第33話 力、解き放たれる
宙に浮かび、壁や柱すら引き裂く
それは、それほどの力を秘めているとは想像もできないような柔らかな動きで
恐る恐る手を伸ばすと、触れるか触れないかという位置で停止し、吸い込まれるように昴の手の中に収まった。
まるで長年使い慣れた品のように馴染む。
不思議な感触だ。
これまで何をやっても決して開かなかったベルトが手も触れないのに解け、そしてひとりでに手帳が開かれていった。
鬼火斗の
ページがめくられる度、マナの薄緑の光が宙に放たれる。
形状は薄い板、あるいは手帳のページの一枚を模したモノのように見えた。
それらが次々と、数枚、十数枚、数十枚と射出され、昴の目の前に立ちはだかれるようにして浮遊する。
「な、んだこれはっ!」
鬼火斗も黙って見ているだけではない。
その正体不明の現象が攻撃かもしれないと思ったのだろう。
みすみす静観するような愚は冒さず、再び〈精霊器〉を振りかぶって殴りかかった。
だが、被害はない。
光の紙片が、たった一枚、鬼火斗が振るった斬撃の軌道に割り込みこれを止めたのだ。
「このっ!」
次いで、見事な身のこなしで体重移動をすると、最小限の動きで突きを放つ。
彼の武器を柄の長い斧――つまりは振りまわして叩きつける武器だと思い込んでいた昴は完全に意表を突かれたが、その鋭い穂先もまた素早く先回りしたたった一枚の紙片に防がれ通らない。
見れば他の紙片も、全てが独自の意思を持ち昴を守ろうとしているかのように、周囲を旋回していた。
「それが、〈聖なる泉〉の力ってヤツかよっ!」
問われたところで答える術などない。
〈精霊器〉について、
それが今、何故発動しているか、昴自身にもわからない。
だが守ってくれるなら、
鬼火斗は、ムキになって襲いかかってきた。
その攻撃はことごとく光の紙片に封殺される。
「いつぞやに、俺を弾き飛ばしたのもこいつか」
鬼火斗との最悪の出会い。襟首を掴んでいた鬼火斗が急に跳び退いたように見えた。
鬼火斗が「力を使った」と言っていたのは単なる言いがかりだと思っていたが、あれは自分から跳び退いたのではなく、一瞬だけ〈聖なる泉〉が働いてくれたのだろうか。
「いいぜいいぜ!」
斬り、殴り、突く。
「これならどうだっ!」
鬼火斗が咆えると穂先から炎が迸った。
未知の攻撃に警戒するが、鬼火斗は予想もしない場所に向かって槍斧を振り下ろした。昴や涼音が立っている場所とはまるで方向違いの、リビングの壁だ。
どすん、という音に涼音が身をすくめた次の瞬間、
まるで油か何かを染みこませていたような火勢。
最近の家なのだから、燃えにくい素材を使っているだろうに、信じられないような威力だ。
それとも〈精霊器〉のマナを使った能力であるため、普通の物理現象は無視できるのだろうか。
「家が!?」
涼音が驚いて声を上げる。
「こんなことをして許されると思ってるのか!?」
ミドガルズオルムの活動は一般の社会には秘匿しているらしい。
〈ワールド・エンド〉についてつまびらかになってしまうと社会が大混乱に陥るからだろう。
様々なコネクションがあるおかげで多少の事柄には補いがつくようだが、さすがに住宅街での放火騒ぎをなかったことにできるとは思えなかった。
この襲撃は、鬼火斗の独断専行もいいところのはず。
きっと、幽月が知ったなら処罰されるに違いない。
だが鬼火斗の戦意は少しも揺れていなかった。
一方で、攻撃を完全に防いでいるはずの昴だが、言葉ほど余裕があるわけではない。
もちろん、炎が足下までやってきたら防げないだろうが、それ以前に〈聖なる泉〉がどこまで攻撃を防いでくれるのかがわからない。
鬼火斗の攻撃は凄まじく、昴では切っ先を目で追うことすらできていない。
今のところ、自動的に紙片が動いて受け止めてくれているように見えるが、受け止められる威力に限度があるのか、対応できる速度に限界があるのか――それがわからない。
そうである以上、まともに食らえば大怪我では済まない攻撃が、いつ自分達に襲いかかってくるわからない重圧がのしかかってくるのだ。
「絶対防御――とでも言いたいのかぁ? はん、てめぇが何を庇っているのかわかりもしねぇでいい気なもんだ!」
炎は刻々と広がっている。
やはり、普通の火ではないのかもしれない。
そんな中、自らも火と煙にまかれる可能性があるにもかかわらず、鬼火斗は強烈な悪意を叩きつけてきた。
「僕が、涼音を守って何が悪い!」
昴が答えると、予想していたとばかり鬼火斗はせせら笑った。
「そうだな。幼馴染みだもんな。幼馴染みの美人の女で……。ああ、もう一つ付け加えといてやると――そいつが諸悪の根源なんだぜっ!」
「デタラメ言うなっ!」
あまりの馬鹿馬鹿しさに怒りがこみ上げる。
すると〈聖なる泉〉は昴の感情にも反応するのか旋回速度を速めながら範囲を広げていった。
次々と鬼火斗の〈精霊器〉に張りつき、動きを封じる。
「なん、だと!? ただの邪魔な防壁だったんじゃねぇのかよ!」
それでも強引に動かそうとする鬼火斗に対し、光の紙片はさらに枚数を費やし動きを封じにかかる。
「くそぉっ! この忌々しい紙くずめっ!」
不安だったのは、マナの力を使って焼却する鬼火斗の〈精霊器〉の力で光の紙片が燃やされてしまうことだった。
実際、鬼火斗も同じ発想に至ったのか穂先から何度となく炎を生じさせようとしたが、光の紙片はそれごと攻撃を封殺していた。
「涼音、逃げよう!」
この場から離れても紙片の拘束力が維持されるかどうかが問題だが、一か八か、全力で走って逃げる。
「え?」
涼音の反応は鈍い。
状況が理解の範疇を遥かに逸脱していて理解が追いつかないのだろう。
それでも、信じてもらうしかない。
「僕を信じて、走って!」
「――はい」
昴は涼音の手を握って促すと、呆然としていた涼音の表情に落ち着きが戻り、しっかりと手を握り返してきた。
「てめぇら! くそ、逃げられちまう!」
鬼火斗はなおも激しくもがくが、彼の〈精霊器〉は空中に固定されたまま微動だにしない。
「今の内に――!」
昴と涼音はリビングの、庭に出入りできる窓に向かって動き出そうとする。
だが――、
「――なんてな」
ニヤリと笑うと同時に、鬼火斗は一瞬で〈精霊器〉を消し、昴達に駆け寄りながら再び生成する。
光の紙片は完全に陣形を乱されている。
これが鬼火斗の狙いだったのだと気づいた瞬間、槍斧の穂先とは反対側――石突きが昴の懐深くに突き入れられていた。
「ぐふっ」
衝撃で視界が歪む。
意識と体とのつながりが一瞬で分断され、支えを失った体は呆気なく床に崩れ落ちた。
「昴っ!」
「おおっと、お嬢ちゃんはこれから俺とオタノシミだ」
「いやっ! 離してっ! 昴! 昴っ!」
薄れ行く意識の中で、涼音の助けを求める声が残酷なまでに淡々と遠ざかっていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます