第四章 夢幻泡影

第34話 狂宴のはじまり


 目覚めたとき、すばるが最初に感じたのは頬に当たるザラザラした感触――それは冷たく堅いコンクリートの地面だった。


「う……」


 反射的に体を起こそうとするが、身動きが取れないことに気づく。


 両腕が後ろに回され、結束バンドか何かで拘束されている。


「な、なんだ、これ………!?」


 そこまで来たところでようやく、意識を失う前のことを思い出したのだ。


涼音すずね! 涼音!?」


 足も縛られている。


 うつぶせになっていたので視界も狭いが、だだっ広い、倉庫のような場所に転がされていることをようやく理解した。


 周囲には人の気配がある。


 昴からはせいぜい足しか見えないので誰がいるかまではわからないかったが……。


「昴っ!」


 離れた場所から涼音の声がする。


 この場にいてくれたことに少しだけホッとしたが、どういう状況かわからない以上、まだ安心できはしなかった。


「まずは、手荒な扱いになってしまったことを詫びておこうか」


 御子神幽月みこがみ ゆづきの声だった。


 首の筋が痛くなるほど強引に顔を上げて、声がした方を見上げる。


 いつも通り巫女服を着崩した妖艶な美女が、そこに佇んでいた。


「あなたは、どういうつもりなんですか! これはあなたの指示なんですか!?」


 昴が詰問すると、いつもは悠然と構え、人を煙にまくようなことはあっても困ったような様子を見せたことがなかった幽月が、珍しく言い淀んでいた。


 その表情の変化をわずかも見逃すまいとしていたが、体を反らせる限界が来て再びコンクリートの地面に伏せる。


「申し訳ありません、昴様……」


 水姫みずきも居合わせているようで、彼女は手探りで歩み寄ってくると昴の体を起こしてくれた。


 手足は拘束されたままだが首を巡らせて周囲を確認する。


 すると、少し離れた壁際にある木箱の上に涼音が座らされていた。


 両腕は後ろに回っていて、足が結束バンドで拘束されているので昴と同じような状態なのだろう。


 見たところ怪我をした様子はない。


 酷く不安そうだが、今のところは無事だと思えた。


 そこまでは確認すると、今度は自分の体を支えてくれている水姫に顔を向ける。


「水姫! どういうつもりなんだ!? 最初からこうするつもりだったのか!?」


 ずっと、親切にしてくれていたのは、昴を騙していたのか。


 これまで話していたことは嘘だったのか。


 様々な可能性が頭の中を駆け巡る。


 だが彼女は、辛そうに表情を曇らせるだけで何も答えてはくれなかった。


「ははははは! イイ声で喚くじゃねぇか」


 倉庫は広く、大型のトラックで直接乗り入れられるように両開きの大きな扉がついていた。


 薄く開けられた扉の脇に、この事態を引き起こした張本人である比嘉鬼火斗ひが きびとがもたれかかってこちらを嘲笑するような表情を浮かべていた。


 他には、冴香さえか清十郎せいじゅうろうもいる。


 二人もいつになく真剣な顔で沈黙を守っていた。


 昴の近くには同じように手足を縛られ猿ぐつわまで噛まされたアンジェリカが地面に転がされ「ふがふが、ん~、ぬ~!」と声にならない声で何かを喚いていた。


「あんな小さい子にまでなんてことをしてるんだ」


「うっせぇ、このチビがオヤカタサマオヤカタサマとうるさいから黙らせてやったんだ」


 昴が気を失った後、アンジェリカがどういう行動に出たかはわからないが鬼火斗は辟易とした様子でそう吐き捨てた。


「まぁいいや。皆々様、どちらも口が重い様子なので、俺様が説明してやるしかないようだな」


「比嘉さん、あまり――」


「うるせぇ! どいつもこいつも節穴揃いが! 俺様が見つけなきゃもっと大変なことになっただろーが! 役立たずは黙ってろ! なぁ、幽月サン?」


 細かい事情はわからないが、どうやらこの状況は、少なくともミドガルズオルムの目的に沿うだけの意味があるらしい。


 手柄をあげたと得意満面の鬼火斗に、冴香は顔をしかめるが、幽月にとってはまだ許容範囲だったのか「そうまで言うなら君に任せようか」と応じた。


「さて、なにから説明してやろーかな」


