き換わってしまったようだ。


 それでも昴は、ある種の予感を覚え、酷く苦労しながら体勢を仰向けに変えていく。


「す、涼音……」


 傍に〈涼音〉が立ち昴を見下ろしていた。


 冴香達は昴を救い出したい様子だったが、〈涼音〉を刺激しないようにその場に釘付けになっている。


 そして問題の〈涼音〉だが、相変わらず顔はバイザー状の外殻に覆われていて表情は読み取れないが、全身から放たれていた殺気が消えているように思えた。


「涼音、僕は……」


『何? 何を言っているの? 聞こえない!』


 唇が動いているせいで喋っていること自体は伝わっているらしいが、〈涼音〉の耳を覆う外殻のせいで外の音が届いていないのだ。


『これのせいだ!』


 そう言いながら、〈涼音〉は自分の顔周りを固めている外殻に指をかけ、強引に引っ張る


『ぐ、くぅ!』


 外殻は単なる装甲ではなく、〈涼音〉の神経とつながっているのかもしれない。


 明らかに苦痛を感じながらも、涼音は顔を覆う外殻の一部を引きちぎった。


「す、昴。昴!」


 呼びかけてくる。


 片耳と顔の半分が露出していたが、そこから見える表情からすれば、元の涼音の感情を取り戻しているようだった。


「す、涼音……。ぐぅ、ぼ、僕は――」


 語りかけたい言葉が山ほどあったというのに、言葉が通じるようになったときには激痛で口がきけない。


 その皮肉が恨めしかった。


「お、お館様から離れるでござる!」


 割り込んできたのはアンジェリカだった。


 危険な相手だという認識はあるのだろうが、恐怖心を無理矢理押さえ込んで昴のために動いたのだ。


 涼音は、自分が昴にとっての脅威と見なされていることに困惑し、硬直していた。


「い、命がけでお主を助けに馳せ参じたお館様に対し、なんたる仕打ち!」


 涼音は昴を傷つけようとしたわけではない。


 だがまだ幼いアンジェリカには涼音が味わった絶望は理解できないのだろう。


「私……。私は………」


 悪気はなかっただろう。


 心から昴を思っての言葉だったのだろう。


 だがアンジェリカの言葉で涼音は再び揺さぶられる。


「ゴメンね、昴。私、全部覚えている……」


 ポタポタと、涼音は大粒の涙をこぼしながら言葉を紡ぎはじめていた。


「私、邪魔者で……」


 違う、と力一杯叫びたかった。


 だが痛みで力が入らず、ひゅうひゅうと意味のない息を漏らすことしかできない。


「私がいるとこの世界が壊れるって、全部、全部覚えているよ」


 その責任を涼音が一人で背負い込むことは絶対に間違っている。


「………水姫、さん?」


 言葉にしたい思いが何一つ伝わらない中、涼音は改めて水姫に向き直る。


「あ、はい、わたくしにご用でしょうか?」


 意識は戻ったようだが、いまだに涼音の体は外殻で覆われている。


 ついさっき自分を串刺しにしようとした相手だというのに、水姫は少しも身構えず自然体で応じてくれていた。


「昴は、大切にしてもらえますか? 私を襲ったような、怖い人に苦しめられませんか?」


 鬼火斗きびとのことを言っているのだろう。


「その件については、本当に申し訳ありませんでした。わたくしが、二度と昴様をあのような危険な目に遭わせないと約束します」


「……そうですか」


 何が言いたいのか、何が聞きたかったのかわからないが、それで涼音は引き下がり、次は冴香さえかの方を向いた。


「黒瀬さん、こんなところで会うなんて思ってもみなかった」


 冴香は水姫ほど達観はしていないが、それでもあからさまに敵を見せるようなことをしなかった。


「私も、そう思う。……学校で何度か話したことがあるだけだけれど、君はこんな世界に巻き込まれるべき人ではないと思う。残念だわ」


 苦々しい表情を浮かべる冴香に、涼音は苦笑した。


「あなたと話したことがあるのは、こちらの世界の涼音よ」


 涼音から指摘され、冴香は初めて虚を突かれたような表情になった。


「あなたにお願いがあるの。――あなたなら、一瞬で私を消せるんでしょう?」


 最初、その場の誰もが涼音の発言の意図を掴み兼ねていた。


「この体にできるだけ傷をつけないように、『私』だけを消せるんでしょう?」


「涼音さん、まさかあなたは……」


 水姫が驚いたように目を見開く。


 涼音はすぐには答えず――あるいは、彼女自身、自分の気持ちを整理するかのように静かに昴の元に歩み寄り座り込むと、昴の頭を膝の上に乗せる。


「ごめん、ごめんね、昴。こんなに酷いことをしちゃって、ごめん……」


 涼音の涙が昴の顔に降り注ぐ。


 出血で全身が酷く寒い中、顔に降り注ぐそれだけが温かかった。


 謝ることはないと声をかけたかったが、既に昴の体力は意識を失わないだけで精一杯で、口を開くことすら難しくなっていた。


 傷口がどうなっているかはわからないが、本能的に傷口を押さえた左手は自分の血でぐっしょりと濡れている。


「今の私でも、このぐらいなら、できるから……」


 そう言いながら、涼音は昴の傷口に優しく手を置いた。


 更なる激痛を予想して一瞬身構えるが、涼音の手は温かなだけで、痛くはなかった。


(涼音の手から、温かさが広がっていく……)


