第27話 再会


 楽しかった日曜日が終わる。


 若干の寂しさや侘しさと共に、夕闇がにじり寄ってくる。子どもの頃、そんな街の様子をぼんやり見ていたことがあった。


 さすがに高校生にもなって、夕暮れをぼんやり見ているようなことはないが、根っこにある空虚な感覚は変わらない。


 昼間、賑やかだった分だけ、残された時間の少なさに切なさが募る。


「そうだ、朽木君。あっちにね私が子どもの頃から使ってる秘密基地があるんだよ。今日のお礼に、特別見せてあげる」


 そんなことを考えていると、いきなり涼音すずねが振り返ってそう言った。


「秘密基地……?」


 こっちこっち、とすばるを手招きして、彼女の家とはまるで違う方向へと誘う。


 首を傾げはしたが、実のところ昴は「秘密基地」がどこにあるのかを知っている。そもそもその秘密基地は昴と涼音が作ったものだったからだ。


 といっても、本当に何か建物を作ったわけではなく、近くにある児童公園の、土管を組み合わせて作った遊具だ。


 雨の日など、そこに漫画やお菓子を持ち込んで、二人でこっそり秘密基地ごっこをして遊んでいたのである。


 わからないのは、どうしてこのタイミングで昴をそんな場所に連れて行きたいかということだ。


 涼音に導かれるまま、児童公園へとたどり着く。


 考えてみればここ数年、前を通りかかることはあっても中に入ったりはしなかったので久しぶりだ。


 二人の思い出の秘密基地は、今も昔と変わらない場所にあって懐かしさが込み上げる。


 今も誰かの秘密基地になっているのか、あるいは今の子どもはそんな遊びはしないのかはわからないが、「変わらないな」と懐かしさに浸りながら土管の入り口を撫でると、


「ねぇ、朽木君」


 と児童公園の、昴の動きを見守っていた涼音が声をかけてきた。


 昴が「ん?」と振り返ると、涼音が酷く真剣な顔をしてこちらを見ているのに気がついた。


「どうして、そこが『秘密基地』だって知っているの?」


「え……?」


 しばらく、問われた意味に気づかずに、昴は黙り込んでしまった。


「だって私、ここからは一歩も動いてなくて、秘密基地がどこかなんて言ってないもの」


「あ……」


 昴はぽかんと口を開けていた。


 そうである。


 こちらの涼音は、秘密基地の思い出を昴と共有していない。


 秘密基地が何か知らない高校生が、児童公園に来て難の迷いもなく土管を組み合わせた遊具に向かうのは、確かに不自然だ。


「えっと……」


 完全に不意を突かれたせいで、上手い言い訳が思いつかない。


 そもそもどうして涼音がそんなことに引っ掛かったのかがわからない。


 昴があたふたしていると、先に口を開いたのは涼音の方だった。


「あのね……。私、ひょっとするととても変なことを言うかもしれないけれど、一つだけ、聞いてもいい?」


「僕に、わかることなら……」


 何を聞かれるかわからないが、今の昴はそう答えるしかなかった。


 涼音は、とてつもない決意を固めた顔で、一つ大きく息を吸い込んでから口を開く。


「朽木君、……あなたはもしかして、私の幼なじみの――昴なの?」


「は………?」


 カケラほども想像していなかった言葉が涼音の口から飛び出して来た。


「どうして……?」


「それを聞きたいのは私の方だよ。あなたは、昴なの? 私の幼馴染みで、咲良とは本当に兄妹だった、昴なの?」


 これはどういう事態だと自問自答するが、答えなど出るはずがなかった。


 どうして昴が昴だとバレた?


 涼音は、昴を知っている、昴が知っている涼音?


 でも〈ワールド・エンド〉が起こって、昴を知っている人間は誰も残っていないのでは?


