第51話 精霊の声


 体育館のステージに安置されていた肉塊。


 その肉塊に、探し求めていた涼音すずねが磔状態で生き埋めにされている姿を見て、すばるは平静ではいられなかった。


 赤黒いグロテスクな肉から、ところどころ涼音のものらしい体が露出している。


 脚や、お腹、胸の膨らみ。


 外に出ている部分はいずれも白い素肌が見えている。


 デリケートな部分こそ隠れているが、どうやら一糸まとわぬ裸身であの中に放り込まれてしまっているらしい。


 ウゾウゾと蠢く肉が、涼音の身体にまとわりつく。


 そこにそんな意思がこもっているとは思えないが、酷く卑猥な動きのように見えて、昴の苛立ちをかき立てた。


「なんて酷いことを……!」


 涼音と同性の冴香さえかも嫌悪感をあらわにする。


 昴はたまらず走り出そうとするが、水姫みずきがしがみつくようにして引き留めた。


「どうして!?」


「昴様、慎重に! ここはもう、普通の空間ではありません」


「普通じゃないのなんてわかってる!」


「いいえ、このマナの濃度はただ事ではありません!」


 物静かな水姫にしては珍しく、強く昴を諫める。


 その想いは、昴の腕にしがみつく力の強さから伝わってきた。


「普通、マナは密閉されたからといって閉じ込めることなどできないものです」


 確かに、目に見えなくても物質として存在している酸素などとは違い、マナは様々な現象や物質の根源となる要素であり、普通の方法では触れられない。


 つまり閉じ込めることもできないはずだ。


「でも、それならこれはどういう……」


「わかりません。……ですが、まるで大規模な創世術でも行使しようとしているかのような」


「創世術……って、〈精霊器〉リゾルバーの?」


「そうです。根源であり、万能の物質であるマナを用いれば、理論上はどのような奇跡でも起こすことが可能です。ありとあらゆる可能性を内包する力を制御できれば、ですが。……そもそも〈精霊器〉は意図的に用途を限定することで扱いやすくしたもの。本来の創世術となれば、術の難易度は桁外れに跳ね上がります」


「つまり、生半可な人間には扱いきれないってことか……」


「いずれにせよ、ここはもはや異界と言っても差し支えがないようなマナの濃度です。お気持ちはわかりますが、飛び出しては危険です」


 周囲に漂う淀んだ空気が、肌にまとわりつくようだった。


 水姫の指摘はもっともだ。


 だがそれでも、一秒でも早く、涼音を助け出さなければならない。


「でも、このままじゃ涼音があの肉の塊に飲み込まれてしまうかもしれない!」


 昴の想像する最悪の事態に、冴香と水姫は黙り込み、アンジェリカは露骨に顔をしかめる。


 そんな昴の耳に、


『大丈夫です。私達がそのような危害を彼女に加えようはずがありません』


 声が聞こえた。


 だが普通の声――肉声ではない。


 マイクを通しているとか、反響しているとか、そうした微々たる差ではなく、鼓膜を伝った感触がなく、脳裏に直接響き渡ってきたような気がした。


 他の三人は聞こえたのかと思い、見回すと、全員が違和感を覚えたらしく自分の耳を押さえている。


「この声は……?」


「おそらく〈精霊器〉を使った伝心術――空気の代わりにマナを用いて波を伝達させているのだと思う。空気とは違って、受け手の精神に直接届く。気をしっかりと持つようにしろ。相手の言葉が直接流れ込んでくる。相手の言葉の波動が直接精神に届くんだ。肉声の数倍、影響されやすくなる」


