第59話 彼女か世界かそれとも……


 意識があるのか、あったとしてもそれは本当に「涼音すずね」と呼べる存在なのか、確かめたいことは山ほどあったが、それをする余裕は与えてもらえなかった。


 徐々に動きが洗練され、〈涼音〉は明確な狙いを持って動き出す。


「黒瀬! 水姫みずきが狙われてる!」


 すばるの端的な指摘に、冴香さえかは即座に反応して水姫の前へと回り込む。


 その横合いから界李かいりが爆発を引き起こすが、これは昴が〈聖なる泉ミーミル〉の障壁で防いだ。


 同時に、昴は〈涼音〉の前にも再び障壁を張って行く手を阻む。


 さきほどは容易に〈涼音〉を足止めできた障壁だが、今度はそれが華麗に回避されてしまった。


 障壁は半透明で、操っている昴自身以外には肉眼で把握しづらいはずで、おまけに標的が動けばある程度は自動で追尾してくれる。


 だが彼女は一瞬見失いそうになるほどの――つまり物理的に、完全に人間の限界を突破した速度で回避行動を取り、稲妻のような鋭い動きで障壁の包囲網をかいくぐった。


 そのまま、一切速度を落とさず〈涼音〉は水姫に襲いかかる。


「涼音、やめてくれ!」


 面白半分に邪魔をするように爆発を引き起こす界李の攻撃を防ぎながら、昴自身も水姫の元へと急ぐ。


「いいぞ! 成長している! 事前の想像とは少し違うが、嫉妬に狂って醜く成長しているじゃないか!」


 界李は辛辣な評価を浴びせる。


 冴香の、今すぐ斬りかかって黙らせてやりたいという気持ちが痛いほどわかるが、今はとにかく涼音をどうにかする方が優先だった。


『憎い、憎い!』


 圧倒的な速度で昴を置き去りにし、水姫を守るために立ちはだかった冴香に外殻で覆われた拳を振り上げる。


「やめてくれ、梓川! 君は、そんな人間じゃないだろう!」


 必死に呼びかけるのは冴香だ。


 戸惑いながらも、彼女は振り下ろされる拳を〈精霊器〉リゾルバー氷雨でいなす。


 腕を切断するわけにはいかないと思ったのか、普通の日本刀よりずっと長い氷雨を上手く操り、力を逃がす形で峰打ちを当てて空振りを誘発させていた。


 動きは素速いが、格闘技の経験などない涼音はやはりあくまで素人だ。


 昴から見ても大振りだし、冴香の干渉であっさりとバランスを崩している。


『どいて! そこをどきなさい!』


 苛立ちをにじませながらしつこく繰り出される攻撃は、一撃も通らない。


 しかし冴香とて見た目ほど気楽な作業ではないのか、一撃一撃を必死に捌いているといった印象だった。


「涼音!」


 ようやく追いついた昴は羽交い締めにして止める。


 邪魔をされた〈涼音〉は反射的に体を振った。


 レヴェナント化しても昴より体格が大きくなったわけでもない。


 なのに、そのわずかな動きで昴の体は足が地面から浮き上がるほどの速度で振りまわされ、あっさりと引きはがされ宙を舞う。


 だん、と体育館の床で背中をしたたかに打ちつけてから何が起こったのかようやく理解できたような一瞬の出来事だった。


 やはり動きはでたらめでも、パワーやスピードは常識離れしている。


「でも、だからって――」


 水姫を殺させるわけにはいかない。


 水姫自身のためはもちろん、おそらく涼音も意識を取り戻したときにそんなことになっていたら、それこそ心が引き裂かれるほど後悔するに決まっているからだ。


「幼馴染みだからって、ずっと僕を気にかけるぐらい、優しいやつだっただろお前はっ!」


 背中の痛みは無視をして跳ね起き、昴は〈聖なる泉〉の障壁を展開する。


 今度は、前を遮るだけなどという曖昧な方法ではない。


 障壁が小さなリング状になり、〈涼音〉の各部にまとわりつく。


 左右の手首、肘、足首、膝、腰、首――人体の関節部分の動きを阻害し、進むことも下がることも、跳躍して振り解くことも、ありとあらゆる行動をすべて阻害する。


「ほう、そんな芸当もできたのかよ? だが、それだけ細かいコントロールをしていたら、他の場所まで手が回るのか?」


 界李の言葉と同時に、昴の眼前にマナが収束する。


 威力は弱い。


 咄嗟に、辛うじて一枚だけ障壁を張ったが完全に防ぎきることはできなかった。


 鈍器で殴られる程度の衝撃が脳天を突き抜け、ぐらりと体が揺れる。


 一瞬、意識が吹っ飛びそうになったが歯を食いしばってどうにか踏みとどまった。


 ここで昴が意識を失ってしまったらどうなるか、容易に想像できるからだ。


