第42話 黒い翼


 強大な力をもってすばるの前に立ち塞がった鵺堂界李ぬえどう かいりを倒せるかと思った矢先、背後で涼音すずねを羽交い締めにした何者かの存在が、時間を止めた。


 金髪を後ろでひっつめにした、スーツ姿の女性だ。髪の色は自然で、顔立ちも彫りが深い。


 おそらくは欧米人だろう。冷たい印象がある美女だった。


 いずれにしてもこの場にどうやって現れたのか、それは全くの謎だった。


 界李の攻撃の余波であちこちが吹き飛び、いつ倒壊してもおかしくない廃屋も同然の倉庫だ。


 それでも、水姫みずきと昴が常に庇い続けていたおかげで涼音がいるあたりの壁は健在で、忍び込むような隙があるとも思えない。


 あるいは、アンジェリカのような姿を消す〈精霊器〉リゾルバーでも使ったのだろうか。


「よ~し、よくやった」


 混乱が深まる中でただ一人、界李だけが状況を承知していたらしく、謎の女の行動を賞賛した。


「恐れ入ります、マスター」


 もがく涼音を容易く押さえつけ、女は恭しく頭を下げた。その態度からすると、彼女は界李の部下かなにかなのだろう。


「昴、なにがどうなったの!? 私、どうして?」


 意識を取り戻した涼音が怯えた声を出す。


 目覚めれば、同性とはいえ見知らぬ人間に羽交い締めにされ、意識を失っている間に倉庫は半壊し、あちらこちらで火の手が上がっている。


 これではパニックを起こすなという方が無理だ。


 だが、相手の狙いがわからない以上、無闇に暴れれば涼音の身に危険が及ぶのではないかと気が気ではない。


「涼音! 僕もよくわかってないけど、とにかく落ち着いて……。そこの人! 涼音を離して下さい!」


「申し訳ありませんが、承服しかねます。私に命令できるのは私のマスターのみですので」


 見たところ、痛がったり苦しがったりしている様子はないが、涼音の力では戒めを振り解くことはできないようだった。


「そう、アイリが言うことを聞くのは俺だけだからな」


 界李は戦闘態勢を解き、すっかりとリラックスして肩をすくめた。


 敵対していた昴の方が、それは気が早いのではないかというほどの余裕を見せる。


 表面上は飄々とした態度を崩していないが、清十郎はいまだに緊張状態を解いていない。だが本来ならこちらの方が正解のはずだ。


「人質のつもりかな? けど、おじさん達はそのお嬢ちゃんを始末しようとしてたんだぜ?」


 つまり、ミドガルズオルムの面々には涼音に人質としての価値はない。


 生真面目な冴香さえかはギョッとして清十郎せいじゅうろうを見たが、冷徹に現実を突き詰めれば彼の言葉が正しい。


 早々と戦闘態勢を解いている界李に対して、涼音がどうなろうと意に介さず清十郎ならその場からいきなり攻撃できるだろう。


 だが界李は平然と笑っていた。


「二つほど勘違いがあるな。まず一つ、俺だって一撃ではやられない。もしそっちが共闘関係を破棄してくれるなら、むしろありがたい」


 界李はチラリと昴を見る。


「共闘関係がなくなれば、朽木昴はアンタ達を守る必要がなくなる。少年らしいヤワな感情で、見殺しにするのは罪悪感が伴うだろうが、それでも梓川涼音嬢の方が大切なら動けなくなる。あとは一瞬で全員始末できるさ」


 素人の昴はともかく、明らかに訓練を受けているだろう清十郎や冴香を見ても、界李は傲然と断言する。


 清十郎は渋い顔をしたまま反論しない。


 元々、彼も共闘関係が生きている間は言ったような無茶をするつもりはなかったのかもしれない。


 あるいは、さきほどの言葉は単なる強がりか、せいぜいブラフの類だったのだろうか。


「もう一つ。最初は違ったが、俺の目的も彼女を連れて帰ることなんだ」


 愉快そうにそう告げる。


「涼音が、目的……?」


 ミドガルズオルムの面々も、界李も、彼女がレヴェナントだと言っていた。


 その真偽は別にして、レヴェナントだからこの世界のために抹殺しようとするならまだわかる。


 涼音がレヴェナントだとわかった上で連れ帰るという意味がまるでわからなかった。


「僕の味方をするって言いながら、涼音を連れ去るなんて、どういうつもりなのさ!」


 昴が素朴な疑問を投げかける。


 味方をするというのはミドガルズオルムと敵対するという意味だけなのだろうか。


 その程度なら、わざわざ「味方」という表現を使うのも不自然な気がしたのだ。


「いや、相変わらず俺は君の味方のつもりだぜ? なにせ、この世界では君以外に誰一人味方がいないはずの梓川涼音嬢を守ろうっていうんだからな」


「なんでそんなことを……?」


 涼音を守ると言うことは、この世界をレヴェナントで溢れさせる、水姫や冴香達が避けようとしていた終焉の一つだったはずだ。


 詳しい事情を知らず、単なる義侠心で涼音を守ろうというようには見えない以上、そこには何か理由があるはずだ。


 そんな、昴の疑問に答えてくれたのは、界李ではなく幽月ゆづきの方だった。


「彼は、還元主義者と呼ばれる人間のようだ」


「還元主義?」


「そう……。〈ワールドエンド〉で生き残ったことを良しとせず、互いに消滅をしてマナに還ろうという主義者達のことだ」


「一度助かったのに、わざわざもう一度滅びようとするってことですか?」


「根源であるマナに還ることを望んだり、自分達だけが生き残ることに罪悪感を覚えたり、差違はあるが大まかに言えばそういうことになる」


「わかったようなことを言わないでもらいたいモンだね」


 表面上の余裕は崩さないままだが、界李は再び憎悪のこもった声を上げた。この二人にどんな因縁があるのかはわからない。


 だが界李の憎悪は、ミドガルズオルムという組織全体に向けられているような気がした。


「さあ、どうかな。私がどれほどのことを知悉しているか、それはお前にもわかるまい?」


「……ふん、相変わらずつかみ所のない人だ。まぁいい。こっちは目的は達した。だらだらと舌戦に興じる趣味はない。このまま引き下がらせてもらおうか」


「涼音をどうするつもりだ!?」


「別にどうもしないさ」


 意外な答えに、昴は戸惑う。


「さっきも言った通り、彼女は特別なんだ」


 レヴェナントだということだろうか。


 詳しく追及したかったが、それは昴が否定したい事実を固定化させるようで、どうしても口が重くなる。


 そんな昴には構わず、界李は勝手に喋り続けた。


「なり損ないとはいえ、ここまで周囲に影響を及ぼすレヴェナントなんて、ありとあらゆる記録を読み尽くしたが初めて聞いた! 彼女は、生きているだけで赤いマナをばらまく破滅の使者だ! 還元主義者の福音だ!」


 涼音は、自分のことを言われているということぐらいはわかるようだが、それでも理解が及ばず、自分に向けられる言葉と界李の視線をどう受け止めていいかわからない様子だった。


「特異点、あるいは稀人である君の傍にいたからなのかな? ここまできてまだ自我を保っているだなんて、驚きだ! 最初は君を殺して世界を滅ぼそうかとも思ったんだけど、嬉しい誤算だよ。彼女を保護して生きていてもらうだけで、この世界は勝手に滅びてくれる! 俺が手を下すよりも、全ての人間がなり損なって、亡者になり果て滅びるがいい!」


 あはははは、と界李は腹の底から声を上げて笑っていた。


「まぁ、途中で彼女は完全な化け物になってしまうだろうけれど、それはそれで面白いじゃないか?」


「わ、私が、さっきみたいな化け物……!? 嘘っ! そんなのは嘘よっ!」


 涼音は、先程倉庫になだれ込んできた化け物の群れを思い出したのか悲鳴を上げる。


「俺らが許すと思うかい?」


 清十郎が気色ばむが、界李はやはり一顧だにしない。


「そうだね。……このままどこかに隠れながら、彼女と愛を語らうのも面白いけれど……、それじゃあせっかく集まった顔ぶれがもったいないからな。俺からの大サービスだ。君達の学校で待ってるよ。共闘でも足の引っ張り合いでもいいから、よかったら取り返しに来るがいい」


 だから逃がさないって、と涼音とアイリと呼ばれた女性に向かって動き出した清十郎に対し、アイリは背中から大きな翼を出現させた。


 彼女のスーツと同じく、あるいは黒鳥の翼のように、黒一色の美しい翼だ。


「な、なんだい、そりゃ!?」


 驚きで、一瞬だけ清十郎の鞭が逸れる。


 その隙に、アイリは涼音を抱えたまま、倉庫の天井の破れ目から一気に上空へと飛び上がってしまうのだった。


「おっと、こっちへの警戒がお留守だぞ」


 言われて、昴は慌てて〈聖なる泉ミーミル〉に神経を集中する。


 まるでそうなるのがわかっていたかのように、界李はこれまでとは比べものにならない数の爆発を引き起こす。


 辛うじて、全員に光の紙片を配置することはできたが、生じた炎と煙によって視界が遮られ、それが晴れたあと界李の姿は跡形も消えてしまっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る