「出血を止めた、のか? 梓川涼音、君はいつからそんなことが?」


 駆け寄った冴香が驚きながら昴の傷を凝視する。


「何となく。こうしたら、傷が塞がるような気がして……」


「今の涼音さんは、創世術そのものといった存在になっています。ですから、〈精霊器〉リゾルバーで起こせる奇跡を、直接起こしておられるのかもしれません」


 言葉を選びながら、水姫が推測を述べる。


「どうなのかな。私にはわからない。でも、そんなことはわからなくてもいいの。私は、消えていくことを選ぶから」


「あ、うぁ……」


 どうしてだと問い返したかったが、声にならなかった。


「無理はしないで。たぶん、傷は塞がったと思うけれど、無理はできないはずだから。………さっきまで、死ぬのが怖くて怖くて仕方なかったけれど、でも、私がこの世界を壊してしまうのだとしたら、それは間違っていると思った」


「しかし、その、私が言うことではないが、あなたが犠牲になることだって正しいとは言えないはずだ」


 ミドガルズオルムの使命と自分の感情に上手く折り合いをつけられず、冴香は矛盾するようなことを口走る。


「……昴に教えてもらった〈ワールドエンド〉の話や、さっき捕まっていたときに聞かされた話で、何となくわかったの。この世界は私の世界じゃない。ここに生きている人達は、私が生きていた世界の人達じゃない。けれどみんな、必死で生きてる。私の両親や、咲良や、朽木のおじさんとおばさん、学校のみんな。それに、昴。みんな生きてる」


 目覚めてから今日までの間に出会った、こちらの世界の人々の顔を思い出すように、涼音は少し目を閉じた。


「私が生きていたら、みんな死んじゃう。それは、やっぱり間違ってる。何より私は、昴に生きていて欲しいの。……大好きだから」


 泣き笑いのような表情で、改めて告白する。


「ぼ、僕、は……」


 必死に声を絞り出そうとするが、肺が上手く空気を吸い込んでくれない。


 もどかしさで涙が溢れそうになってきた。


「大丈夫。大丈夫だから……。この世界で、生きてね……」


 優しく囁きながら、涼音の唇が昴の唇に近づき――そして途中で止まる。


「そっか。この体、私のじゃなかった……。最後に、思い出が欲しかったけれど、勝手にファーストキスをすませちゃったらこっちの私に悪いよね。ドジだな、私」


 そっと昴の頭を床におろし、涼音は静かに涙を流しながら、それでも必死で笑顔を浮かべながら立ち上がる。


「黒瀬さん、お願いします」


 静かに冴香に向き直った涼音がどんな顔をしているのか、昴からはわからない。


 だが、


「抜刀っ!」


 冴香の〈精霊器〉起動の声が吐き出される。


 その声は、悲痛な色を帯びていた。


「承った。私がたたき込まれた技量を全部使って、君には一瞬の苦痛も味わわせない」


 普段よりもさらに固い声。


 感情を必死に押し殺した声で冴香は宣言し、〈精霊器〉氷雨を振りかぶった。


「そんなくだらない終わり方! 俺が許すと思ったのか!」


 悲劇の傍観者を気取っていた界李が、ここで慌てて介入を試みる。


 その首に、鞭状の〈精霊器〉が巻き付き締め上げる。


「ぐ、ぐぅう!?」


 昴が苦労して首を向けると、足を引きずりながら清十郎が立ち上がっていた。


「大人としてはだいぶんダサいけれど、それ以上に無粋なこいつは俺が抑えておくよ。動くなよ。妙な真似をしたら、お前の首、ねじ切るからな」


 全員が、涼音を送るために動く。


 そんな中で昴だけが声にならない声で絶叫していた。


(ダメだろ! そんなの、ダメだろ!)


 最後に口づけしようとして、それすらこっちの自分に悪いと遠慮をする。


 自分が消え去らなければどのみち自分も含めた世界のすべてが滅びるとしても、それで自分の死を受け入れようとする涼音の気持ちが悲しかった。


(なんでお前は、こんなときまで他人の心配をしているんだよ!)


 涼音は昴だけではなくて周りの人間に気配りができて、だから人気者で、人とつき合うことが苦手な昴は密かにその姿を見て憧れてもいた。


 そんな涼音だからこそ、自分を犠牲にして世界を救おうという決断をしたことが辛かった。


(僕に、本当に世界を覆すような力があるなら、今こそ応えろよっ!)


 怒りに突き動かされ、昴は無理矢理体を起こす。


 だが自分の流した血で滑り、再び無様に床に倒れ込んだ。


(頼む! 僕の何を犠牲にしたっていい! だからこんな決別だけは止めてくれよ!)


 その瞬間、昴の目の前は真っ白になった。


 意識を失ったのかと思った昴だったが、その思考が可能である時点で意識は保たれていることに気づく。


 だが、ならば直前まで体育館の床に蹲っていた記憶との整合性はどうなるのかという疑問がわき出す。


 どこまでもどこまでも白い空間だった。


 目をこらしても壁のようなものは見えず、この空間の果てがどこにあるのかわからないほど広かった。


 そんな困惑が止まらない昴の目の前に、


『初期設定が完了しました』


 という文字が突然表示されたのである。

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