 いくつものナゼ? ドウシテ? が頭の中をグルグル回って、昴を置き去りにした。


 どういう状況なのかさっぱりわからない。


 ただ一つだけ確実なのは、涼音が、昴のことを怪しんで、不自然な行動を取らないか試した。


 そして昴はまんまとそれに引っかかってしまったということだけだ。


 昴は、言葉がうまく出てこず、辛うじて首を縦に振って涼音の言葉を肯定した。


 いいことなのか、悪いことなのか、それすらわからない。


「でも、どうしてそんな疑いを持ったんだ?」


 決して完璧ではなかっただろうが、それでも努力して他人のフリをしてきた。


 疑われるような決定的な失敗もしていないはずだ。


「だって、あなたはテーマパークで、ベンチのコトを知っていたもの。私が昔怪我をして、ベンチは交換されて――もしあなたが別人なら知らないんじゃないかって。確信したのは、二人の秘密基地を知っていたからだけれど……」


 あのとき、驚いたように昴を見ていたのは、そういう理由だったわけだ。


「そもそも、昴はずっと、何か嘘をついているときの昴だったじゃない!」


「え!? 嘘をついているってどこでそんなのわかるんだよ」


 そんなものが見ただけでわかるのかと困惑した。


「ちょっとした視線とか、表情とか、声の高さとか色々よ!」


 何故か涼音が怒ったようにそう言った。


「何年幼馴染みをやっていると思っているのよ! 私を相手に嘘なんて突き通せないんだから!」


「あ、いや、しかし……。でも、本当に? 本当に君は、僕の幼馴染みの涼音なんだな?」


「当たり前じゃない――」


 お互いに同じ内容のことを言葉にし合って、しばらく様々な思いを噛みしめるように沈

黙した。


 それでも視線は一瞬たりともお互いから逸らさない。


 瞬きをするだけで、相手がどこかに消えてしまうような気がして不安だったのだ。


「教えて! これ、何がどうなっているの? どうして咲良やおじさんやおばさんが……?」


 生きているのか、と言葉にせずとも気持ちは伝わる。


 幽月達は、昴が唯一の〈特異点〉だと言っていた。元の世界から唯一救出して、この世界を安定させる要石となる存在だと。


 昴が生まれ育った元の世界は、ありとあらゆる存在がマナという根源の形まで分解され戻された。


 例外はないと言っていた。


 ならば、昴のことを知っている目の前の涼音は一体なんだというのだろう。


「僕も、全部を全部は理解できていないけれど……」


 だが今は、目の前で怯えている涼音を安心させる方が大切だった。


 だから足りないとわかりつつも、自分の身に起こったことを、そしてどこまでが本当のことなのかはわからないが、自分が教えられたことをかいつまんで涼音に聞かせた。


「そんなことが……」


 さすがにショックを受け、よろけそうになる涼音を近くのベンチに座らせる。


「じゃあ、お父さんやお母さんも、別人……?」


「厳密に言えば。……でも涼音の場合は、僕と知り合いだというコト以外は全部同じはずだから、不安に思わなくてもいいよ」


 昴は最初に水姫に反発したように、二つの世界が似ているからそれでいいなどと考えてはいない。


 だがこの世界に誰一人知り合いがいない昴と涼音とでは事情が違う。


 彼女に言った通り昴を知っているかいないか、その一点だけを除いては元の世界と同じだ。


 だったら、強引にでもそう言い聞かせた方が、涼音に余計な不安を与えない気がしたのである。


 そもそも、目の前の涼音が昴の世界にいた涼音なのだとしたら、この世界の涼音はどこにいるのかわからない。


 昴が問うと、涼音自身よくわかっていないのか、たどたどしく自分の状態について教えてくれた。


「私、もう一人の私と一緒にいる感じで……。最初はボンヤリしていたけれど、徐々に意識がはっきりしてきて自分で自分を動かせるようになっていったというか……。あなたが私が知っている昴かも知れない、とそう感じるようになってからどんどん意識がはっきりしてきた感じ? かな……」


