第36話 異形の階段


 鬼火斗きびとは、突然〈精霊器〉リゾルバーの切っ先を涼音すずねに突きつけ、彼女こそがレヴェナントだと主張した。


「で、でも、でも涼音はあんな化け物じゃない! ちゃんと人間だし、話し合えるし、触れ合える!」


 すばるは倉庫に押し寄せる、化け物の群れを睨みつけた。


 それぞれ体格には個人差があるが、その範疇に納まらない、ぶよぶよとした肉らしき物体が上乗せされた異形――。


 おそらくあれがマナが宿主の体を核にしてこの世界に実体化しようとしているのだろうが、醜い粘土細工のような異様な集団が蠢いている。


 昴が襲われかけたのは、人間が別の存在に置き換わる途中といった雰囲気だった。


 だが倉庫に現れたレヴェナントは、腕が四本になっている者もいれば、四つん這いで獣のように這いずり回る者もいる。


 ゲームで見かけるゾンビの変異体といった有様だ。


 中には比較的、人間の原形を留めたモノもいるが、誰も彼も目に知性の光はなく、地獄の亡者としか思えない姿になってしまっていた。


 あんなものと涼音が一緒のはずがない。


 再会を喜び合えたのだ。


 お互いに全てを失ったこの世界で、一緒に生きていこうと約束したのだ。


 つないだ手から、優しさと、温かさが伝わってくるのだ。


 そんな涼音が、レヴェナントのはずがない。


「レヴェナントには段階があんのさ」


 必死に否定しようとする昴を突き落とすかのように、鬼火斗は手を前に出し、人差し指を立てる。


「まずはステージⅠ。レヴェナントとして組織化したマナが、この世界に入り込んで元の世界の自分と同じ人間に取り憑く。この段階じゃ、自意識なんてねぇ」


 続いて中指も立てる。


「次がステージⅡ。レヴェナントが宿主の中で活動をはじめる。だが、ほぼ同じ世界でほぼ同じ人間だった者同士だ。日常生活ならほとんどブレなんて起こらねぇ。どっちが動かしているかなんて、誰にもわからん」


 涼音も、普段は動けたが、この世界と元の世界の差を指摘するときだけが自由に動けなかったと言っていた。


 それは、こちらの世界の涼音が、いかにも涼音自身も動きそうな言動をしたから、自分で動いていたと錯覚していた……。


(いや、涼音は人間だ! こんな奴の言うことなんて、信用できるか!)


 昴はせめて気合いでだけは負けないようにと鬼火斗を睨み返す。


 身動きも取れない昴の行動など腹を立てる価値もないと思ったのか、勝ち誇った顔で悠然と見下ろしている。


「だが、ステージⅢになると徐々に状況が変わる。並行世界と言っても、微妙に違和感を覚えることはあるそうだ。その違和感に触れる度、自分がその体の主でないことに気づくらしい。そこからは肉体の本来の人格と、レヴェナントの人格の間で綱引きが行われる」


 大抵、レヴェナントの方が勝つがな、と鬼火斗はこともなげに断言した。


「レヴェナントってのは生に対する執念の塊だ。のほほんと暮らしているこっちの人間が勝てるはずねぇからな」


 同胞であっても、他人の不幸であればなんでも面白いのか、本来なら悲劇であるはずの出来事に対して鬼火斗はせせら笑う。


「そしてステージⅣ――。ここまでなら、どっちがその体を使うか、せいぜいがその主導権争いでしかない。だがここからは違う。マナで再現された人格が、真実に気づく」


「真実……?」


「ああ、些細な違いの積み重ねがやがては大きな重圧となり、自分が生きていた世界と違うことに気づく。〈ワールド・エンド〉の記憶を取り戻し、自分の世界が滅び、自分も一度は滅んだことを思い出したが最後――壊れる」


「壊れるって、なにが……」


「心、とでも言うべきかねぇ。それまで元の世界での人格を模倣していたマナの塊は、肉体に対する支配力を持ったまま壊れる。というより、元の世界の人格も、この世界の人格も食いつぶしてマジモンのバケモンに成り下がる」


 誰にも邪魔されないように、短く息を吸ってすぐに言葉を続ける。


「大抵は、既に自分の世界が崩壊したことを受け入れきれずに、破壊衝動の権化となって身近な人や物に執着し、目に付くモノを全て破壊する。こうなると、マナを使った〈創世術〉まで使いはじめる危険な存在になる――ここまで説明してやりゃてめぇにもわかんだろうが?」