 素早く注意を促す冴香に昴は頷き返す。


「催眠術みたいなものか……」


「そんな感じだ」


 冴香はそう言うが早いか〈精霊器〉を抜刀し、周囲を警戒する。


 昴もそれに倣って〈聖なる泉ミーミル〉の紙片を増やし、周辺の警戒を密にした。


「誰だ! 鵺堂界李ぬえどう かいりの仲間か!?」


 昴の誰何に、ステージ上の肉塊の裏から一人の女が姿を見せる。


 黒スーツの西洋人女性――界李がアイリと呼んでいた女だ。


『どうも』


 スーツの着こなしには一分の隙もなく、どこかのオフィスビルで働いている方がよほど似合うだろう。


 こんな異様な場所では完全に浮いていた。


「さっきはよくも涼音をさらってくれたな! あんたか、涼音にそんな酷い真似をしたのは!」


『イエスでもあり、ノーでもある』


 不思議な聞こえ方をする声が昴の苛立ちを余計にかき立てる。


 背後に寄り添ってくれていた水姫が、落ち着きを取り戻させようとしたのか強い力で昴の手を握ってくる。


 大丈夫、と昴は視線だけで振り返って小さく頷き返した。三度呼吸を繰り返し、自分を落ち着ける。


 深い呼吸はできなかった。


 この血の匂いがする空気を肺の奥深くに吸い込むことに抵抗があったからだ。


「おかしい……」


 そんな中、誰より冷静だった冴香がまっすぐにステージ上の女――アイリを指さした。


「あの女の〈精霊器〉は、脱出時に使用した翼のはずだ」


 指摘されて、昴も「あっ」となった。


「〈精霊器〉って、一人につき一つだけ?」


「そうです。そのはずですが……」


「拙者も、もっと攻撃用の〈精霊器〉を欲しいと言ったのでござるが、二つ目は無理なのでござる!」


「そもそも〈精霊器〉は、使用者が欲しい品が用立てられるわけではない。朽木昴、君も体験したように、ユグドラシルの根が個々人の資質を見極め使用者の魂に相応しい形を提供してくれる」


 カスタマイズぐらいはできても、全く別の能力を持たせたものにはできない。


 冴香には、清十郎せいじゅうろうが使うような鞭を出現させることは不可能だ。あの鞭は清十郎だけに与えられたもので、冴香の日本刀――氷雨もまた同じなのである。


 ならば、目の前で別の能力を発揮する彼女の存在に矛盾が生じるのだ。


「双子か何か? ともかく、さっきの倉庫で涼音をさらったアイリって人とは別人ってこと?」


 昴の推論に、冴香はおそらく、と応じる。しかし、


『ふふふ、そんな子ども騙しの攪乱かくらんなどしませんよ』


 とひと言で否定されることになった。


『そもそも、我々はまだ準備不足で、マスターと私の二人体制という零細組織――余計な人間などいないの』


 確かに、それなら予想外に守りが手薄だったのも理解できる。


 ただその場合、そんな人手が足りない状態で、どうして昴達を呼び寄せたのか、そちらの疑問がさらに強まってしまう。


「そう見せかけて、やはり何かカラクリがある可能性もある。気を緩めるな」


 冴香が小声で囁く。


『本当に、疑い深い子ども達ね』


 どうやって拾い上げているのか、ほんの数歩の距離でも聞き取れるかどうかというような小声を容易く聞き取っているようだ。


『いいわ。私の役目は彼女のお守りだもの。予定通り、あなた達がやって来た以上、私は私のやるべきことをやるだけ――』


 アイリは無駄話を切り上げて、肉塊に、もっというなら涼音の耳元に口を寄せる。


『――さぁ、涼音。あなたの大切な、大切な幼馴染みがやってきたわ』


 穏やかに語りかける声。


 しかしその声の落ち着きとは裏腹に、込められた「圧」が数倍に跳ね上がる。


「う……」


 まるで急に気圧の高い場所に放り込まれたように、昴は頭痛に似た疼きを覚えて耳を押さえる。


 この声が彼女の〈精霊器〉の働きだとすると、おそらくそのボルテージを上げているのだ。


 つまりそれは、彼女の、おそらくは昴にとってろくでもない目的に向かって状況が進もうとしているということである。


『ほら、目を開けて』


 肉の中に半ば埋もれたまま涼音が閉ざしていた目をうっすらと開ける。


 瞳に力はなく、いまだ夢うつつといった様子だ。


『ほら、あなたの大切な幼馴染みが、あなたを来たわよ――』


 は――? と思わず言葉を失った。


 どんな歪んだ想像力の持ち主なら、昴が涼音を殺しに来たなどという言いがかりがひねり出せるのだろうか。


 あまりにも事実とかけ離れた言いがかりに、数瞬、思考停止に陥る。


 ほんのわずかな停滞。


 それが、致命的なまでの隙になると、昴は数分後に思い知らされるのだった。

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