 幽月達は昴が元の世界のマナを引き寄せると言っていた。


 ならば昴と接することで、涼音はこちらの世界に引き寄せられていったということだろうか。


 ただ、こちらの世界の涼音に乗り移ったような状態なら、二人が別々に存在していてばったりと顔を合わせるなどという事態は起こらないということだろう。


 涼音は、昴が幼馴染みだったとか、咲良達が既に事故で死んでいるはずだとか、そんな他の人間の認識とずれるような発言さえしなければ問題なく過ごせるはずだ。


 そのことだけは、素直に安堵した。


「昴、辛そう……」


 涼音の細くしなやかな指が伸びてきて、昴の頬に触れる。


「私、ずっと見てた。最初は、あなたのことを知っている私はあなたに声をかけられなくて、ずっと見ていることしかできなくて……」


 確かに、最初の頃の涼音は、昴を他人としてしか接していなかった。


 涼音が言っていた通り、あの頃は、こちらの世界の涼音だったということだろう。


「ずっとずっと、何かを我慢するような顔をしてた。ヒドいよ、誰もあなたのことを知らないなんて……」


 涼音は、泣きそうな顔でそう言った。


 自分の置かれた立場についても飲み込めたわけではないだろうに、昴のことを心配してくれる。


 それだけで、昴は救われた気持ちになった。


「……色々わからないことだらけだよな。わからないけれど、涼音が一緒にいてくれるなら、ちょっとは、がんばれるかな……」


 別に何かの役目があるわけではない。


 幽月達からは、心安らかに暮らしてくれればそれだけでいい、と言われている。


 だから、冴香達のように何かと戦うわけではないが、それでも時折、足下が崩れ落ちそうになる絶望感を抱いていた。


 何故、自分一人がのうのうと暮らさなければならないのか、そういう思いに襲われたとしても、涼音がいるなら、涼音がいる世界が安定するためだと考えたなら、襲いかかってくる絶望に耐えていける気がする。


 生きることの目的が出来たら、辛くても立っていられる気がした。


「さっきも言ったけど、レヴェナントには気をつけて」


「う、うん。……でも私、怖いよ。これからどうなるの? それに、何かとても酷いことが起こりそうな気がするの……」


 見れば、涼音の体が小さく震えていた。


 ずっと疑問は覚えていたのだろうが、世界が滅びたなどと聞かされれば無理もないだろう。


「涼音は、僕が守るから……」


 だから涼音は、せっかくほとんど問題なくこの世界で居場所に辿り着けた涼音は、何の不安もなく過ごして欲しいと思ったのだ。


 昴がしっかりと生きていけば、それが涼音を守ることにもつながる。


 余計な心配をかけたくないので、ミドガルズオルムや世界がまだ安定していないことについては最小限度の注意に留めておいた。


 ミドガルズオルム側にも涼音の存在は秘密にしておく。


 特異点は一人だけだと言っていた。


 それが涼音という例外がいると知られたらどうなるかわからない。


 昴と同様の丁重な扱いを受けるならまだしも、比嘉鬼火斗の常軌を逸した凶暴さを見ると、近づけたくない気持ちが強い。


 何より、涼音の場合は保護してもらわなくても元の世界とほぼ同じ環境にいるのだ。ならばいたずらに引っかき回したくない。


 一瞬、水姫の顔が思い浮かんで、彼女だけには打ち明けてもいいのではないかと思ったが、昴はその考えを振り払う。


「あとは、最初は居心地悪いかもしれないけれど、きっとすぐに慣れるから」


「私は大丈夫だけれど……。でも昴は……」


「僕は、何とかやってくよ。元から涼音ほど人付き合いは得意じゃないから、そんなに変わらないし……」


 自分でも空々しく感じる強がりだった。


 涼音も表情を曇らせるが、昴の言葉を否定はしなかった。それがただの強がりだとわかっていても気づかぬ振りで、


「私を、守ってね」


 と昴の手を取って優しく握りしめる。


 二度と会えないと思っていた人に会えた――それは奇跡のような再会だろう。昴も涼音の手を握り返す。


 絶対に守りたい、守らなくてはならない約束だった。


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