第50話 危険地帯へ
なり損ないの群れ、群れ、群れ。
目の前は、人の姿を捨て去った化け物で覆い尽くされようとしていた。
どれだけ防いでも前進を諦めない。
無造作な突進を繰り返すせいで、さらに傷つく個体が増えていく。
周囲の地面は血なのかマナが実体化してできた肉なのか、わからない物質で汚れていく。
まともな痛覚が残っているなら怯んだり諦めたりするところだが、理性を失ってしまったなり損ない達の行進は痛みでは決して止まらなかった。
このままでは押しつぶされる――絶対的な防御を誇っていても、状況は不利だった。
そこに――、
「防御しろ、
遠くから聞こえてきた声に、昴は理解するよりも先に動いていた。
強烈な、しかし清冽なマナの流れが押し寄せ、周囲の温度が急激に低下していく。
まるで地面から生えるようにして氷塊が膨れあがり、見る間に昴の周囲にいるなり損ない達を氷漬けにしてしまった。
「爆ぜろ」
その澄んだ声を合図にしたように、氷塊の群れが一瞬で砕け散る。
氷の破片が周囲の赤い光を乱反射する姿は、こんな場面だというのに幻想的なまでに美しかった。
昴は〈
見れば、異形の化け物とかしていたなり損ない達の体から、きれいにマナの肉だけが剥がれ落ち元の姿に戻った人々が意識を失ったまま地面に倒れ込んでいた。
おそらくは
「黒瀬! 助けてくれたのか!?」
自らの〈精霊器〉を構えていた
冴香はミドガルズオルムの人間だ。
まさかここで助けてもらえるとは思わなかった。
問いかけた昴に対して、立ち去ることこそしなかったが冴香は黙したまま答えない。
〈精霊器〉を納刀し、普段より三割増しで不機嫌そうな表情を浮かべてつかつかと歩み寄ってくる。
「二つだけ約束しろ!」
そう言って、質問に答えることなく、いきなり要求を突きつけてきた。
「え、あ、うん」
彼女がどういうつもりなのか聞きたいところだったが、そもそも自分も助けてもらった礼を言い忘れていたのを思い出し、とりあえず要求を聞いてみることにした。
「一つは、みーちゃんを、
守り通せと言われ、すぐ隣で、昴の肩に掴まるようにしてどうにか立っている水姫を見る。
先程よりも少しは楽そうだったが、いまだに周囲のマナに影響されているのか少し顔色が青ざめているように見えた。
マナを支配するあの力は、
もう少しで水姫に押し切られ、また使わせてしまうところだった身からすれば大きなことは言えないが、冴香の意見は当然だった。
「もう一つ。この赤い夜を収拾するために力を貸せ!」
「それは……」
承服しがたい。
ミドガルズオルムが言う赤い夜の収拾は、すなわち涼音の抹殺に他ならない。
そんなものに協力できるはずがなかった。
「冴香さん……。いえ、冴ちゃん、その条件には協力できません」
水姫があえて子どもの頃の愛称らしい呼び名で、冴香に断固とした否定を突きつけた。
しかし冴香はそれで引き下がる様子を見せない。
「お前の持つ〈聖なる泉〉は、世界を覆すほどの力があるんだろう! だったら、梓川涼音を抹殺せずに、同時に世界を守る方法も見つけてみせろ! 難しいのはわかっているけれど、それでも諦めるな! お前が、この世界を守る考えを諦めずに足掻き続けてくれるなら、私も、私の剣をお前に預ける!」
剣を預けるとは、剣士にとって預けた相手のために戦うという約束に他ならない。
赤い夜を収拾するために涼音を犠牲にしない方法を探すというのは冴香にとっては妥協のはずだ。
それも、世界全てを秤にかけた危険な妥協である。
どうして彼女が心変わりをしてくれたのかはわからない。それでもこれ以上なく心強かった。
同時に、彼女の期待という重い重責が自分の肩にのしかかるのを感じる。
涼音を犠牲にせず世界を救う方法がないか、それはうっすらと期待していた最良の結末だ。
冴香から協力を得る以上は、別の人の知識や活躍に期待するわけにはいかず、自分の手で成し遂げなければならなくなる。
それでも、やるしかなかった。
「冴ちゃん、ありがとう」
昴が支えていた水姫が、心から嬉しそうに微笑む。
「べ、別に私は、お前達のためにやったわけじゃない。梓川涼音を犠牲にする選択肢しかないというのが、その、き、気に入らなかっただけだ! そうだ、私は剣士として一人の少女を犠牲にするような解決方法が気に入らないだけなんだ!」
何故か、冴香は急に多弁になって、早口で言い訳がましく言い繕う。
その顔が真っ赤に染まって見えたのは、空を覆う赤いマナのせいばかりではないように思えた。
◆◆◆
冴香が救援に駆けつけてくれたことで、昴は一気に体育館まで進むことができた。
相手が学校を指定してきた以上、呼び寄せた昴達を迎え撃つ準備が万端に整っているものだと思っていた。
たとえば冴香達のような、戦闘型の〈精霊器〉を使える手下を配置している、とか。
ところが、なり損ないこそ次々と襲いかかってきたものの、駐車場で襲いかかってきたように何者かに操られ統率がとれているようなこともなく、街の当たり前の個体のように散発的に襲いかかってくるだけだった。
敵対する〈精霊器〉持ちも、というより普通の人間は誰一人見当たらない。
いずれにしても、それでは冴香の相手にならない。
