第29話 赤い夜


 昼休みが終わるまでには、少し余裕を持って食堂を出る。


 同じクラスの人間は涼音すずねだけなので、二人で一緒に戻ることも不自然には見えなかった。


「体とか、異変を感じたりしない?」


「うん、私は大丈夫。すばるは?」


「僕も」


 教室に戻るまでの短い間、昴と涼音がそれぞれ注目されない間だけ、本来の二人としての会話ができる。


「でも、気を抜くと『昴』って呼びそうになるからヒヤヒヤしちゃう」


 涼音が真剣な顔で言うので昴は苦笑する。こちらに召喚されてから、昴も同じ苦労をしていたからだ。


 もっと二人だけの時間を味わいたかったが、すぐに教室に到着してしまう。


「ここまで、かな。じゃあ、また後で」


 放課後、涼音と咲良さくらを送り届ける役目はまだ続いている。


 それでも咲良や、姿は見せていないがアンジェリカも近くに控えている以上、やはり昴は涼音と無関係の振りを続けなければならない。


 だからお互い本当の自分として会話できるのは、この瞬間だけだったのだ。


「今度、デートしよっか?」


「い、いきなり何を言ってんだよ」


 唐突な発言で慌てふためく。


 元の世界にいた頃、自分のことだけで手一杯で、涼音とも距離を作るようにしていた。


 だがこの世界なら、普通の、当たり前の高校生のように遊びに出かけても問題はないはずだ。


 今更ながら、自分にそんな生活が許されるのかもしれない可能性に気づく。


 それでもやはり今は、この世界でマナ混乱期がどうなるか、ミドガルズオルムが涼音の正体に気づけばどういう行動に出るかわからない以上、用心してもしすぎということはない。


「状況がもう少し落ち着いたら、まあ、いいけど」


「う~ん、昴がそう言うなら。でも、嬉しいな。ちょっと前までなら昴、相手にしてくれなかったもの」


「それは――」


 以前の気持ちと、今の状況の変化を説明するのが難しい。


 そういう言葉にならない気持ちだけは伝わったのか、涼音は「大丈夫」と小さく笑った。


「昴がそう言うなら、信じてるから」


「……もう少ししたらな」


「デート、だからね」


「う、うん」


 押しの強さにたじろぎながらも、昴ははっきりと頷いた。


「よし」


 涼音は満足そうに頷いて、一歩先に教室に到着する。


「涼音、今日も生徒会の人達とお昼? たまには私達と食べようよ」


 教室に入ると、涼音は仲のいい女子達に瞬く間に囲まれてしまった。


 微妙に距離を開けて入ったおかげで、女子達は昴の存在に気づかないようだったが、逆に男子は昴と涼音の距離感に何か感じるものがあったようだ。


「朽木ぃ~。お前、どうやって梓川さんと仲良くなったんだよ?」


「抜け駆けしやがって~」


 中には面白くないといった様子で昴を見ている者もいたが、別の何人かは好意的に、クラスで人気の女子とお近づきになれた幸運な昴を冷やかしにやってくる。


「いや、仲良くっていうほどじゃないと思うけど……」


 こういう人に囲まれる状況に慣れていない昴は戸惑うが、常々「昴は友達を増やすべき」と言っていた涼音は、女子に囲まれたままこちらを見て「がんばれ」とでも言いたげにこっそりと親指を立てている。


(なんだよ、その男前な仕草は!)


 と呆れるのだが、


「うぉ、目と目で通じ合っちゃってるぞ!」


 近くの男子を刺激してしまったらしく、にわかに沸き立っていく。


 だがそんな賑わいに水を差すように、


「お~い、ちょっと午後の授業を変更して、ホームルームが入るぞ。みんな席に座れ」


 と、担任の教師が顔を見せたのだった。


 昴としては、自分の対応力を超えた状況だったのでありがたかったのだが、男子達はつまらなさそうに不平の声を上げつつ離れていく。


 昴はホッとしながらも、少しだけ担任の顔に険しい表情が浮かんでいることに気づいて嫌な予感を覚えていた。


「よ~し、みんな席に着いたな」


 担任は教室を見渡してそう言うと、一拍置いてからようやく口を開いた。


「今、教育委員会の方から連絡があってな、みんなも聞いたことがあると思うが、最近この近辺で起こっている連続通り魔事件だ。落ち着いて聞いて欲しいんだが、昨夜ウチの生徒が被害に遭って保護されたそうだ」


 教師は少し迷った後「重体だそうだ」と付け加えた。


 直前まで昼休みだったせいで浮ついていた教室の空気が一瞬で静まりかえる。


 食堂で生徒会の生徒達が噂の種にしていたように、危険だと言われてもどこか遠くの出来事で自分には関係ないと感じていたのだろう。


「今日、午後の授業は全部中止して下校になる。部活も今日は休みだ。遊びに行くんじゃないぞ。大人しく家に帰って勉強するんだ。今後については警察や教育委員会と協議することになっている。決まったら連絡網を回すから、とにかく今日は絶対外出するな」


 教師の発表に、生徒達からは様々な声が湧き起こる。


 部活に入っている生徒達は、自分達の練習が疎かになってしまうためにもちろん不満げだ。


 以前は、身の回りで起こっている、ある意味でゴシップじみた怪しい事件を面白がっている者もいた。


 だが、教育委員会や警察といった自分達の現実と直接つながっている部分が動き出したことで、さすがに大部分の生徒は不安になってきたようである。


 昴は離れた席に座っている涼音の横顔を盗み見ていたが、彼女も不安そうにしていた。


 なまじ、レヴェナントについて伝えているため、周辺の騒ぎが単なる通り魔事件という単純なものではないと知って不安になっているのだろう。


(僕がもらった〈精霊器〉リゾルバー……。〈聖なる泉ミーミル〉は本当に動くのか……?)


