第28話 彼女のくれた色彩


 涼音すずねとの驚きの再会で思ったより時間が取られてしまい、周囲はすっかり暗くなってしまった。


 涼音と別れた昴は、アンジェリカを待たせたままだったことを思い出して慌てて大通りへと向かう。


『ヒドいでござる、ヒドいでござる! ヒドいでござるよ~~っ!』


 姿を消したまま、アンジェリカは泣きわめいた。


 ダンダン、と音がするのは癇癪を起こして地面を叩いているのだろうか。見えないけれど。


「わ、わかった、僕が悪かった! 謝るから、反省するから!」


 すばるは誰かに見咎められないかヒヤヒヤしながら必死で宥める。


 無関係な人間から見れば、何もない場所に向かってひたすら謝り倒している姿にしか見えないだろうからだ。


 ただ、昴も本当に反省していて、徐々に暗くなる中、帰ってこない主人を心配する気持ちと大通りで待っているようにという主命との板挟みになって一人で悶々としていたらしい。


 とはいえこのままでは埒が明かないので、昴は自分が保有する手札を全て使って、アンジェリカを黙らせにかかった。


「――アンジェリカ、大人しくしてくれたら、アイスを買ってやるぞ!」


 ピタリ、と声が止まった。


『ハーゲンダッツ、でござる』


「う、お、おう。大丈夫だ! ハーゲンダッツの、しかも大きいカップの奴を買おうな?」


『ふぉぉお~。大きいカップ独り占め! 拙者、死ぬまでに一度はやってみたかった、御大尽の豪遊でござるよ、にんにん!』


 ハーゲンダッツの大きいカップは、よく見かけるミニカップ四つ分ぐらいあるので確かに贅沢だが、ここまで感激してくれるとちょっと可愛い。


「一回に全部食べたらダメだぞ?」


『ガッテン承知でござるよ! お館様の忠実なる忍びであると共に、立派な淑女であるところの拙者にお任せでござる!』


 すっかり上機嫌になったアンジェリカを伴い、途中のコンビニで約束通り貢ぎ物を購入すると、昴はマンションへと帰宅した。


 ちなみに、大きい方はパントカップと言い、普段見かける方はミニカップと言うらしいという、どうでもいい知識が一つ増えた。


               ◆◆◆


 ――夜。


 比嘉鬼火斗ひが きびとにとって、それは狩りの時間だった。


「おらっ!」


 手にした武器――〈精霊器〉リゾルバーは、柄が二メートルもある斧。あるいは、槍の穂先に斧頭が同居するような形をしている。


 ハルバードと呼ばれるタイプの武器だ。


 それを力任せに振るう。


 ぐしゃりという、肉が潰れる感触が柄の先から伝わり背筋を駆け抜けた。


 鬼火斗は愉悦に顔を歪める。


 無骨を形にしたような冴香さえかの〈精霊器〉氷雨ひさめとは違い、鬼火斗は自分の趣味を前面に押し出し、自らのタトゥと同じく炎の紋様を斧頭の側面に刻み込んでいた。


 まるでシルバーのアクセサリーのようにあちらこちらに装飾が施された逸品だ。


 ベースとなる形状は〈精霊器〉が判定し決定する。


 鬼火斗では日本刀状の〈精霊器〉を生成することができない。


 だが、握りの太さや微妙な長さ、重さなどカスタマイズは可能になっている。


 装飾もその範疇だ。


「これが大量生産品の良さってこった」


 いまだに能力を自由に発動できない〈聖なる泉〉ミーミルとは違う。


 使いこなせば世界を覆すことすら可能だと言われていたが、そんな眉唾ものの格などどうでもいい。


 大切なのは、目の前にいる獲物を八つ裂きにできること――それ以外は些事である。


 鬼火斗の〈精霊器〉の銘は炎鬼えんき


 攻撃と同時に、高温で焼灼する能力を持っていた。


 鬼火斗の一撃を食らって壁に叩きつけられていたレヴェナントがよろよろと起き上がる。そのあちらこちらからブスブスと焼け焦げるような匂いと煙が立ち上っていた。


 ダメージがあるように見えるが、この緩慢な動きは相手がまだ完全に目覚めきっていないからで、単純な攻撃でレヴェナントは消耗することはない。


「ったく、どうせならもっと育ちきってから尻尾を出しやがれ!」