 一気にそこまで喋りきって、鬼火斗は「どうだ?」とばかり昴の顔を覗き込む。


 涼音がまだ壊れていないだけだ、鬼火斗はおそらくそう言いたいのだろう。


 だが昴は間違ってもそんなことを言葉にできなかった。


 証拠はなにもない。


 だというのに昴が口にしたが最後、鬼火斗は鬼の首を取ったかのように勝手に状況を進めてしまうだろう。


 何より、そんな言葉を涼音に聞かせられるはずがない。


 だが鬼火斗は喉の奥で「クク」と笑った。


「さて、理解し終わったところで、お待ちかねの処刑タイムとしゃれ込もうじゃねぇか!」


 へへへ、と下卑た笑いを浮かべる。


「そんなのは、あんたの勝手なホラ話だっ!」


「うるせぇな。お前の目の色が、とっくに俺様の推論に負けちまってンだよ」


 なにを勝手なと抗弁しようとするが、鬼火斗はまるで取り合わず話を進めてしまう。


「俺様はな、単に親切で色々説明してやったり、あの場でばっさりぶっ殺しちまわなかったわけじゃねぇんだよ」


 確かに、鬼火斗の性格なら、大人しく幽月ゆづきの指示を聞くためにためらったりしないだろう。


 誰も止める者がない中、考えてみればこんなお膳立てをしたこと自体、不自然だったのだ。


 関係者一同をわざわざ倉庫に集め、レヴェナントまで呼び寄せた。


 鬼火斗が言うように、彼にしては回り道が過ぎる。


「もちろん、理由はある」


 徐々に目的に近づいてきたのか、鬼火斗の声はいよいよ楽しそうに弾んできた。


「お前ら、真面目だよなぁ。真面目で、善人で、正しいこと大好きって感じだよな?」


 昴は別に自分のことを清廉潔白の正義の人と思っているわけではない。


 ごく普通の人間だ。


 だから、即答はできなかったが、少なくとも鬼火斗のように欲望のために勝手気ままに振る舞うことはできそうにない。


「だからさぁ、そこの女がどんだけ大事な相手だったとしても、すぐに壊れて人格が消し飛んじまってよ。その上、せっかく九死に一生を得たこの世界をさくっと滅ぼすのだとしたら、それをぶっ殺すのは正義だよな? お前ら、こう言われたら止められないんじゃねぇの? すんげぇ悔しい思いをしながらでも、目の前で女がぶっ殺されるのだとしても、畑のカカシみてぇにぼけっと突っ立って眺めてることしかできねぇんじゃねぇの? んん?」


 その瞬間、やっと鬼火斗の狙いがなんだったのか、理解した。


 理解して、激情が腹の底から突き上げてくる。


 もし涼音がこの世界を滅ぼすような存在だとするなら、昴がどれほど彼女を大切にしていても止められないだろうと指摘しているのだ。


 何十億の人間と引き替えに、たった一人を守るのか。


 いや、もし鬼火斗の指摘通りだとしたら、せっかくこちらの世界で蘇った涼音の人格もまもなく壊れて消えてしまう。


 そもそも、自分達以外の全てが滅びた世界で生き続けることなどできるはずもない。


 だからレヴェナントは、ほんの一瞬だけこの世界を見せて、すぐさま正気を奪う憐れな存在なのだ。


 決して共存はできない。


 化け物になる上に、次々と他のレヴェナントを活性化させる。


 放置していれば、この世界はレヴェナントに埋め尽くされ滅びる。


 どれほど大切な相手でも、どれほど可哀想でも、抹殺するのが正義だというのだ。


 その正義の前に、昴は自分の無力を嘆き悲しみ、ただ涼音が再び目の前から消えてしまうのを静観しなければならない。


「比嘉さん、どうして昴様にそこまで辛く当たられるのですかっ!」


「ふん、相も変わらぬイイ子ちゃんが……」


 たまりかねて口を差し挟む水姫みずきに鬼火斗が吐き捨てるように言った。


 その頃になると、レヴェナントの乱入もようやく納まったらしく、疲弊した様子ながらも傷らしい傷を負っていない冴香さえか清十郎せいじゅうろうがこちらにやってくる。


 だが、この二人も、昴の味方ではないのだ。


「比嘉さん。結果は変わらないとしても、せめていたずらに苦しめないようにするのが慈悲ではないですか?」


 清十郎は、真面目な話に興味はないとばかり、早々に静観を決め込んだようだ。


「んなこたぁねーよ。俺様は優しいぜぇ。ほれ、本人にも諦めがつくように、証拠を見せてやろうって主旨じゃねぇか」


 けけけと笑いながら、鬼火斗は槍斧の穂先で涼音の方を指す。


 全員の視線が涼音の方に集まった。


 ごく普通の、一七才の高校生である。


 家でくつろいでいたので、ホットパンツに上はTシャツにカーディガンを羽織っただけのラフな格好だが、快活だった彼女の表情は恐怖で引きつっていた。


 ――そして、華奢な彼女の体から、赤い、光の粒子がちりちりと放散されはじめていた。


 色は違うが、それはマナの光のように見えた……。


「な、なにこれ!? なんで私の体から、こんなものが――!?」


 涼音の悲痛な叫び声が、倉庫の中に響き渡る。

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