 手帳型のそれは、常に制服の胸ポケットに入れていた。


 だが相変わらず〈精霊器〉としての起動方法はおろか、手帳のバンドを開くことすらできない。


 いざとなったら、特に近くに涼音や咲良がいたなら、昴がこれを使って守りたいのだが、本当に役に立つかどうか不明では頼りにしていいかどうかわからない。


(今日、帰ったら、もう一度状況を聞いてみるか……)


 昴には安心して過ごしてもらいたいという配慮からか、幽月は状況を教えてくれない。


 アンジェリカは昴に張りついたままなので、同じように状況を知らなくても不思議ではないが、毎日のように街を巡回している冴香さえかは詳しい話を知っているだろう。


(でも、帰りに一緒になったとしても、涼音や咲良が一緒じゃ事情は聞けないか……)


 ただ、どこかで誰かには事情を聞いておいた方がいいと決めて、昴は担任が話し続けている残りの注意事項に耳を傾けた。


               ◆◆◆


 午後、まだ日は高いというのに、昴達は帰路に就いた。


 いつもならまだ授業の真っ最中である。


 まるで何か悪いことをしているような落ち着かない気持ちを感じながら、昴は涼音、咲良、そして冴香という顔ぶれで校門を出た。


 普段は部活動をしている生徒としていない生徒では帰宅時間がずれるが、今日は全校生徒が一斉に下校するということで校門周辺はかなり混雑していた。


 近くには別の学校もあるが、近隣の学校は全部同じ措置がとられているらしく、駅はさらに混雑する。


 そんな少し異様な空気を味わいながら、咲良と涼音を送り、冴香と二人(実際にはアンジェリカもいるが)になったところで昴は思い切って切り出した。


「ウチの生徒の件もレヴェナントなのかな?」


 それに対して、いつも簡潔に受け答えをする冴香が珍しく言いにくそうに答えた。


比嘉ひがさんが、やりすぎたのよ」


「やりすぎ?」


「ええ、あの人は戦いを楽しむようなところがあって、一撃で仕留めれば宿主になった人には被害が少ないのに……」


 つまり、不必要にいたぶった結果、宿主に大怪我を負わせたということなのだろう。


 鬼火斗きびとの言動を思い出せば状況が目に浮かぶようだ。


「なんであんな奴が……」


 レヴェナントを察知する直感が強いと幽月ゆづきは言っていた。


「想定より、レヴェナントの発生件数が多い。多すぎるのよ」


 冴香は悔しそうに、絞り出すようにそう言った。


 生真面目な彼女からすれば、なまじ自身もレヴェナントと戦っているため、鬼火斗の振る舞いは昴以上に受け入れられないのだろう。


「根本的な質問だけれど、レヴェナントが増えるとどうなるの?」


 もちろん凶暴な人間が増え、それに襲われる被害者が出るのは問題だ。だが具体的にどうなるか、そのイメージがいまいち曖昧だった。


 昴の問いに、冴香は大きく息を吐く。


 溜息をついたというよりも、知らず知らずのうちに力んでいた緊張を解くためのように見えた。


「……そもそもマナは意思を持っていないけれど、ふとした瞬間に変質して周囲のマナを巻き込んで自己組織化――意思のようなモノを獲得する。この世界で活動するために、この世界の人間の体を乗っ取ろうとするの」


「それは、前に聞いた話だよね?」


「ええ。それで、ここからがあなたの問いの答えになるけれど、レヴェナントとして覚醒した個体は、次々に別の個体のレヴェナント化を促す。もし私達が敗北すれば、最終的に、レヴェナントで世界は埋め尽くされる。世界中、全ての人間がレヴェナント化し、あなたも見た、知性も持たない亡者に満たされる」


 あの夜、襲われた化け物だけで埋め尽くされる世界を想像する。


 それは地獄だろう。


「言い伝えでは、世界の終わりが訪れる様子を、『赤い夜』と呼び表すらしいわ」


「赤い夜……」


 それがどういった現象なのかはわからないが、冴香が本気で恐れている気持ちは伝わってくる。


 確かに防がなければならない。


 だが、だからといって鬼火斗のあの振る舞いにはとうてい同意できるはずもない。


 そのあたりは冴香も同じ意見なのか、悔しそうに唇を噛みしめていた。


「でも、このままではレヴェナントが街に溢れる……」


 矜持と現実とで板挟みになった少女の顔がそこにあった。

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