第46話 宴の始まり
軽自動車は、驚いたことに一度も事故を起こすこともなく目的地へと到着した。
途中、幹線道路に入ってから車体がギシギシいうほどの、どう考えても駄目な速度まで加速したときには生きた心地がしなかった。
自信を見せていただけはあるというべきなのか、進路上の乗用車やトラックが道を塞いでいても、巧みなハンドル捌きで猛スピードを維持したまま右へ左へと車体を移動させて回避する。
時には、軽自動車の車体が小さいことを活かして、歩道すら通って街中を駆け抜けた。
あえて、ハンドル捌きは見事だと言ってもいいだろう。
だが急に進路を変更すると、その度に横向きの慣性が
助手席の床が抜けるのではないかというほど全力で足を踏ん張りながら、もう、必死で耐え続けるしかなかった。
「来てる! 来てるでござるよ、お館様! 拙者の時代がついにきたでござる! むふぅ〜! 今、全ては拙者の手に握られているでござるよ〜!」
と途中から、なんか変なテンションになっていたアンジェリカを見て、平静な精神を保っていられる人間などいようはずがないだろう。
この夜、昴は道交法はもちろん、ありとあらゆる法規を、破りまくってしまった。
目的地にたどり着き、動かない地面に這いずり出たあと、凄まじい運転の衝撃と罪悪感が同時に押し寄せ頭を抱えて蹲る。
それでも誰一人、昴達を咎める者はいなかった。
この赤い夜がどこまで広がっているのかはわからない。あるいは、もはや法が社会を律するような状況ではないのかもしれない。
ならば、法律に違反しているかどうかで悩んでいる場合ではない。
ないはずだ。
ないと思うことにしよう。
今はそう開き直ることにした。
(……もしかして、既に全国的に広がったりしてないよな?)
一瞬よぎった最悪の想像を、頭を振ってかき消す。
「とにかく、
軽自動車の後部座席から降りてきた水姫は、昴のように取り乱すことはなかったが、さすがに深呼吸をして自分を落ち着けていた。
「はぁ、拙者、大役をまっとうしたでござるよ!」
そんな中、一人だけ晴れやかな表情で九歳児が軽自動車の運転席から降り立つ。
ご丁寧にも、学校の来賓用の駐車場に、きっちりと白線で区切られた駐車スペースに駐めるという完璧さだった。
「とにかく、これが終わったら、絶対に自動車を返しにいかないといけない!」
せめてそこだけはきっちりしようと昴は謎の決意を固める。
自動車の持ち主もまたなり損ないへと変容しているのかもしれない。
ただそれも
本当にできるかどうかはわからない。
だが、それを考え続けることぐらいしか、昴には涼音にしてやれることがないのだ。
「でもこれなら、黒瀬達をリードできたかな……」
「いいえ、おそらく不可能かと思います。というのも、戦闘用の
水姫は、昴の想像した以上の情報で、希望的観測を否定した。
「なるほど……」
確かに、最初に
こんなに恐ろしい目に遭ったのに大して状況は好転していないと言われると、現実の厳しさに目眩がしそうになる。
「くくく、意外な登場の仕方だな、朽木昴クン」
アンジェリカの活躍から立ち直りきっていないところに、意外な声が投げかけられた。
市立霧見沢高等学校の本校舎から、まるでここが自分の城であるかのような振る舞いで
シャツにダメージデニム、その上からカジュアルなジャケットとラフな格好でありながら常人には醸し出せない異様な殺気をにじませた男が、再び目の前に現れた。
意外といえば意外である。
アンジェリカが堂々と敷地内に乗り入れてしまったので、忍び込むという選択肢はなかったが(忍者としてそれはどうかとも思うが)、まさか真っ先に界李自らが出迎えるとは思ってもみなかった。
「貴様、鵺堂界李! ここで会ったが百年目でござる! いざ尋常に勝負! にんにん!」
涼音が拉致される場面では意識を失っていたが、ことの顛末は簡単に説明してあったのでアンジェリカは毛を逆立てる仔猫のように全身で威嚇する。
ちっとも恐ろしくはないが。
界李も、それを見て鼻で笑っただけだった。
「むきぃっ!」
相手にされていないとわかるのか、アンジェリカはさらに憤る。
昴は慌てて制した。
「アンジェリカ、抑えて!」
いきなり飛びかかられたりすれば、界李の爆破の餌食になる。
昴は相手を刺激しないように、ポケットから〈
完全に意表を突かれた。てっきり、学校の奥で涼音を見張っているものだとばかり思っていたのだ。
油断していたわけではないが、奇襲されたら危なかったかもしれない。
それがこうして堂々と話しかけてきたのは昴達を侮っているのだろうか。
腹立たしいが、それならそれでむしろありがたい。
「こんなところに出てくるとは思わなかったよ」
「おや、そうか? 俺は招いた客は充分にもてなす性分でな。泣き叫ばずにはいられないぐらい、味わってもらおうか」
言葉と、顔に浮かべたニヤニヤとした笑みは余裕の表れのようにも見える。
だがサングラスの奥からこちらを射貫く視線は、言葉とは裏腹に濃密な殺意が込められていた。
「たとえば、手始めにこんなのはどうだ?」
言いながら、界李がパチン、と指を鳴らすと校舎の裏手からわらわらとなり損ないの群れが現れる。
どれも変態が進み、人には存在しない器官——異様に発達した爪や牙だったり、四本の腕だったり、翼だったりを得ていた。
昴は一つだけ違和感を覚える。
爪や牙、腕や翼は、明らかにそれを得ようと意識した結果にしか思えない。
だが駅前で見たなり損ないはどれも人としての知性など失っていて、とてもではないが攻撃のための形質を得ようとするような論理的な思考ができるとは思えなかった。
変態が進めば再び知性を獲得するのかとも思ったのだが、人としてはあり得ない形状になり果てた者達は相変わらず緩慢に動くだけで、そこに自分の体を変質させるような意図が芽生えるとは思えなかった。
(けれど今、指を鳴らしたら出てきたってことは、あいつにはなり損ないを操る方法でもあるのか……?)
ゆっくりと考えているような余裕はなかった。
「さぁ、いよいよ最後のパーティがはじまる。そこの偽物と一緒に、存分に血反吐を吐きやがれ!」
言い残すと、界李は笑いながらその場を後にする。
「待てっ! 涼音を、涼音をどこに隠した!」
「隠したなんて人聞きが悪い。景品はほら、奥に見える体育館で丁重に預かってやってるぜ」
その言葉が本当なのか、そもそもどうして昴をここまで呼び寄せたのか、わからないことだらけだがのんびりと答えを探している余裕は残されていなかった。
「水姫! アンジェリカ! 僕のそばから離れるなよ!」
昴はそう叫びながら、手にした〈聖なる泉〉を起動した。
これまで、感情の高まったときにしか反応してくれなかったそれは、いつの間にか完全に昴に従うようになっていた。
流れるように滑らかに、昴の意図を汲み取ったそれは、自ら封を解き光の紙片を空中にまき散らすのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます