第35話 残されたもの

 

 夜の倉庫に押し寄せた大量のレヴェナント。


 ミドガルズオルムの面々が戦っている間に、逃げるのは無理でも、せめて涼音すずねの手足の拘束だけでも解いてやりたいと思った。


 だが、


「そういうタノシイ役目を勝手に横取りするんじゃねぇよ」


 戦いの輪から抜け出した鬼火斗きびとが戻ってくる。


 顕現させた〈精霊器〉リゾルバーを肩に担いだまま、鬼火斗は左腕一本で拘束されたままのすばるの首根っこを掴み、ずるずると強引に引きずって涼音の元に近づいていく。


「比嘉さん! 乱暴はお止め下さい!」


 水姫みずきの制止を歯牙にもかけず、鬼火斗は上機嫌に薄笑いを浮かべていた。


 目が見えない水姫は、自分一人では抵抗できないと思ったのか、手探りであたりを確かめ、昴と同じように拘束され地面に転がされていたアンジェリカに辿り着く。


「アンジー、わたくしを昴様の元へ連れて行って下さい!」


 そう言うと、手の結束バンドを苦労して外してやった。


「承ったでござるっ!」


 自由になるチャンスを狙っていたアンジェリカは即座に身を起こす。


 左手で猿ぐつわを引きずり下ろしながら、反対の手で懐からクナイを取り出し足の結束バンドを切断した。


「水姫殿、こちらでござる!」


 飛び起き、水姫の手を引くと、昴と鬼火斗の追いかけ二人もまた涼音の元へと駆け寄ってくる。


 昴はといえば、できる限り身をよじったりばたつかせたりして抵抗するが、どれほど揺さぶっても鬼火斗が常人離れした握力を持っているのかビクともしないのだ。


 このまま涼音の前まで連れて行かれたら何が起こるかわからない。


 間違っても、昴にとって望ましい展開になることだけはないように思えた。


「昴っ! よかった、無事なのね?」


 見ず知らずの人間に拉致されて、手足の自由を奪われているにもかかわらず、涼音は自分のことよりも昴の無事に安堵する。


「あんまり無事じゃないけど……。涼音は?」


「私も、縛られたけど、どうにか大丈夫……」


 互いの無事を確認し合っていると、


「JKなんてのは俺の守備範囲外でね。もうちょい色っぽい大人の女なら別の楽しみ方があったんだろうがな」


 鬼火斗がゲスな本性丸出しで割り込む。


 そこに遅れて水姫とアンジェリカが駆けつけるが、仲間であるはずの二人に対して、鬼火斗は槍斧を突きつけて牽制した。


「あんた、一体何がやりたいんだ! 涼音をさらって、諸悪の根源だなんてヒドい言いがかりをつけてっ!」


 言葉で説得したところで素直に応じるとは思わなかったが、手も足も出ない以上、何か話していなければ間が持たない。


「もう一人、向こうからやって来た人間がいたらそんなに都合が悪いのかっ!?」


 何故か、最初から不吉なモノを感じていた。


 昴と同じで、元の世界からこちらの世界に移ってきた存在なのだと思っていた。


 だが、特異点の条件は、幽月ゆづき達の言葉が本当ならこちらの世界になかったものであるはずなのだ。


 ならば涼音はそれに該当しない。


 もう一人の特異点なのだと思い込もうとしていたが、実のところ最初から違和感を覚えていた。


 その正体がなんなのか、昴には予想もつかなかったが、それでも誰にも言わないような気がしていた――のだと思う。


 今からして思うと、無意識にミドガルズオルムに近づけたがらなかったのは、そこなのだという気がした。


 対する鬼火斗は、自分が圧倒的に優位だと思っているのか気前よく昴の質問に応じた。


「はっはー。俺様はセイギの味方だからな! このセカイのヘイワのために戦ってやってンだよ」


 無頼が服を着て歩いているような鬼火斗である。


 あまりに不釣り合いな言葉に、昴の頭の中ではいくつかの単語が上滑りしてしばらく意味が入ってこなかった。


「正義って――」


 絶句してしまったが、鬼火斗は気を悪くした様子もなく〈精霊器〉の穂先を涼音の鼻先に突きつけた。


 文字通り、目と鼻の先にある「死」に涼音は青くなって硬直する。


「こいつが、こいつこそが、レヴェナントだ」


 薄ら笑いを消し去り、むき身の刃物のような剣呑な目つきで涼音にあり得ない単語を突きつけた。


「は………?」


 一瞬も気が抜けない。


 周囲にはレヴェナントが押し寄せ続けている。


 冴香さえか清十郎せいじゅうろうが対処しているが、これ以上数が増えれば二人を突破されるかもしれない状況だ。


 冴香は自身の消耗と、宿主となっている人間の被害を考え最小限の手数でレヴェナントを斬り伏せているが表情にはまるで余裕がない。


 額に大粒の汗を浮かべて、それでも懸命に動いていた。


 清十郎は、冴香とは対照的に手にした鞭状の〈精霊器〉を振るってレヴェナントを打ち据えている。


 どういう理屈なのか、一撃必殺のイメージから遠い鞭という武器であるにもかかわらず、清十郎の攻撃は冴香と同じく一撃で一体の、時には複数のレヴェナントを行動不能にしていた。