「貴様っ!」


 界李の奇襲に冴香は激高しかけるが、


「待って! 黒瀬は水姫とアンジェリカを!」


「くっ! しかし、こいつが野放しになってしまえば破綻する!」


 それでも、冴香が界李に斬りかかろうとすれば、おそらく界李は躊躇なく水姫を直接攻撃する。


 いや、あるいは、その前にまた水姫が自分の力を解放してしまうかもしれない。


 それだけは避けないといけないのだ。


「涼音! 僕の声が聞こえないのかっ!」


 相変わらず、水姫の頭部は外殻でガッチリと固められていて、彼女の意識があるかどうかはわからないが、少なくとも声が聞こえているとは思えなかった。


 足止めをしている間に、アンジェリカに任せて水姫だけはこの場から苦そうかとも思う。


 しかし、外にはなり損ない達が溢れかえっている。


 この赤いマナが人間をなり損ないへと変容させてしまうというのなら、これほど異常な密度のマナに晒された人間は、下手をすれば一人残らずなり損ないへと変容しているかもしれない。


 街の人間、すべてがだ。


 そう、街の人間すべてがなり損ないへとなっているのかもしれない。


 元の世界では親しい人間などいなかったが、こちらでは涼音の手助けもあって昴にも昼休みに軽口を交わす程度の人間はできた。


 学生食堂で、決して社交的とは言えない昴に、気さくに声をかけてくれる生徒会の面々。


 あるいはこのままいけば、昴にだって友達と呼べる相手ができるかもしれない。


 何より、この世界には妹の咲良さくらが生きていたのだ。


 顔をよく見ることはできなかったが、元の世界では事故で死んでしまった両親も、生きていたのだ。


(咲良も、父さんも、母さんも……?)


 二度も家族を――たとえ向こうは昴のことを家族と認識してくれなくても、失うのは耐えられない。


 普通のレヴェナント化とは違い、なり損ないには一つだけ、街のすべてを救う方法が残されているという。


 だがそのためには、絶対に選べない選択肢を自分の手で選ばなければならない。


「朽木昴!」


 冴香が悲壮なまでに真剣な眼差しを昴に向けてくる。


「――頼む、お前には耐えがたい選択だということはわかる! だがもう、彼女を救いながら世界も救う方法はないんだ!」


 わかっていた結論。


 最初から出ていた答え。


 それでも昴は、しゃにむに、自分が絶対に避けたい答えを回避するために、あるかどうかもわからない理想を追い求めてここまでやってきた。


 水姫も、アンジェリカも、冴香も巻き込んで、危険に遭わせて、ここまで来た。


 そのあるかどうかもわからない望みが潰えたということなのだ。


 それだけのことなのだ。


 理解しなければならなかった。


 だが、それでも――、


「昴様!」


 前に出ようとする水姫は、冴香に遮られながらも昴に呼びかける。


「わたくしを、わたくしを涼音さんに捧げて下さい!」


「「なっ!?」」


 昴と冴香の声がきれいに重なる。


「捧げるって――」


 昴は反射的に〈涼音〉を見る。


〈聖なる泉〉による拘束は健在で、いまだにその場に釘付けになっているが、その場でもがき苦しんでいた。


「それは意外な提案だな。まぁ、そうしている間にも、彼女の中でフラストレーションが高まり続けているみたいだけどな」


 気まぐれに、からかうように、小さな爆発をしかける以外、再び高みの見物を決め込む界李は嫌な指摘をする。


 確かに〈涼音〉の中に圧縮された赤いマナの圧力は、昴が身動きを取れなくしてから加速度的に高まり続けていた。


 界李はひと晩と言っていたが、もう、いつ爆発してもおかしくないほど不安定な状況になっている。


「でも、そんなことをしたら君が涼音に――」


「ええ、そうです! ですが、先程の声通り、涼音さんは昴様に執着されています。その最大の障害がわたくしだと受け取っておられます。ならばわたくしを討ち取れば、一時的にでも涼音さんの内圧が弱まるはず! わずかな猶予ですが、その猶予があれば昴様なら必ずすべてを救う方法を見つけられます!」


 人より優れた頭脳を持っているわけでもなければ、鍛え抜かれた肉体を誇るわけでも、特別な技術を持っているわけでもない。


 それでも見えぬはずの水姫の視線は、これ以上ないほど真剣にこちらを見ていた。

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