第45話 暴走する街
激闘の末、廃墟となった倉庫を後にした
だが、敷地の外に出たところで昴は思わず立ち止まることとなった。
幸い、
だからなのか消防や警察がこの場に押しかけてくるといったことはなかった。
もちろん、いくら人気がない深夜の倉庫街でも、防犯装置の一つや二つはあるだろうから誰も駆けつけないことは不自然なのだが……。
いずれにしても、昴が足を止めたのは、そうした人為的な原因ではない。
「空が………」
深夜の空。
都会であるから、日頃から地上に灯る街明かりで田舎ほどその闇は深くならないが、それでも暗くはなるはずだ。
驚いて立ち止まった昴の視線の先では、その暗いはずの夜空が光を放ってた。
それも、真紅の光をだ。
「う……」
昴の手を引いていたはずの
「水姫……?」
「だ、大丈夫です。ちょっと、マナの光にあてられただけで……」
「マナ……? この空一面に広がってるの、全部マナの光!?」
こうしている今も、まるで水槽に鮮血を注いでいるかのように、夜空に紅い光がゆらめきながら広がり続けていた。
頭上だけではなく、昴から見える範囲の空が、全て毒々しい赤い光に埋め尽くされる。
思い出すのは、いつかの学校帰りに
彼女は、レヴェナントが野放しになりその被害が広がった結果、世界が滅びる現象のことをこう言っていた。
赤い夜――と。
これが赤いマナだとして、どうしてこんなことになっているのかわからないが、どうしても冴香から聞いた言葉が蘇ってくる。
「とにかく急がないと……」
周囲を見回し、現在地を確認する。
界李が現れたとき、彼が開けた大穴からいくつもの倉庫が見えていた。
そこから倉庫街だと考えていた昴には心当たりがあった。
もちろん未成年の昴は倉庫に縁はない。
ただ小学生の頃の社会見学で来たことがあったし、近くを通りかかることはあったのでその存在は知っていたのだ。
この街にやってきて日は浅いが、土地勘はここでも通用する。
「やっぱりここか……」
少しだけ胸を撫で下ろす。
あるいは意識を失っている間に、車か何かで遠くまで運んでこられた可能性もあるかと思っていたからだ。
だがここからなら、昴が通っている市立霧見沢高等学校まで電車を使えばひと息で行ける。
「問題は、この状況で電車が動いているかどうか――。終電は、まだだと思うけれど……」
空を覆う赤い光を見上げる。
これは、昴達のようにマナに触れたことがある人間――冴香は自分達のことを
もし普通の人間にも見えているなら、いくら深夜とは言え、もっと騒ぎになっているはずだ。
しかし耳を澄ませても、ここが倉庫街であるのを差し引いても、平穏そのものだった。
夜の静謐が守られている――そこまで考えたところで、昴は自分の思考の矛盾に気づく。
(いや、逆に、静かすぎないか……?)
倉庫街ということは、当然ながらここに物資を流通させるために、近くには大きな幹線道路が通っている。
地方ならまだしも、このあたりならいくら深夜でも自動車が行き交う騒音ぐらい聞こえてこなければおかしいのだ。
エンジンの音、排気音、アスファルトの上を走るタイヤの音、時にはクラクションが鳴り響く音など。
気がつくと、その異常さが余計に目につきだす。
耳が痛くなるほどの静寂。
それはむしろ騒ぎになっているよりも異常な事態である。
「だから、爆発事故が起こったようなものなのに誰もやって来ないのか……?」
警察が駆けつけ、事態がややこしくならないのはありがたいが、かなり不気味だ。
「とにかく、駅まで行こう。ここからなら近いはずだ」
今度は昴から水姫の手を握る。
「は、はい。よろしくお願いいたします」
水姫の頬が少し赤らんでいるような気がするが、あるいは空の赤い光からの照り返しだろうかと考えながら、昴達は歩き出した。
◆◆◆
倉庫街を出た所に目指す駅はあった。
主に倉庫街で働く人達が乗降しているのだろうそこを使ったことはなかったが、ひと目見ただけで普通でないことは理解できた。
「オォオオオォォォ」
野太い、知性を伴わない唸り声。
駅の周辺では、数時間前までは人間だったモノ達が蠢いていた。
「レヴェナント……」
駅前の広場に飛び込む直前に異常に気づいた昴達は、近くのビル影に身を潜める。
それでレヴェナントから見つからずにすむかどうかはわからないが、無闇に飛び込むよりはいいだろう。
「ど、どこでござる? 拙者もちょっと見せて欲しいでござる! あ、もちろん索敵のためですぞ、にんにん」
明らかに好奇心に動かされたとしか思えなかったのだが……。
それでもどれぐらいの数が集まっているのかを見ておいてもらえれば、説明するよりも早いだろう。
昴はそう考え、目立たないようにアンジェリカを抱き上げて物陰から駅の方を見せてやる。
駅前で街灯も多いからばかりではなく、やはり空の赤さもある程度の明かりとして機能していた。
長時間見ていると目が痛くなりそうという点を除けば、充分な視界を確保する助けとなる。
赤い光に照らされたレヴェナント――おそらくはそのなり損ないは、例によってブヨブヨと醜く肥大した体を引きずり彷徨い歩いている。
街の様子も酷い有様だ。
