第43話 異界の子ら


 すばるとミドガルズオルムで涼音すずねを奪い合っていた場面に、横から突然現れた鵺堂界李ぬえどう かいりが全てをさらっていった。


 完全に見失い、追跡する方法もない。


 だというのに界李は、昴達の高校で待つ、とわざわざ手がかりを残して立ち去っていった。


「ま、せっかくの共同戦線も、ここまでかねぇ」


 こんな廃屋には似つかわしくない、しゃれたジャケットについた埃を払いながら、清十郎せいじゅうろうは淡々とそう呟いた。


 決して仲良しこよしだと思っていたわけではないが、それでもそこまでドライな考えができない昴は思わず清十郎を見る。


 すると、彼は特に気を悪くした様子もなく肩をすくめた。


「だって、おじさん達はお嬢ちゃんを始末しなきゃなんないんでね。さすがに手伝いはお願いできないでしょ?」


 どこまで冗談なのかわからない調子で言う。


「あ、当たり前です! 本当に涼音はレヴェナントで……いや、レヴェナントだったとしても、意識を保って化け物にならなくしたり、他のレヴェナントを促す? のかなんなのかわかりませんけど、そういう厄介な効果を止めたりとかはできないんですか!?」


「マナと、マナを使った創世術は魔法みたいにイロイロできるけれど、残念ながら知らないねぇ。……そもそも少年、君に一つ聞きたいんだけど?」


 てっきり、頭から否定されるかと思っていた昴だったが、清十郎は意外にもまともに取り合ってくれた。


「聞きたいことって、なんですか?」


「いやなに。たとえばの話、君が言うような都合のいい、奇跡のような方法があったとしよう。だとして君は、本当にそれをやるのかい?」


「あ、当たり前じゃないですか!」


 涼音を助けるのに理由など要らない。


 どういうつもりでそんなことを聞くのかはわからないが、たとえどんな苦労をするのだとしても、昴は、それをやり遂げなければならないのだ。


「レヴェナントは元の世界の本人を復元する。その魂が本物なのかただのコピーなのかはおじさん達の間でも説は割れているけれど、どっちにしてもマナによって復元した自我のようなものは、こちら側にいる自分と同じ人間に取り憑いているってとこは一致している」


 涼音も確かに、自分の中にもう一人いるような感覚がすると言っていた。


 それが何を意味するのか、昴が自分で考えるより先に、清十郎の言葉が割り込んでくる。


「だったらさ、こちらの世界の、梓川涼音の魂はどうなんのさ? 自分の好きな幼馴染みを守るために、なんの罪もない女の子の人生を奪っちゃう? そこまで覚悟決めて提案してるのかな?」


 ハンマーで頭を殴られたよう、という表現はたまに目にするが、このときの昴の心境がまさにそれだった。


「不破さんっ!」


 昴の背後から、水姫みずきが驚いたように非難の声を上げる。


 清十郎はまるで懲りた様子もなく、胸ポケットから取り出した煙草にライターで火をつけながらゆっくりと紫煙を吸い込む。


「おっと、言葉が過ぎちゃったかな。……少年、君は全てを失った。俺達の未来は君の絶望の上に成り立っている。だからひょっとすると、自分の気に入った女を生き返らせるために生け贄を差し出せって請求するぐらいの権利はあるかも知れないけれど、自分が何を要求することになるのか、せめてそこぐらいは押さえてから追いかけてきなよ」