 楽しむように言葉を選ぶ鬼火斗の様子を見て、気絶する前、涼音のことを諸悪の根源だと言っていたことを思い出す。


「諸悪の根源って、どういう意味なんだ!」


 好き勝手話させると、愉快なことにはならないと思い、自分から話題を絞る。


 鬼火斗は興が削がれたと舌打ちするが、これはこれで面白いとでも思い直したのか、意外にも素直に昴の質問に答えた。


「諸悪――もちろん、今の霧見沢きりみさわ市を賑わわせているレヴェナント騒ぎのことに決まってるだろうが」


「それは、〈ワールド・エンド〉のせいだって言ってたじゃないか!」


 昴の指摘を、鬼火斗は鼻で笑う。


「普通、こんなにレヴェナントなんて湧いて出てこねぇんだよ」


 それは、冴香も言っていたことだった。


 レヴェナントが普通より多い。多すぎる、と。


 しかしそれと涼音にどんな関係があるのかまるでわからない。


「ま、論より証拠ってな。そら、団体さんのお越しだぜ!」


 鬼火斗は嬉しそうに言いながら、持たれていた鉄の扉を大きく開く。


 外には、他にも何棟かの倉庫が建ち並ぶ。


 街外れにある倉庫街のどこかだろうと当たりをつけた。


 どれほど気を失っていたのかはわからないが外の闇は深い。開かれた入り口から冷たい空気が流れ込んでくるのを感じるので、深夜に近いのかもしれない。


 だが、深夜の倉庫街には不釣り合いなざわめきが、この倉庫に向かって近づいてくるのを感じる。


 足音、衣擦れの音、呻き声それは――、


 と昴が答えを出すより先に、蠢く肉塊となったレヴェナントの集団が次々とこの倉庫に押し入ってきたのだった。


「きゃあっ!」


 レヴェナントを初めて見たのだろう涼音が悲鳴を上げる。


 数は、二〇近くはいるだろうか。


 拘束されたままの昴もさすがに身を固くする。


 だが鬼火斗はもちろん、冴香も清十郎も幽月も、最初から予定通りだったとばかり少しも慌ててはいなかった。


「さぁてお二人さん。いっちょ俺のパーティを盛り上げてくれよ」


 鬼火斗の軽口に従うわけではないということなのか、冴香は何も答えず〈精霊器〉リゾルバーを「抜刀」し、現れたレヴェナントに斬りかかった。


 彼女の細い体には不釣り合いな、長大な日本刀が一振りごとに、的確にレヴェナントを行動不能に陥れる。


「やれやれ。おじさん、あんまりこういうバタバタしたパーティは苦手なんだけどねぇ」


 まるで緊張感を感じさせないだらけた口調の清十郎は、左手で首元のネクタイを少し緩める。


 彼の左手に目がいったのは一瞬だけだったが、その隙に右手にはいつのまにか鞭らしき物体が握られていた。


 おそらく、あれが清十郎の〈精霊器〉なのだろう。


 冴香や鬼火斗はどこに装着しているか見えたが、清十郎はどこから〈精霊器〉を生成したのかわからなかった。


 別に見ているものを幻惑しようとしたわけではないのだろうが、わかりやすい鬼火斗などとは違って、清十郎は正体が見えない不気味さがあった。


 対するレヴェナント達は、最初に現れた集団で打ち止めではなく、次々と新手が姿を見せていた。


 身動きが取れないおかげで余計に危機感が掻き立てられる。


「昴様、いざとなったらわたくしがお守りしますので……」


 体が強張っていたのが伝わったのか、水姫はそんなことを言った。だが目の見えない彼女がどうやって昴を守るのか、その方法は謎だ。


「僕よりも涼音を! 涼音を自由にしてやってくれないか!?」


 鬼火斗はレヴェナントの襲撃を予想していたようだし、何なら待ってさえいたような気がする。


 彼が何をやろうとしているのかはまだわからないが、今なら涼音を助けられるはずだ。しかし、昴に求められた水姫は、心苦しそうに首を横に振る。


「どうして!?」


「それは――」


「おっと、そんな大事な話を勝手に進めるんじゃねぇよ」


 好戦的な鬼火斗は、てっきり喜んでレヴェナントとの戦いに飛び込んでいくかと思ったのだが、それは一瞬のことだった。


 最初に襲いかかってくる数体を屠った後、戦いは冴香と清十郎の二人に押しつけ、ゆっくりとした足取りで昴の元へと戻ってきたのだ。


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