第60話 二つの葛藤


 状況は、考え得る限り最悪の事態に陥っていた。


〈ワールドエンド〉が発生するより前。


 特異点であるすばるに少しでも快適に過ごしてもらえるため、水姫みずき達は様々な用意を整えていた。


 水姫の能力で割り出した今回の特異点は人間――貴重な稀人で、その意味でも組織の期待は高まっていたのだ。


 ミドガルズオルムの実働員はほとんどが〈精霊器〉リゾルバーの起動因子の持ち主だが、それは純粋に遺伝によってのみ受け継がれ、世代を重ねる度に薄れていく。


 彼が子孫を設ければ、〈精霊器〉の起動因子がまた補充できるということだ。


 慣れ親しんだ人々から引き離されることになる稀人に、即物的な期待まで押しつけることには抵抗を感じる。


 それでも、稀人である昴が少しでも心安らかに過ごせるようにするという一点で、水姫はミドガルズオルムの考えに同調していた。


 幽月ゆづきの発案で、昴が通っていた高校にわざわざ転入する手続きを取った意図はわからなかったが、それでも冴香の報告ではそれなりに学校に溶け込んでいたらしい。


 水姫達の努力というよりも、梓川涼音あずさがわ すずねが親切に接してくれたためであったらしいが、それでもこのままこの世界で、第二の人生を営んでくれればと期待を抱くには充分な出だしだった。


 ――ただ、〈ワールドエンド〉は、古い文献や言い伝えだけでしか知ることができない。


 事前の練習やシミュレーションなど不可能で、そんな未知の現象を前にすれば想定外の事態の一つや二つ起こっても当然。


 むしろ、すべてが予定通り進むことの方が不自然だと言われていた。


 だからこそ、水姫達は様々な工夫と準備を重ね備えてきたのだ。


 なのに、実際に起こった想定外の事態は、想定外に対して身構えていた水姫をもってしても巡り合わせの残酷さを恨まずにはいられないほど皮肉なものだった。


〈ワールドエンド〉が発生し、無事に生き残れたとしてもマナ混乱期が訪れレヴェナントが発生する。


 今回、発生したレヴェナントがよりにもよって昴の幼馴染みの涼音で、おそらく昴の近くで育ったことが関係しているのだろうが、かなり特殊な資質を有してしまっていること。


 加えて鵺堂界李ぬえどう かいりだ。


 ミドガルズオルムは決して清廉潔白なだけの組織ではない。


 内部の腐敗も含めて、世界が生き残るためという一点に清濁のすべてを費やし必死で駆け抜けてきた。


 水姫はそのことについて是非を唱える立場にはないが、組織が抱えていた闇が作り出した因縁が、恨みを晴らすために復讐を企てるのも無理のないことなのかもしれない。


 だがその復讐者が、よりにもよって昴に目をつけ、水姫達ですら把握していなかった特殊なレヴェナントである涼音の存在をいち早く察知してしまうなど、間の悪さを恨みたくなるほどだった。


 界李は、まんまと涼音を奪取し、水姫達ですら知らなかったステージⅥという極限の状態まで導いてしまった。


 そして今、すべての選択が昴に押しつける形になってしまったのだ。


 最悪中の、最悪の事態である。


 水姫の存在もあって冴香さえかは昴に協力する立ち位置にいる。


 生真面目で律儀な彼女の性格を考えれば、清十郎せいじゅうろう鬼火斗きびとのように、自分の判断で涼音を抹殺するような行動には移らないだろう。


 このまま座視すれば、世界が滅びる。


 それはとりもなおさず昴の死をも意味する。


 水姫は、それだけは避けなければならなかった。


 ならば昴に禁じられてはいるが、再び自分の力を解放して、命と引き替えにしてレヴェナントである涼音に全力をぶつけることも考えた。


 なり損ない程度ならともかく、ここまで自我が確立してしまっている――こちらの自分と同調しているレヴェナントを消滅させることは難しいかもしれない。


 水姫にできるのは、あくまで不安定なマナのバランスを崩す程度のこと。


 現象に干渉する術式や、限定的に物質化した武器を中和することぐらいは可能だが、既に受肉してしまったレヴェナントは既にこの世界に自分の居場所を作ってしまっているとも言える。


〈精霊器〉で直接破壊する訳でもない以上、水姫にはおそらく涼音をどうにかすることはできないだろう。


 だから、昴が涼音をどうにかするしか道は残されていない。


 昴の〈聖なる泉ミーミル〉で援護して、冴香が斬り込む――確実性が高い方法はそれだけだが、水姫は、それだけは昴に選ばせたくはなかった。


(なんて無力なの……)


 だから、今の水姫にできるのは、自分の命を使って、ほんのわずかでも猶予を作り出すこと。


 自分でもただの自己満足に過ぎないだろうことは理解していた。


 それでも、昴が最悪の選択を迫られるより前に、自分の命を使うと決意していたのだ。


 それが使命なのである。


(だから、わたくしは恐れない。恐れてはいけない。涼音さんの剣がこの身を貫いたとしても、わたくしのすべては昴様のためにあるのだから――!)


