第47話 包囲網
人の姿を捨て去り、爪や牙といった凶悪な武器を生やした化け物達。
害意、敵意、殺意、そうした負の感情で爛々と輝く眼光を突き刺さるようだった。
特別な訓練も受けていない昴は、喉の奥が引きつるような極度の緊張感が突き上げてくる。
自分が手にした神器の力を信じていても、本能の訴えまでねじ伏せることはできない。
それでも、その感覚を抱えたまま、周囲を旋回する光の紙片を動かしていった。
正面から、あるいは右から左から、翼を得たものは頭上からと至る所から化け物達が襲いかかってくる。
なんの前置きも、ましてや遠慮など欠片もなく振るわれる凶器に対して意識を集中する。
光の紙片が次々と危険地帯に密集し、なり損ないの攻撃や行動を阻む壁を出現させていく。
界李の攻撃を見切ったように、〈
だからこそ、頭上や背後から奇襲を受けようとも、まるで意味がなかった。
次々と障壁が攻撃を防ぎ、突進を跳ね返す。
どれだけ攻撃されても、わずかでも危険をはらんだ存在は全てに〈聖なる泉〉が反応し完璧に防ぎきる。
その守りはまさに鉄壁のような安定感を誇っていた。
――それでも、昴の胸の内にはじわじわと焦りがこみ上げはじめる。
一つは、倉庫の中でも露見していたが、攻撃手段を持たないことでの決定力不足。
なり損ない達の攻撃は全て阻んでいる。
光の紙片が密集して作り出した障壁は文字通り紙一枚程度の薄さしかないが、見た目からは信じられないほど強固であるらしい。
なり損ない達は分厚いコンクリートの壁にぶつかったかのように行動を阻まれ、考えなしに突っ込んできたものは自分の勢いで肉が避け血をにじませていた。
それでも、痛みに怯む様子はなく、疲労で動きを止めることもない。
昴の側から攻撃できなければ相手の数は一向に減らず、むしろ周囲から呼び寄せられ増え続けていた。
攻撃を通さないといっても、膨大な数で殺到されれば、身動きが取れなくなってしまうかもしれない。
脅威度という意味では、倉庫で味わった界李の爆破の方が段違いに恐ろしい。
しかし昴にとっては圧倒的な数で責められている今の方が、よほど厄介だった。
そしてもう一つ、言うまでもなく、前に進めなければいつまで経っても
界李がなんのために涼音を連れ去ったのかはわからない。
だが、どうせろくな目的ではないだろう。
そんなものに一秒たりともつき合わせておきたくなかったのだ。
自分が素人なのはわかっている。
レヴェナントやなり損ないを見て嘗めていたわけではもちろんなかった。
それでもこんなはずではなかったという焦りが昴を苛むのである。
(早くしないと……)
そんな昴の様子を、なり損ないをけしかけてからは参戦もせずに高みの見物を決め込んでいた
「おいおい、意気揚々と飛び込んできたのにその体たらくか? さすがにもうちょっと善戦してくれるかと思っていたというのに、期待外れもいいところだ。ああ、なんだったらなり損ないの半数ぐらい下がらせようか?」
あからさまな挑発だ。
「まあいい。動けないなら俺は戻るとするか。……ははは、気がすむまでそこで遊んでいればいい。この一秒一秒で梓川涼音は俺の目的に染まっていくんだからな!」
笑いながら、界李は悠然と立ち去っていった。
やはり、という気持ちだけだった。
ただ、今も刻々と涼音に何かのよくない変化が起こっていると知らされ、さすがに平静ではいられない。
冷や汗がひと筋、頬を伝い落ちた。
それを感じたわけではないだろうが、昴の言葉通り一歩下がった場所に控えていた少女が前に出ようと口を開いた。
「昴様、ここはわたくしが……」
「水姫? だ、ダメだ! 何をするつもりかわからないけれど、
昴が制止する言葉に、しかし水姫はまるで取り合わなかった。
「わたくしならば、マナの結合を分解できるはずです。魂という枠組みを持って実体化しているならともかく、なり損ないの状態なら元に戻せる……はずです」
倉庫での戦い。水姫は周囲のマナに働きかけ、その動きを乱しているように見えた。
だから、マナによって実体化した
赤いマナが人間を核にして寄り集まり実体化したなり損ないも、同じ理屈で分解できると言いたいのだろう。
ただ、なり損ないなどという概念を知ったのはついさっきのはず。
自信も根拠もなにもあるわけがない。
なにより、幽月の忠告通りなら、あと何度か使えば水姫の体は取り返しがつかないような損傷を受けるという。
絶対にやらせるわけにはいかない。
そう強く決意した直後、全身の細胞全てを逆なでするような凄まじい衝撃が周囲を駆け抜けた。
物理的なものではない。
おそらくだが、〈聖なる泉〉を通じて伝わってくる、マナの乱れだ。
「な、んだ、あれは……!?」
昴は思わず空を仰ぐ。
校舎の向こう側にある体育館――つまり、涼音がいると界李が宣言していたあたりが衝撃の発生地だ。
夜空はいまだに赤いマナに満たされ赤黒い光に満ちている。
だというのに、その光を塗りつぶすようなさらに強力で濃密な赤いマナが、空へと注ぎ込むように立ち昇って行く。
まるで、マナで作られた巨大な塔だ。
しかもその影響は空の上だけに留まらず、昴の周辺にも及んでいる。
みるみると、周囲のマナの濃度が高まり、目をこらせば頭上だけではなく地上でも赤い靄が出現しはじめていた。
この赤いマナが、人をなり損ないへと変えてしまう力を持っているのだ。
現時点で街の外がどうなっているかはわからない。
だがこれでは、これを放置しておけば、被害が霧見沢市に留まるとはとうてい思えなかった。
なにが起こっているのかはわからない。だが事態は刻一刻と最悪の方向へと向けて加速を続けている、それだけは肌で感じていた。
水姫も苦しげに顔を歪めながら、昴の肩に掴まることでどうにか倒れるのを避けている状態だ。
「うく……。わ、わたくしに任せて、昴様は先へ」
「そんなことができるか!」
今にも倒れそうな水姫を支える。
見れば、アンジェリカも顔を青ざめさせながらしゃがみ込んでいる。体調を崩してしまったのか、それともあまりにおぞましい光景にあてられたのか。
どうにかしなければならない。
それでも、使えば死ぬと言われているような能力を使わせるわけにはいかなかった。
「そもそも、僕とアンジェリカがここから先に進んだところで、同じことの繰り返しだ!」
幽月は〈聖なる泉〉には世界を変える力がある、と言っていた。
だが昴には、自分にそんな力が宿ったとはとても思えない。
「いえ、わたくしは信じています。〈聖なる泉〉には、世界を変える力があると信じています。今はまだ、使いこなせていないのかもしれませんが、必要なときには必ずその力が目覚めます」
「何を根拠にそんな! 無駄死にするかもしれないって思わないのか!」
「……昴様は、無理矢理理不尽な環境におかれて、それでも我慢して下さいました。わたくし達のわがままにつき合って下さいました。ですから、一歩でも二歩でも、あなた様が望む方向へ進めるのでしたら、わたくしの命程度、安いものなのです」
苦しそうにうつむいていたというのに、水姫は顔を上げて、どこまでも無垢な、透き通るような笑顔を浮かべてそう言い切るのだった。
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