 ただ、いつもの軽口は完全に鳴りをひそめているので、彼は彼なりに余裕がない状況なのかもしれない。


 鬼火斗は、いつ昴達に斬りかかってくるかわかったものではない。


 水姫もアンジェリカも鬼火斗の牽制で身動きを封じられている。


 信じられるかもしれないと思っていた幽月は、ただ状況を静観するだけだった。


 こんな状況で、気など抜けるはずもないというのに、昴は一瞬惚けてしまっていた。


 鬼火斗が何を言っているのか、わからなかったからだ。


「涼音が、レヴェナント……?」


 冗談にしてもあまりに出来が悪すぎる。


 目の前でB級映画のゾンビよろしく襲いかかってきている化け物とどこが同じだというのだ。


 馬鹿馬鹿しい虚言だった。


「比嘉さん!」


 だというのに何故か、水姫が珍しく声を荒らげる。


「うるせぇな。遠慮か気遣いかは知らねぇが、お前らがダラダラと引き延ばしてんのが悪いんだろうが!」


「それは……」


 痛いところを突かれたのか、水姫は何も言えなくなったようだった。


「ガキ、てめぇにレヴェナントのことをもう少し詳しく教えてやる!」


 いきなりはじまった講釈だが、昴はそれを拒めなかった。


「レヴェナントとは、〈ワールド・エンド〉で滅んだ側の世界のマナが変質し、悪性かしたモノ――そう教わっただろ?」


「あ、ああ。そうだよ」


「じゃあ、変質ってなんだ?」


 問われ、しかし答えられないことに気づいた。


 もちろん専門知識がないというのは大きな理由だが、それよりも「変質」という言葉一つでわかった気になっていた自分に気づいたのだ。


「滅ぶ側の世界は、命も物質も、有機物も無機物も、関係なく全ての根源たるマナまで分解される。だが、人間てのはマジで往生際が悪い生き物でな、生前に強烈な感情を抱えたまま〈ワールド・エンド〉を迎えると、精神なのか魂なのか、そうしたものが残される」


 この現代で「魂」と言われてもピンとこない。


「言ってみりゃ『残留思念』だ。強烈な画像がスクリーンに残るように、強烈な思念が世界に焼き付きを起こす。時折、その強烈な思念に一度分解されたはずのマナの方が引き寄せられ、元の精神に近い形に組織化する。それがレヴェナントのはじまりだ」


「一度は消滅した人間が、復活する……?」


 昴が素朴な推測を口にすると、鬼火斗は心から馬鹿にしたように「けっ」と吐き捨てた。


「ンなわけねぇだろうが」


「でも、あんたが言ってたことを信じれば……」


「馬鹿が。……ったく理解力が足りねぇガキだ」


「どう違うのさ」


 挑発するように言うと、昴の思惑ぐらい見抜いていたようだがそれでも「乗ってやるよ」とばかり鬼火斗は不敵な笑みを浮かべて話を続けた。


「組織化したマナが有する精神らしきモノが、オリジナルと完全に同じなのかどうかはわからねぇ。わからねぇが、もっとわかりやすく違うのがレヴェナントには体がねぇってこった」


「体は、元に戻らないってコト」


「おおよ。心とか魂とか、大仰な名前をつけてるが精神なんてのは結局『情報』でしかないんだろうぜ」


 身も蓋もない、だがある意味で鬼火斗らしい即物的な表現だ。


「だから、レヴェナントは元の世界との縁が深い存在――てめぇみたいな特異点を目指して引き寄せられる。そして、復活するために体を求めるんだ」


 この世界と、昴の世界はほぼ同じ街、同じ文化、同じ人が存在しているのだ。


 涼音を見る。


 彼女は、こちらの世界の涼音の体に同居していると言っていた。


「そうさぁ。つまりてめぇの幼馴染みは、この世界に生きていた自分と同じ人間の体を乗っ取ってやがんだ。やー、怖いねぇ。強欲だねぇ」


「ち、違う! 私、そんな――」


 涼音は同居と言った。


 鬼火斗は乗っ取りと言った。


 死にたくないと思うのは責められるべき気持ちではないはずだ。


 だがその気持ちが引き起こした現実を突きつけられ、涼音は言葉を失っていた。



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