駅前に止まっていた小型車はひっくり返っているし、近くの商業ビルも一階テナントのショーウインドウがいくつも割られている。
ただ、海外のニュースで見るような暴動とは違い、略奪を目的にするだけの知性も残っていないために、割られたガラスの向こう側で商品だけは無事という、ちぐはぐな光景になっていた。
何か目的があって集まってきたのか、それともこの駅の乗降客がこうなってしまったのか……。
昼間までは、ここもどこにでもある平和な街並みだったに違いない。
しかし今は、死の街と化していた。
息を潜めてどうするべきか考えを巡らせる。
電車で移動するという案はまず不可能だ。
駅舎内にもなり損ない達が侵入しているようだし、そもそもさっきから電車が動いている気配がない。
徒歩でも、道はつながっているが、時間がかかりすぎる。
頭の中であれこれと考えていると、
「うわぁっ!? 来るな、来るなっ!」
男の悲鳴で我に返る。
視線を駅のロータリーの方へ向けると、そこにはどこからか……この異変を目の当たりにして駅に避難してきたらしいスーツ姿の男が、なり損ない達に囲まれていた。
助けないと――と反射的に動こうとしたが、結果的には昴がビル影から飛び出すよりも先に終わってしまう。
なり損ないに掴まった瞬間、男性もまた瞬く間に内側から体が膨張し、なり損ないへと変容してしまったのだ。
「おそらく、この周辺に異様なほど高密度のマナが、それも赤いマナが充満しているせいで普通の人ではちょっとした干渉で変容してしまうのかもしれません」
小声で状況を説明すると、水姫が推論を聞かせてくれた。
「こんな状況、想定されてたの?」
昴が問うと、水姫は小さく首を横に振った。
「なんでこんなことに……。これも、あの
それを確かめるためにも、今は一刻も早く高校に向かわなければならないのだ。
「お館様! 拙者に妙案がござりまする! ここは一つ、拙者にお任せあれ、にんにん!」
謎の自信を漲らせるアンジェリカには悪いが、嫌な予感しかしない。
それでも事態を打開するヒントでももらえればと思い、昴は思い切ってアンジェリカの意見に耳を傾けることにしたのである。
◆◆◆
「ほら、拙者の言う通り、妙案でござりましたでしょ? にんにん!」
「う、うわあぁぁぁぁっ! 前! 前! 前をしっかり見て!」
狭い室内に、昴の絶叫が響き渡った。
現在、昴達はなり損ない達がたむろしていた駅から学校までの道のりの半分ほどを既に消化していた。
この間、戦闘はなし。
極めて順調である。
だが昴は、ここまでずっと、生きた心地がしなかったのだった。
昴達は今、倉庫街にほど近い幹線道路を学校に向かって順調に走行している。
道路にはいくつもの自動車が放置され、道路脇に駐められたもの、あるいは運転手が走行中になり損ないに変じてしまったのか道路脇の建物に突っ込み停止しているものなど様々だったが、走行中の自動車は一台も見かけなかった。
昴達が乗っている一台を除いては。
「しかし、この様子ですと、この街のほとんどの人間は既になり損ないになってしまっているのかもしれませんな」
「しれませんなって、のんびり感想を言ってる場合じゃないだろ!」
「昴様、こ、こ、こういうときには落ち着くしかありません!」
「水姫も、声を震わせながら無理矢理自分を誤魔化さないで!」
「平気でござるよ。拙者、運転テクニックには少々自信があるでござるよ!」
「なんで九歳児に運転の自信なんてあるんだよ!」
――そう、昴達は、というよりも、服部アンジェリカ(九歳)は、問答無用で自動車を運転していた。
鍵付きで放置されていた中の一台を拝借したのである。
比較的小さな軽自動車で、操縦方法もオートマと呼ばれる方式なので運転が単純なのはわかる。
わかるが、九歳児がハンドルで顔が隠れるので「う~ん、でござる」とか言いながら頑張って首を伸ばして運転している自動車に乗っていて、誰が安心できるだろうか。
一瞬、自分が運転するべきではとも思ったのだが、ここまでまっとうに育ってきた昴は、幸か不幸か自動車を運転することなどとてもではないができないのだ。
「大学時代、私有地で散々練習したのでご安心めされよでござる!」
「どっか別の場所に召されるんじゃないだろうな」
「さすがお館様、ユーモアのセンスも抜群でござるな!」
「心の底からの本音だよ!」
先程も言ったように、道路には自動車が放置され、まっすぐ走っているだけではすぐに衝突事故を起こしてしまうだろう。
だが驚いたことにアンジェリカは道路上の障害物をきれいに避けきって自動車を走らせる。
時折道路上に迷い出ているなり損ないも華麗に回避。
その操縦は、昴の不安の大きさに完全に反比例して安定していた。
「よぉし、ノってきたでござる! このまま一気に学校までお館様を送り届けるでござるよ、にんにん!」
「お願いだから安全運転でお願いしますっ!」
昴の悲鳴が車内に響き渡る。
だが、神経を磨り減らしたおかげと言うべきなのか、半時間も経たずして昴は目的地へと到着したのだった。
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