 清十郎は静かな声ながら、これ以上ないほど強烈な言葉を残して歩きはじめる。


「不破さん、どこに行くんですか!?」


 二人のやり取りを見守っていたらしい冴香さえかも、いきなり清十郎が動き出すとは思っていなかったらしく、驚きの声を上げた。


「だって、せっかくのお招きだもの。冴香くんが通っている高校とやらにお邪魔しないとね。これでも律儀なのよ、おじさん」


 あれだけの能力を見せつけられたにもかかわらず、清十郎はたった一人で戦いに赴くつもりであるらしい。


 素人の昴から見ても、この場面でわざわざ居場所を言い残す理由がない。


 つまり、何らかの罠か思惑がある可能性が高い。それでも、清十郎は自分一人でどうにかするつもりなのだろうか。


 いずれにしても昴は、自分がどうするべきなのか、そのことについてあまりに考えが足りていなかった衝撃から立ち直れずにいた。


 自分が知っている涼音のこと、こちらの世界の涼音のこと、二人の涼音のことが頭の中をぐるぐるとループする。


 思った以上に混乱していたのか、いつの間にか近寄っていた人間に、思い切り突き飛ばされて地面に尻餅をつく。


「けっ! ザマァね~な!」


 いつの間にか脳震盪から回復したらしい、鬼火斗きびとだった。


「重ね重ねの狼藉っ――フガフガ」


 ちょうど意識を取り戻したアンジェリカが再び鬼火斗に殴りかかろうとしたようだったが、水姫に羽交い締めにされて、おまけに手で口も封じられてしまった。


 味方をしてくれる気持ちはありがたいが、いたずらに鬼火斗を刺激しては、彼の凶暴性がアンジェリカに向けられるかもしれない。


 その危険を考えると、水姫の配慮はありがたかった。


 昴も、もちろん腹立たしくはあったが、もう鬼火斗の傍若無人ぶりは何度も目にしているのでこの程度なら驚きもしない。


 昴の反応が薄いことが不満だったのか、鬼火斗はさらに悪態を重ねる。


「俺様は最初からてめぇが、いや、稀人が気にいらねぇんだ。自分だけが選ばれた人間だと思いやがって!」


「――そんなの、思ってるわけないだろ!」


 思わず反論が口を突いて出た。


 だが、誰が特別な人間だというのだ。


 この世界でたった一人しかいない特異点だ、稀人だと言われても、昴には何もできていない。


 一番救いたい幼馴染み一人、助けられずにいるのだ。


 睨み返した昴の襟首を鬼火斗が掴む。


「自分一人、奪われた人間だってツラしてるんじゃねぇぞっ!」


 鬼火斗の目から、これまでのような、標的を定めずただ周囲にまき散らされる怒りではなく、明確に、昴の言葉に対しての怒りを感じた。


 何がそんなに腹立たしいのかはわからないし、わかりたいとも思わない。


 自分がこの世界の人達にとって無茶を言っているのもわかっている。


 それでも、この状況に怒り、涼音を奪われたことを悔やむ――感情にすら文句をつけられて納得できるはずもなかった。


「仲違いしている場合ではないでしょう!」


 冴香がたまりかねて仲裁に入る。


「違えるもなにも、元から仲間じゃねぇんだよ! こいつは招かれた人間で、俺らは稀人に売り払われた家畜じゃねぇか!」


 どう見ても、飼い慣らされたようには見えない鬼火斗だが、


「そこで蹲ってろ、負け犬! あの女は俺様がキッチリと殺してやる!」


 言いたいことだけ言うと、清十郎の後を追って倉庫を飛び出していった。


 気まずい沈黙が立ちこめる中、冴香が気遣わしげな表情を浮かべて昴に手を差し伸べた。


「すまない。決して褒められた人ではないが、理由がないわけではないんだ――いや、理由があれば許されるというものでないのもわかっているが……」


 大人しく差し出された手を取って立ち上がった昴に、冴香は自分がしでかしたわけでもない、鬼火斗の暴走を詫びる。


「理由って、僕が、何か怒らせるようなことを言ったのか?」


 少し迷った様子だったが、冴香は昴の問いに答えてくれた。


「……君に当てはまることではないから確認しなかったが、私達が使っている〈精霊器〉リゾルバーは、誰もが使えるわけではない」


「要は、黒瀬の〈精霊器〉は黒瀬だけのものってことでしょ?」


 それが鬼火斗が昴に辛く当たる理由にどう関係するかはわからないが、ひとまず冴香の話を聞くことにした。


「いや、もちろん私の氷雨は私以外の誰にも使えないのだけれど、それ以前に、この世界の大部分の人間は〈精霊器〉を起動させることすらできないんだ」


 それは、昴が想像もしていない話だった。


 確かに〈聖なる泉ミーミル〉は最初起動しなかったが、ずっと〈精霊器〉なら使おうと思っただけで使えると聞いていたので、そんな制限があるとは考えもしなかったのだ。


「〈精霊器〉を起動できるのは、特定の因子を持つ人間だけ。その因子というのが、過去何度か発生した〈ワールドエンド〉でこの世界が勝ち得た特異点の中で稀人――つまり君と同じ立場におかれた人間の血を引いている、ということなんだ」


 特異点は、必ずしも人間とは限らない。


 その世界に存在する文化であったり、技術であったり、あくまでもう一つの世界には存在しない「要素」という条件を満たせば、様々な存在が特異点として認定される。


 時折、歴史の中から掘り起こされるオーパーツと呼ばれる品などは、あるいはかつての〈ワールドエンド〉でこちらの世界が獲得した特異点の名残なのかもしれない。


「稀人は、世界の壁を越えてこちらに迎え入れられる。水姫がこちらから壁を越えて戻ったことでマナに干渉する力を手にしたように、世界の壁を越えた魂は特殊な因子を持つと言われている」