昴が完全に守りを固めれば、冴香は目が覚めるような鋭い動きで次々となり損ないを斬り捨て道を切り開いてくれた。
水姫はアンジェリカに任せ、昴は全員の守りに集中する。
相変わらず、鵺堂界李の目的はわからない。
それでも今は、涼音の元まで進むしかなかった。
◆◆◆
体育館は、いくつも出入り口があるが、分厚い鉄の扉はどれも固く閉ざされ、ご丁寧に暗幕まで閉められているおかげで中の様子がまるでわからない。
そんな中、渡り廊下に続く扉だけが、まるで昴を招き入れるかのように開け放たれているのを見つける。
明らかに怪しいが、それでも迷っている暇はなかった。
冴香、水姫、アンジェリカの三人を見て、それぞれ心の準備ができているのを確認すると、昴は一気にその中へと踏み込んだ。
こちらの扉は、体育館の裏口で、狭く喰らい通路が奥まで続き、折りたたみの椅子やテーブル、持ち運びができるスピーカーなど、体育館を使った式典などを行う際に使う機材などを収納する倉庫につながっていた。
狭い場所でなり損ない達に襲われれば危険なため、昴はあえて自分が先頭に立って、〈聖なる泉〉を展開状態にしたまま進んで行った。
幸い、心配したような襲撃はなく、昴は倉庫から、スライド式の重い鉄製の扉を開いてようやく体育館の内部へと踏み込んだ。
フローリングで、各種のスポーツに対応するラインが色分けされて引かれているどこにでもある体育館のアリーナ。
天井は高く、無骨な鉄骨が張り巡らされている。
外の赤い光は暗幕で遮られて中には届かないが、天井の電灯は三割ほどに間引かれた状態ではあったが何者かによって点灯されており、体育館内を見通すのに不自由はなかった。
だが……、
「なんだ、これは……」
昴は思わず呻く。
出入り口で立ち止まった昴を押しのけるようにして冴香が前に出て、アンジェリカも続く。
昴は慌てて、展開していた光の紙片に命じて彼女達の守りを固めさせた。
「これは……」
最後に、昴の隣にやって来た水姫は、思わずと言った様子で昴のシャツの袖を掴む。
そうしなければ平衡感覚を失いそうになったのだろう。
他の二人も絶句している。
昴が守りを固めたのは、なり損ないの姿があったからではなく、体育館の状況があまりに異常だったからなのだ。
空気は、〈聖なる泉〉を持っているはずの昴ですらむせ返るほど、濃密なマナに満たされていた。
その全てが赤いマナであるためだろうか、血の臭いすら感じる気がした。
冴香もアンジェリカも口元を押さえる。
毒のように、吸い込まないようにすればいいというわけではないだろうから、反射的な行動だろう。
あるいは昴と同じように血の臭いを感じて、それに耐えられなかったのだろうか。
「水姫、大丈夫?」
すぐ隣にいる少女の体を思い遣る。
水姫の力は〈精霊器〉によるものではなく、幽月の説明からすれば、マナに悪影響を受けてしまう現在はむしろ〈精霊器〉を遠ざけているはずだ。
他の人間のように、なり損ないへの変容をきたさないところからすれば何らかの方法で防御しているのだろうが、その防御力が冴香達より優れているとは限らない。
「は、はい。この程度でしたらどうにか……。体の中にマナを通さない限りは、それほど深刻な被害を受けるわけではないのです……」
それでもないよりましだろうと思い、昴は〈聖なる泉〉の紙片をより多く水姫の傍に侍らせた。
「ふふ、ありがとうございます……」
「いや、僕にはこんなことしかできないから……。それよりも、あれはなんだと思う?」
当面、この空気の中でも活動できるとわかり、昴は次の異変に目を向けた。
昴達が出てきたのとは反対側は、体育館のステージが存在する。
今は分厚い緞帳が降りていて、ステージがどうなっているのかよく見えなかったのだが、ただ緞帳が、奥から押し出される形で大きく膨らんでいた。
小学生の頃など、やんちゃな男子生徒がふざけて奥から緞帳を押して遊んで先生に怒られたりしていた。
そんな光景を思い出したのも、目の前にある緞帳の膨らみが、脈打つように動いていたからだ。
近づいて確認するべきか、それともこのまま距離を保つべきか考えあぐねていた昴の目の前で、低いモーターの駆動音と共に、緞帳が徐々に持ち上げられていく。
その奥にあった、裏から緞帳を膨らませていたモノが姿を見せる。
誰も、言葉を発することができなかった。
それは肉の塊だ。
おそらくはマナが実体化して作られたものなのだろう。
なり損ないの表面にへばりついているモノと同じ物質であるはずだが、絶句したのは塊の直径が三メートルはあろうかという巨大なモノだったからだ。
上は、ステージの上端に差しかかろうというほどの、規格外のサイズ。
緞帳の表から見ていた通り、時折ビクビクと蠕動している。
生きているのだ。
そして――、
「涼音!」
その肉の塊の中心に、涼音が埋められていた。
まるで磔刑に処されたかのような体勢で、顔の一部と腕や脚の一部分が露出しているだけという惨い状態だ。
探し求めていた少女の無残な姿に、昴の感情は激しく揺さぶられていった。
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