 重量をものともせずに素早く駆け寄ると、ハルバード型の〈精霊器〉を再び力任せに振るう。


 肉と鉄とが衝突する鈍い音がして、再びレヴェナントは壁際まで飛ばされた。


「ははははっ! だらしない! もっと歯ごたえを見せろ! 世界を終わらせる化け物なんだろうがっ!」


 目の前のレヴェナント、宿主は高校生だろう。


 見たことがある制服に身を包み、その隙間からぐじゅぐじゅと物質化しつつあるマナが膨れあがっている。


 ギリギリ、ステージⅢからⅣに成り上がろうとしている瞬間といった段階だろう。


 本当ならば最低でもステージⅣ。できれば、最大覚醒のⅤまで登り詰めた個体とやり合いたいところだが、見つけたなら狩らなければならない。


 一方的に、まさに一方的に攻撃をし続ける。


 ハルバードは斧と槍、かぎ爪を備えた武器で、豪快な見た目とは違って非常に多様な攻撃を繰り出せるテクニカルな武器だ。


 その使い心地を確かめるように、鬼火斗は喜々として〈精霊器〉を振るう。


 〈ワールド・エンド〉が発生するまで、訓練は充分に積んできたが、実際にレヴェナントと殺し合うのは初めてなのだ。


 〈精霊器〉は物質でありながら、マナに直接干渉する力がある。


 炎鬼の焼灼能力も、大半はマナの体に作用している。


 命の根源マナを、斬りつけ、殴り、突き刺す――言わば命そのものを蹂躙する感触に酔いしれていた。


「これだこれ! これこそ俺がずっと待ち望んでいたのは刺激なんだよっ! もっとだもっ――と? あン? もうくたばっちまったのか?」


 気づけば、肥大していた少年の体は元に戻っていた。


 残されたのは、あちらこちら裂傷と火傷を負った普通の少年――冴香のように、宿主を気遣うような面倒な真似はしない。


 鬼火斗は、自分が戦闘狂だということを自覚しており、その在り方に満足していた。


 人生は欲望を追求するためだけにある。


 極めてシンプル。


 その上で、小言は言いながらも、始末屋として囲っている以上、ミドガルズオルムはこの戦闘狂の自分を認めているということになる。


 これで誰がなんと言おうと、鬼火斗には「必要とされたからやったまで」という言い訳が立つ。


 別に後ろ盾が欲しいわけではない。


 大体がやり過ぎになることは明白で、そうなればどこかからクレームが舞い込む。その相手をする時間が惜しい。


 このマナの狂乱は無限に続くわけではない。ならば、その間、少しでも長く、一体でも多く、獲物を屠り続けたいだけなのだ。


「文句は偉いヤツに言ってくれよ。俺は殺して潰して味わうだけさ」


 薄笑いを浮かべながら、鬼火斗は耳につけたレシーバーで報告を入れる。


「こちら03ゼロスリー。一体処理した。被害? うっせぇ、てめぇの目で確かめろ。あぁ、ガキが一匹死にかけてっから、助けたいならとっとと回収しとけ」


 通信先で、スタッフが絶句した感触に気をよくしながら通話を終える。


 奔放に振る舞うことに躊躇いはない。生じる摩擦を補って余りある価値が自分にあると承知しているからだ。


「さて、今夜はあと何匹狩れるかな」


 腹の底からこみ上げる喜悦に、鬼火斗は唇を歪める。


 霧見沢市に戻ってから、鬼火斗は自分から望んで巡回の回数を増やしていた。


 徹夜で歩き回り、朝が来たら寝床に返って泥のように眠る。


 腹が減ったら寿司だろうとジャンクフードだろうと手当たり次第に配達させ貪る。


 そして時間が来たらまた、狩りに出かける。


 恐怖はない。


 躊躇いもない。


 暴力の果てに得られる全能感を、自ら進んで享楽的に享受し続けていたのだ。


「だが……。雑魚ばかりじゃつまんねぇな」


 鬼火斗は誰より早くレヴェナントの存在を嗅ぎつけられる。


 しかし、誰より早いと言うことは、必然的に未熟な個体まで察知してしまうということになる。


 その点では、自分の野性的な嗅覚が呪わしい。


 もう一つ気になっているのは、鬼火斗にとっては歓迎すべき状況だが、あまりにレヴェナントの発生件数が多すぎることだ。


 代々伝わってきた伝承は、言わばこの世界が何度も〈ワールド・エンド〉を切り抜けてきた実体験の積み重ねなので間違っているとは考えづらい。


 ならば、今回の〈ワールド・エンド〉にはこれまでの積み重ねには起こっていなかったイレギュラーが紛れ込んでいる可能性がある。


 そこまで考えが至ったところで、鬼火斗は再び笑みを浮かべた。


「発火点に近けりゃそれだけ火の勢いは強くなる――いっちょ探ってみるか。まぁ、だいたいどこ探ればいいかは決まってるがな」


               ◆◆◆


 涼音が自分の知っている、幼馴染みの涼音だと判明した日から、昴の心境に急速な変化が起こっていった。


 水姫みずき幽月ゆづき達はよくしてもらっている。だが長年積み重ねた思い出の重みには勝てなかったのだ。


 だからこそ、昴は涼音の存在を、誰にも告げることはできなかった。


 例外的な〈特異点〉だったのだとしたら、涼音はどこかに連れ去られてしまうかもしれない。


 たとえば涼音がどうして存在するのか、それを調べる必要があるとかそんな理由で。


 もう二度と涼音を失うわけにはいかない。


 だから涼音には、これまでと同じように、昴をただの転校生として接するように言い含め、昴自身も冴香やアンジェリカの目を気にして他人のフリをし続けた。


 お互いに本当の自分に戻って会話できるのは、家に帰ってから、スマホで連絡を取り合っている間だけ。


 水姫やアンジェリカに聞かれないように注意しながら、涼音とこっそりと会話を楽しむ日が続いた。


 だが涼音は、必ずしも大人しくはしていなかった。


 不自然ではない範囲なのだが、転校生の昴をどうにか学校に溶け込ませようと取りはからう。


 おかげで、いつかの昼休みのように、生徒会の面々に同席する機会が増えていたが、昴としては少しハラハラさせられるのである。


 生徒会の役員達は社交的な人間が多く――だからこそ生徒会に入っているのだろうが――昴のことも特に気にした様子もなく受け入れてくれているように思えた。


「で、朽木兄はいつになったら生徒会入りするのよ?」


 昼休みの食堂で、隣に座った三年男子がそう切り出した。


「別に兄じゃないですし……」


 昴は苦笑する。


 心配していたように、咲良さくらが学校で「お兄ちゃん!」と誤爆したわけではないのだが、その懐き振りから勝手に周囲から「お兄ちゃん」扱いするようになっていた。


「いいですね。私も一人っ子なので、男兄弟には憧れます」


 などと、生徒会長までもが悪ノリする始末である。


「あ、じゃあ、私は晴れて公認で、『お兄ちゃん』って呼びますね!」


 咲良がそれに応じ、他の面々が冷やかす。


「お~、いいな。俺もじゃあこれからは昴お兄ちゃんと呼ばなけりゃならんな」


「先輩、明らかに年上ですけれど?」


「それはあれよ、朽木君。『義兄さん、妹さんを僕に下さい!』的な」


 別の先輩女子がさらに茶化して混ぜっ返す。


「あら、橋田君、咲良ちゃん狙いなの? でもこの前、別の学校の女子と映っている写メを見てニヤニヤしていたけれど、大丈夫なのかしら?」


 生徒会長が鋭い一撃を放り込む。


 言われた橋田先輩は「いつの間に見てたんですか!?」と席に着いたまま仰け反る。


「ふふふ、情報を制する者は世界を制する、と言われていますからね」


 それをきっかけにして、話題の中心は橋田先輩の彼女に移る。


 ずっと単独行動に慣れていた昴は、さすがに話題の中心に置かれ続けることには慣れていなかったので少し安心する。


 チラッと見ると、こっそりと涼音が昴の方を見ていて、意味ありげにニヤニヤしていた。


(どうせ僕はコミュ症ですよ)


(別に、そんなこと言ってないわよ?)


 と視線だけで意思疎通をする。


 たぶん大筋で間違っていないだろう。


 この世界で目覚めたばかりの頃、当然のことではあるが、何かにつけてどこか他人事で、世界は灰色がかって見えていた。


 そんな昴の学園生活は、少しずつ色彩を取り戻していったのだ。

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