「その因子が遺伝している人間だけが〈精霊器〉を起動できるようになる?」


「そうだ。私も、専門家から聞きかじっただけだから、これ以上はうまく説明してあげられないけれど……」


「いや、わかりやすかった。……でも、それと鬼火斗の態度とどういう関係があるのさ?」


「ミドガルズオルムは、因子を持った子どもを集めて訓練を施す。〈ワールドエンド〉はいつ起こるかわからない。何十年も、下手をすれば百年以上起こらないこともある。だから、ほとんどは実戦の場を知らず、無駄に終わると承知の上で、私達は常識では考えられない厳しい訓練を積まされる」


 最初に冴香が戦う場面を見たとき、彼女はビルの屋上から躊躇なく飛び降りた。


 確かにあんな動きも判断力も、普通の高校生に備わっているはずがない。


「比嘉さんがどんな経歴を辿ってきたのか、私にはわからないが……、いや、比嘉さんだけではなく不破さんも、ほとんどの人間が自分の過去は語りたがらないが、誰もが厳しい経験を経てきている」


 確かに鬼火斗だけではなく、清十郎も本心をはぐらかして何が本心なのかよくわからない人物だ。


 昴は単に自分がまだ子どもだからかと思っていたが、目の前の冴香も含め、彼らには斜に構えて生きていくだけの理由があるということなのだろうか。


「私達のような人間は、異界から招いた稀人の子――異界子と呼ばれている」


「異界子?」


「〈ワールドエンド〉やその後のマナ混乱期を乗り切るには〈精霊器〉を扱える私達のような人間が必要になる。だが、その因子は世代を重ねる毎に薄まる一方で、徐々に人数が減っていく。そこでその……」


 冴香は言いにくそうに昴を見る。


 その頬が少し赤いように感じ、昴は彼女が何が言いたいのかを理解した。


「世界を渡った人間だけが特別な因子を持つなら、その人間――稀人の子どもなら因子を補充できるってこと?」


「その、そういうことだ……。もちろん無理矢理強制されるようなことはないと思うが、状況が落ち着いたら君に対して、そういうアプローチをする人間も現れるだろう」


 これまで組織の実働員として、クールなイメージが強かった冴香だが、やはり十代の少女の潔癖さなのか「そういうアプローチ」には、あまり感心していない様子ではあった。


 おそらく、江戸時代の大奥ではないが、昴に子孫を残して欲しいと考える人間がミドガルズオルムの中にいるということなのだろう。


「稀人の因子を持つが故に、私達は普通の生活を奪われ、過酷な訓練だけの日々を続け、命を落とすことすら珍しくない。人権などという甘いお題目は通じず、誰もが様々なものを失ってここに辿り着いている」


「じゃあ、あの比嘉って人が怒ってたのって、僕が、僕だけが被害者のように振る舞うのが気に入らなかったってこと?」


「もちろん私は、君が悲嘆にくれる気持ちもわかる。わかるが、〈ワールドエンド〉にかかわり辛い思いをしている人間もいる。だから……」


 鬼火斗の気持ちも少しはわかるのだろう。


 わかるが、上から目線で昴に「理解しろ」などと言うつもりもない。


 要は、黒瀬冴香という少女は、両方の気持ちが理解できて、両方のことを悪く言うこともできず、さりとて場当たり的に一方に都合のいいお為ごかしを言うこともできない。


 どこまでも不器用で、優しい心根をしているのだろう。


 ようやく、少しだけ冴香のことが理解できた気がした。


 世界を救う特異点であり、その後の安定のための人材の補充を可能としてくれる稀人は歓待される。


 その一方で、稀人の因子を受け継いだ子ども達は異界子として厳しい環境におかれる。


 厳しく鍛え上げなければ、次の〈ワールドエンド〉で生き残れないからなのだろうが、それでも昴がまだ知りもしない不平等や因縁が、この世界には山のように渦巻いているのだろう。


「私達は、私達なりに、様々なものを背負って戦っている」


 冴香の言葉は彼女らしく無骨で不器用で、どこまでも真摯だった。


 だからこそ、昴の胸に突き刺さる。


「私達の行いに納得しろとは言わない。けれど―――」


 涼音への処遇を変えることはできない。


 冴香は言いづらそうにしていたが、気まずげに逸らせた顔を見るだけで、何が言いたいのかは伝わってきた。


「冴香、お前も二人を追って学校に向かいなさい」


 冴香が言い終えるのを待っていたのか、幽月ゆづきが指示を出す。


「しかし指令、お一人では危険なのでは? ここにはレヴェナント――ヤツの言葉が本当ならなり損ないだそうですが、それでもあれがまだうろついているでしょうから……」


「なに、私一人が生きていたとして、世界が滅びてしまえば本末転倒もいいところだ。私なら、自分の身一つぐらいどうとでもするさ。大人しくマンションに戻っているとしよう」


 冴香は幽月の言葉に納得すると、一瞬だけ、立ち去りがたそうな視線を昴達に寄越したあと清十郎や鬼火斗と同じように倉庫から飛び出していった。

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