 ほんのわずかな猶予でしかない。


 だとしても、水姫がすべてを擲ってでも昴のためにできるのはわずかな猶予を作ることだけ。


 その猶予がどれほどの意味があるのかはわからないが、できることはどんなことでもやり尽くす。


 それが、自分の世界のために、昴をこちらの世界に引き込んだ水姫の責任だと思っていた。


               ◆◆◆


「くくく! 迷っている時間はないぞ?」


 界李が右手を振るう。


 今度はどこを攻撃するのだと身構えるが、意に反してマナは〈涼音〉の周囲に収束していた。


「なんのつもり――!?」


 意図を図りかねていた昴の目の前で、〈涼音〉の両腕、両肘、両膝、両脚、首、腰を戒めていた〈聖なる泉〉の障壁の内部で鋭い爆発が生じた。


 それは、障壁で狭隘な空間になっていたところで炸裂したおかげで〈涼音〉の各部を容易く切断してみせる。


 分断された肉片がリング状の障壁をすり抜け落ちていく。


 だが昴には、絶句する隙もなかった。


 息を吸い込んだ、そのわずかな時間で、肉片が床に落ちるよりも先に、傷口からマナの肉が伸びて各部を再びつなぎ合わせてしまったのだ。


 結果、〈涼音〉は拘束から自由になる。


「さすがはステージⅥの再生能力だ!」


 さも感動したという調子で声を上げるが、すべては計算通り――あるいは、九割方成功すると確信している、ひどく部のいい賭けに勝ったという程度か。


「ほら、行け! おまえの恋敵は目の前だぞ?」


 界李の声が聞こえたわけではないだろうが、〈涼音〉は水姫を狙って襲いかかる。


 右手の外殻は変化し、手刀のように伸ばした指が一体となり硬化し、一振りの剣を作り出す。


 体を捻り、肘を引く。


 そのまま一直線に、水姫の華奢な体を串刺しにするため突き出すつもりなのだ。


 水姫は、目が見えていないためではなく、おそらくは彼女の意思によってその場に留まり、前に出ようとする冴香を押しのけてすらいた。


 昴は、自分の手に握られた〈聖なる泉〉の存在を強く意識する。


 これがあれば〈涼音〉の攻撃を阻むことも、冴香を援護して〈涼音〉を倒すこともできる。


 やりたくはない。


 だが、何らかの決断をせずに立ち止まっていれば、水姫が犠牲になってしまう。


 そうでなかったとしても、界李に爆破された激痛でさらに内圧が高まってしまった。


 よく見れば、体を覆う外殻の至る所から蒸気のように赤いマナが漏れ出しはじめている。


 界李が言う「爆発」がもう間近に迫っているのだ。


 選べない、選びたくない。


 どうしてただの高校生でしかない、特別な訓練や教育を受けたわけでもない昴がそんな決断を下さなければならないのか。


(いや、僕だ、僕が邪魔をしたからなんだ!)


 本当はわかっていた。


 いくら稀人として丁重に扱われていたとしても、〈聖なる泉〉が昴の手になければ清十郎達の決断を阻むことなどできなかった。


 偶然手にしただけの力を自分のために振るった。


 自分の望みのために力を振るった。


 周囲の人々が、それぞれの考えで世界を救おうとしていた行動をひっくり返した。


 できるからやった。


 しかし、他の人達の行動を邪魔した瞬間から、状況を動かす主体は昴に移る。


 状況に影響を与えながら、責任を背負わないのは文字通り無責任だ。


 この状況は、間違いなく昴がかき乱した結果だからである。


 水姫の提案に乗って、彼女を犠牲にすることなどできない。


 こちらの世界で目覚めてから今まで、普通ではない出会い方をした彼女だったが、懸命に自分の選択に殉じようとしている姿勢は感じていた。


 出会ったばかりの人間なら、彼女の儚い美しさや澄んだ声に惹かれるだろう。


 だが昴は、同年代だというのに、彼女の真摯な生き方に尊敬の念すら抱いていた。


 水姫を見捨てられるはずがない。


 そんな、決して相容れない選択肢を突きつけられた昴の思考は完全に停止していた。


 代わりに、その体が本能のままに動き、水姫に駆け寄り彼女を突き飛ばす。


「――あっ!?」


 華奢な彼女の体は冴香が受け止め、その場に勢いよく突き出された〈涼音〉の剣が、昴の体を深々と貫いたのだった。

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